しらたま

エッセイや短編小説、詩などを手癖とその気に任せて書いています。 如何なる反応も嬉しく欲…

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エッセイや短編小説、詩などを手癖とその気に任せて書いています。 如何なる反応も嬉しく欲しています。

最近の記事

〈エッセイ〉「他人(ひと)の名を着る人たちへ 〜現代の民藝を柳宗悦と探す〜」

1、民藝の父、柳宗悦(やなぎ むねよし)  当時、宗教学者であった柳宗悦は工藝に魅せられ、河井寛次郎、濱田庄司らと共に民藝運動と呼ばれる生活文化運動を始める。なぜ柳は民藝運動を始めたのだろうか。それは彼の著作の中でひしひしと感じられる世間の美の捉え方、資本主義制度による機械工業への移行に対しての問題意識であると考えられる。そういった、柳の危機感による民藝運動によって民藝、工藝は今の我々へと受け継がれてきたが、果たしてその柳の問題意識は現在において解消されたのだろうか、柳の唱

    • 〈エッセイ〉〜アンネフランクはいつ殺されたのか 「アンネの日記」最大の功績〜

      1、第二次世界大戦時とアンネフランク 1939年からヴェルサイユ体制が原因となって第二次世界大戦(以下WW2)が始まる。その中心となったドイツはイタリア、日本とともに枢軸国陣営としてイギリス、アメリカ、ソ連をはじめとした連合国陣営と戦争をすることになる。この戦争は1945年までの6年間続き、人類史上最大の戦争となった。当時のドイツはアドルフ・ヒトラーが牽引する国家社会主義ドイツ労働者党(以下ナチス)による独裁指導体制下にあった。ヒトラーの政権下の中でも目を引くのは、アーリア

      • 〈小説〉〈詩〉「泡をすくって、早々とひらり」 〜プロローグ〜

        空気の抜ける音。機会をうかがってぷすっ、ぷすっ、と顔を出す。 さっきまであった空気の勢いが潮の流れに阻まれて仕方なく顔を出す。 あまりにも惨めな瞬間。 さっきまであった心地いい温もりが、思い込みの形だけを残して蒸発していく。 中身が なくなったその身体は浮かぶ力を失い、居場所を求めて沈んでいく。 あとはもう果てしなく暗い、深い底の砂場に当たった音が鈍く聞こえるだけ。 二度と浮かんでこない。もう、すくいあげることもできない。何度も味わったその屈辱を、

        • 〈小説〉(三題噺)「満員電車」「包丁」「厚焼きベーコン」

          三題噺(さんだいばなし)とは、落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。三題話、三題咄とも呼ぶ。(wikipediaより) 「満員電車」「包丁」「厚焼きベーコン」 京阪電車特急出町柳行、朝の通勤時間のこの沿線は都会の通勤電車に劣らない過密度の高さで、ついさっき着た白のブラウスに、汗が染み込むような暑さであってもそれは変わらない。洋紅色と黄土色の箱がただ感情を無くして、毎日、操られたよう

        〈エッセイ〉「他人(ひと)の名を着る人たちへ 〜現代の民藝を柳宗悦と探す〜」

        • 〈エッセイ〉〜アンネフランクはいつ殺されたのか 「アンネの日記」最大の功績〜

        • 〈小説〉〈詩〉「泡をすくって、早々とひらり」 〜プロローグ〜

        • 〈小説〉(三題噺)「満員電車」「包丁」「厚焼きベーコン」

          〈鑑賞、解釈、レビュー、批評〉新海誠監督作品「だれかのまなざし」を観て 理想の「普通」

          ※読む前に上記作品を視聴することを推奨します。7分弱の長さなので気軽に観れるかと。 自分の人生が作品として見られた時、人はどう思うのだろうか。 新海誠監督作品の「だれかのまなざし」には「普通」が流れている。普通の家族、仕事、住宅、街並み。近未来的な要素もあるがそれはその時の普通なのだと思う。親子関係、自立といった内容で、観ている人からすればなんとなく既視感を抱く。直接の経験はしていないけれど、新鮮さを感じない。この作品にはそういった普遍性が内在する。きっとそれは誰もが

          〈鑑賞、解釈、レビュー、批評〉新海誠監督作品「だれかのまなざし」を観て 理想の「普通」

          〈エッセイ)私たちは「歌う壁」を愛せるか。

          「A先生は怒っている。黒板に拳を叩きつけ、普段の温和な様子とはまるで違っていた。顔を警報ランプのように赤く染めながら、教室の壁を抜け、廊下全体に轟かすような声で私たちを叱責している。」それまで多発していた私語は止み、グラウンドで行われている体育の授業を気にする生徒はもう誰もいない。その時、近くの空を飛んでいたヘリコプターは消えた。 最近ネットで、地域の老人が「近くの保育園の園児の声がうるさい。」と訴訟を起こした。という記事を見た。私は「年齢の割になんと器の小さい老人だ。

          〈エッセイ)私たちは「歌う壁」を愛せるか。