〈エッセイ〉「他人(ひと)の名を着る人たちへ 〜現代の民藝を柳宗悦と探す〜」

1、民藝の父、柳宗悦(やなぎ むねよし)


 当時、宗教学者であった柳宗悦は工藝に魅せられ、河井寛次郎、濱田庄司らと共に民藝運動と呼ばれる生活文化運動を始める。なぜ柳は民藝運動を始めたのだろうか。それは彼の著作の中でひしひしと感じられる世間の美の捉え方、資本主義制度による機械工業への移行に対しての問題意識であると考えられる。そういった、柳の危機感による民藝運動によって民藝、工藝は今の我々へと受け継がれてきたが、果たしてその柳の問題意識は現在において解消されたのだろうか、柳の唱えた、民藝の特性に合致する現代のモノは何なのか、彼の著作と共に探していきたい。


 
柳の唱えた民藝の特性とは。
○実用性があり決して鑑賞の用としては作られていないもの
○一人の作家によるものではなく、無名の大衆の分業によって作られたもの
○誰もが買うことができるように安く多く作られていること
○健康的な労働環境によって作られたもの
○地方の伝統が刻々と現れているもの
○大いなる自然によって作られたもの
○単純であり誰でも作ることができるもの

 基本的にこれらの特性によって柳はモノを民藝とみなしている。主にこの特性と照らし合わせて、現代の民藝をさがしていきたい思う。


2、柳による“ブランド”批判


 では現代のどういったものが柳の言う民藝なのだろうか、機械化工業が主流になった現代、手工業による品をさがすとなると、いわゆるブランド物といわれるものが考えやすい。現在、我々の生活体系の中で工芸品、食品問わず様々なブランド品が溢れかえっている。工芸品のみを取ってもCHANEL、HERMES、GUCCIなどのファッションブランドではその分野に興味関心がなくても一度は聞いたことがあり、あの印象的なロゴマークたちを目にしたことがあると思う。ではこれらが柳の言う民藝であろうか。そうではない。柳はこういったブランド品を真っ向から否定する。
それは何故か、まず現代のブランド品の多くは値段が高く、一部富裕層のみが愛でることができる作品ばかりで、およそ庶民が軽々しく手を出せるものではない、そして何より柳はその手の出しにくさ、買いにくさがブランド品、個性の作品の問題であると述べている。


 柳は著作の随所で民藝を崇めるがためにブランド品を批判するが、その問題提起の主題は人の美に対する価値観である。近現代の民衆は「美というものは稀少性があり、個性色が強く、鑑賞として素晴らしいものである。」という認識である。尚且つブランド品となると、その名前価値(ネームバリュー)に惹かれ、作者名に惹かれ、「高価な物を身につけている」ということに優越感を感じている人が多いことを、否めないのではないだろうか。柳はその点においてブランド品に対する人々の美の捉え方を「真にモノに対して美を抱いていない」と批判する。


 では柳の誇った手仕事の国、日本に絞って見てはどうか、柳が唱えた民藝の特性と照らし合わせると思いつくのはやはり地方特有の工藝品ではないだろうか。焼き物、織物、練り物、そのあり方は様々で地方の自然の材料を使い、地方の職人の手によって作られる。そこには余すところなく伝統の軌跡が刻まれている。現代において京都という地域を抽出しても未だ盛んに作られ続けている。であれば現代の民藝ここにみたりか。

 
 私はそうではないと考える。原因はそれらの作品にあらず、現代の体制に問題がある。江戸時代からの近代においてそれらの作品は自信を持って民藝品であると言えただろうが、現代においてはそうはいかない。機械工業主流になり、柳の言う、利のみを求め、美を二の次にした資本主義体制は当然として手工業を圧迫する。手仕事で作り尚且つ安価であろうとする民藝品はその体制においてことごとく滅びていく。さらに民藝の多くは単純であり特筆した彩色、装飾を施さない。希少であり、華やかであれという、美を履き違えた現代の人々には注目されない。であれば民藝の市場は縮小せざるを得ない。

 つまり資本主義が民藝を殺したと言える。さらに市場が縮小するということは希少にならねばならない。有田焼、西陣織、江戸切子などを始めとした日本が誇る民藝品は近代初期には民衆の手によって作られ、余すところなく民衆に届けられる。しかし現代においては伝統を残していくために、人々に注目されるため“ブランド”に生まれ変わる。鮮やかな装飾をほどこされ、高価であることを強いられ、個性を持った作り手の名をモノに刻まなければならない。それこそ印象的なロゴマークを印すこともあるだろう。果たしてそれは民藝品と言えるだろうか。
 下手物であるから民藝品なのである、並物であるからこそ民藝なのである。



