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19/03/28 美貌とか美貌とか、富とか地位とか

小学生の時、可愛いと言われる程の顔も、魅せられる程の美貌も地位も名誉も持っていなかったので、学年で可愛いと言われてる女子とか、足が速いからモテてる男子がなんとなく好きじゃなかった。簡単に地位を手にしやがって…もともと磨かれていたダイヤモンドめ…と

それでも私は永遠の5歳児で、永遠のプリンセスだから毎日鏡を観ては、悪くない、むしろ可愛い方なのではないかと思っていた。
足もリレーの選手になれるくらいには速いし、そんなに悪くないのにかけてた眼鏡も、周りとは違ってイケてる。

永遠の5歳児は、進学ごとに気づく、新学期、クラスで可愛いと騒がれるメンバーの中に入れていない事。修学旅行、男子の誰からも連絡がこない事。足が速かったのはたまたまだったこと。私はみんなが羨むほど可愛くないという事に。

こうなってくると困ったものだ、自分が好きだから自分を蔑ろにする他人のことが理解できない。私は自分の世界へ入る事にした。

そうしている間に周りは、持ち前の可愛いフェイスや、学力や、イケてるグループに属す事で、自分を周りと差別化していった。

ああ、出遅れたと思った。私が今持っているものってなんだろう。
YouTubeで手に入れたインディーズバンドの知識や、本屋で手に入れた成人雑誌に載ってる漫画、ちょっと小難しい〇〇賞作家の小説、自分が持っているものはすべて、もうすでに何かを持っている人が作り出したものだった。

これらのものを誇っていてもしょうがないと思った。これを持っているから誰かに愛される事はないし、誰かに羨ましがられることもない。

誰も持ってない、誰にも持てないものを私は持ってないんだな。

そんなこんなで、大変土台の曲がった思春期だったから、私の心は大きくひん曲がった。土台が曲がっていたんだもの、まっすぐ立つわけがないじゃない。

この呪いは誰かに認められなきゃ解けない。王子様にキスされるよりも難しいことだ。

大学生になってもまた、可愛いランキングには入れず、異性に連絡先を聞かれることもなくグループラインから勝手に登録されていったし。一目置かれる特技も、ファッションセンスもない。
もう諦めていた。

幸いにも精神的に大人な友達に恵まれ、周りも気にせず大変楽しい大学生活を送ってきたとき、心にぽっかりと大きな穴が空いている事に気付いた。

忘れてたけど私には何もなかったじゃん!

もがいた、何者かになるために。いろんなことをした。目をつぶってバタバタと手足を動かしていたある夏、私は絵本を描いていた。

今まで私を構築した何かが、構築された私を動かした。すべてを絵本に吐き出すように。

これは可愛いと言われたい訳でも、誰かが羨むような事をしたい訳でも、何者かになりたい訳でもなかった。
自分をただ、世間にさらけ出しただけ。絵本はいろんな人に求められ、文章も褒められた。絵と文章の雰囲気が好きだと言われた、
すごく気持ちが良かった。あ、これか、私が持っていたもの。

美貌でも富でも地位でもない。なんでもない私に価値があったんだ。

絵本作家、大学生、ラブホテルの清掃員、いろんな名前が私の肩から降りた時、そこに残った私こそが、名前にできない何者かであり、存在価値だった。

永遠の5歳児が帰ってきた。また心に5歳児を飼って、私は今日も胸を張る。

#幸福論 #日記 #お話

凄く、凄く、嬉しいです。ペンを買います。