18/09/22 ススキ

これが大人になるという事だったら、私は一生、大人にはなりたくないと思います。
(ラジオネーム:蓮ノ 東京在住 21歳)

こんにちは、毎日拝聴しています。特に第4回は神回でしたね。

さて、今回のお題についてですが。大人とか子供という言葉は、多分18歳くらいから軽はずみに、そして都合よく使い分けられるモノで、20歳になってからは更に過剰に使い分けられると私は思います。

例えば、私はチョコレートを食べたい時に食べます。夕食前に食べて、怒られて、子供だな。と言われても大人だから食べたい時に食べたいだけ食べるわ。と答えます。
反対に、1日の終わりにお風呂に入らず寝てしまっても、子供なんだからしょうがない。と

だいたい18歳から22歳の間に、社会的に色々なことが解禁される。選挙への参加、免許取得、深夜外出、酒、タバコなどが挙げられます。あ、あとはレンタカーの保険の種類なんかもですね。
それらは社会的に、モノゴトの判断がつき、自分である程度責任を取ることができる。という風に考えられているから解禁されていくんですよね?

それはいいんですよ。出来ることが増えるのはわたしも楽しいですし。でも、それを一括りに大人として扱うのは違うと思います。成人したからもう大人ね。車の免許とったらもう大人よ。というのは違います。

だって、人は誰かの子供である以上、一生子供だし、特に私たちの年頃は成人したとはいえ親に頼らずに生きていくことは難しいんですよ。
あ、これは揚げ足取りになってしまいますね。

まあそんな人に、もう大人でしょ。しっかりしなさい。嫌なことがあってもムキにならないで。感情を隠しなさい。と言われても困る。お門違いです。

大人の定義というものは曖昧で、判断できる歳=大人というのは時には違うことだってあります。心はいつだって奔放で嫌なことは嫌だし好きな事は好きなのです。

そうだ、年齢も心も成熟し、ムキにならず嫌なことがあってもニコニコして、受け流すことができる人の事をススキと呼ぶのはどうでしょう。

赤ちゃん、子供、大人、ススキ
これだったら私も納得して大人をやることができます。

まあ、そんなこと、今この世界を徐々に蝕んでいる黒い砂漠によって、私たち人類がメツボーの危機に晒されていることと比べたら大人か子供かなんてどうでもいい事ですね。

このメールも届いてるかなんてわからない。だって近くの基地局も、ついに砂漠に飲み込まれたっていうじゃないですか。

私の周りにはもう誰もいません。みんな飲み込まれていきました。私もそろそろですかね。何の感情もありません。

団地の屋上にいるんです。でも、もう膝あたりまで砂がきています。足を引き上げようにも上がらないんですよ。なんかもう砂漠の一部になっていくような感覚です。

飲み込まれること。に抗わずに時が過ぎるのを待っている私はもしかしたらススキなのでしょうか。それとも砂漠に飲まれることを受け入れているという事でしょうか。

わたしは、先程定義したススキになるくらいだったら、いや、これが大人になるという事だったら、私は一生、大人にはなりたくないと思います。

なんだか、この砂漠に怒りが湧いてきました。私はこの、もうすでに太ももあたりまで来ている砂漠から脱出してみせます。抗ってみようと思います。

まだ若いのに、まだ子供なのに、こんなに弱い人間をただの砂の集まりが飲み込んでいく。こんなものには負けたくありません。
大人のように頭を使って、子供のように必死に、頑張ってみようと思います。

凄く、凄く、嬉しいです。ペンを買います。