3、安価であること、多量であること


 民衆に届けられる現代のモノと考えて私が思い当たったのは、「百円ショップ」「百均」と呼ばれる、100円均一等の市場である。それらのものは安価であり多量であり早く作られる。さらにそれらの品物は人々の生活に深く関わり、柳の言う、実用性があり、鑑賞の用だけでは作られていない。尚且つそれぞれが創意工夫されている。個性は沈黙し、我執は放棄され親しみを持つ。柳も「少量に作るものに美が現れるなら、多量に作られるものにはさらに豊かな美が現れる。この真理が肯定できなければ民藝は成立しない」と述べている。であれば現代の民藝ここにみたりか。

 
これも私はそうでないと考える。問題は作り手と、安価である、ということにある。現代に蔓延るそれらの品物の殆どが機械によって作られている。民藝とは手工であり、伝統である。

 しかし柳は機械が民藝に介入することを真っ向から否定していない。
 柳が唱える民藝においての機械のあり方とは、機械が人間の補佐であること。人間が主であり、機械が従であること。その条件下において機械は人々の手を活かし、自由の幅を広げる。そういった柳の主張は現代にも落とし込むことができる。

 現在、機械化は絶頂へ向かい「AI化」などを始めとした、人が機械と共存する時代で、人間の仕事が機械に取って代わられるのではないか、という疑問が後を絶たない。その問いの答えとして、柳の考える機械のあり方が強く活きるのである。これから民藝をどのようにして再興していくのか。それは、どのようにして商業主義、資本主義に囚われ、強く結びついてしまった機械を取り戻すのか、機械製造に美しさをどのようにして持たせるのか。にあると私は考える。


 そして機械製造品が安価であること、ここにも問題がある。民藝とは安価であることその点において機械製造品は合致すると思うかもしれない。しかしそうではない。柳はこれらの品物は決して安価ではないと考える。それらの値段はあくまで適正価格であり、品物に対して考えうる高価であるということだ。それらのような柳の考えから、100円均一を始めとした品物は民藝品ではないと私は考える。



4.最後に、民藝は何処へ・・・


 柳は民藝の素晴らしさを提示するために人々の、高貴なものだけに美を求める姿勢を無粋甚だしいと両断する。その価値観を貧しいと叱責する。モノを見ず、至るまでの技に、作者に、希少材料に注目する、異常こそ美であるという価値観を否定する。それらの一見、民藝を再興するためとはいえ、荒々しいとも思える叙述から伝わる柳の熱情を私は受け取った。柳の危機感に同調した。

 
 さらに柳は労働と民藝のつながりを強く提示したことから、当時の労働環境、現代の労働問題を指摘予知した。人格が封印された今の労働環境では自由は得られず、民藝の発展は決してない。しかし労働は決して苦痛ではない。正しくもなく健康でもない労働が苦痛なのだ。利を求め人々を困窮させる体制にこそ問題はある。そういった体制は人々から働く喜びを奪ってしまう。喜びとは余裕であり、余裕は自由を生む。つまり民藝の美とは社会の美であり、社会が美しく健康であれば自ずと民藝は美しく返り咲くのだ。

 
 現代に、少ないが確かに残る職人による伝統工藝では自信を持って民藝とは言えない。社会というのは民衆であり、民藝が社会を美しくすれば当然、民衆も美しく健康的になる、そういった民衆は美しい民藝を生み出す。柳はおそらくこういった社会と民藝の循環を提示したかったのではないだろうか。であれば、美は普遍的でなければならない。私的な利を求めてはならないのだ。美は誰にでも作れるものでなければならない。

 
 では民藝は何処に、柳は現代の我々に問うだろう。私には未だ見つからない。しかし、美を正しく見つめる民衆が、健康的な労働体制の下、平常心で働くことができれば民藝は復興し、新しく生まれ出るのは明瞭である。



追記

 ここまでの文章を読んで頂いた人たちの中に、柳宗悦に否定されたような感想を抱く人がいれば、それは私の文章が未熟であった事によるものだとお伝えしておく。

 柳はブランド品も機械工業も明確には否定していない。かくいう私もpatagoniaの衣服やその方針に魅力を感じたり、KANGOLのシャツを着ている友人を馬鹿にしない。

 機械工業に関しても、柳は、人と機械の関係を主従と捉えたが、私は、現代ではその主従関係すらも要しないと考える。

 しかし、明治に生まれ、昭和の戦後を生きた柳宗悦という男が先見の明ともいえる考えを持ち、私たちに託し、私たちに「民藝とは何処へ」と問い続けていることを覚えていてほしい。


 他人(ひと)の名を着る人たちへ、貴方が着ているのは美しさか、稀少さか。


                                                                〈終〉





参考文献
柳宗悦(2006)『民藝とは何か』講談社 講談社学術文庫.
柳宗悦(2015)『手仕事の日本』講談社 講談社学術文庫.
柳宗悦(2005)『工芸の道』講談社 講談社学術文庫.
日本民藝協会(発行年不明),「民藝とは何か」〈http://www.nihon-mingeikyoukai.jp/about/〉〈http://www.mingeikan.or.jp/about/imgs/ph_yanagi.jpg〉

2018年7月9日アクセス

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しらたま

エッセイや短編小説、詩などを手癖とその気に任せて書いています。 如何なる反応も嬉しく欲しています。
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