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新しい定規

二十三歳になってしまった。毎日つけているゴールドのネックレスを触りながら思った。これは3年前、ハタチの記念に買ったものだ。

夏に生まれた子供らしく、肌はもとから小麦色だった。白くなろうと心がけた時もあったが、いくら家に引き篭もっていても黒いままで、でも、ゴールドのアクセサリーがよく似合っていると、我ながら思っていた。

このネックレスを買って3年、私はまだ家具の配置すら変わらない、同じ部屋に住んでいる。

変わったことといえば、大学を卒業したことぐらいだろうか、体重も身長も、さほど変わってない。

過去に抱いた夢や希望も、そのまま持って、ここまできた。

変わったのは過去に夢見た将来が、今になってしまった事だけだ。

今の自分はどうだろう。何も得られていないどころか、夢すらもあやふやになってしまった。

やりたいこともなければ、なりたい将来の自分像もない。
それは過去の自分にとっての将来は今だったから、なのだろうか。

ここがゴール地点だと聞いて、頑張って、頑張って走ってきたのに、いやいや、まだ先ですよ。と言われたような、そんな気持ちだ。

もうちょっと、と走り続けられるくらいのガソリンも、急な坂道もない。気づけばもう、走れなくなってしまっていた。

OLにだけはなるなよ。と、二十歳の時に届いた十二歳の自分からの手紙、私は、当時その手紙を書いたときの自分の気持ちも、数年後、それを読んだときの自分の気持ちも、どちらも風化させないで持ったまま、今まで来た。

それを軸に何事も選択してきた。
浅はかだった小学六年生のガキンチョの頃の心を、大人になったいま、いや、二十歳になった時になぜ、自分にもう一度問いかける事をしなかったのだろう。

ただ、食わず嫌いな子供が、ピーマンを食べないのと同じように、会社に属して働くことを断固拒否してきた。

その気持ちの根っこは深く、今も骨の髄まで張り巡らされている。

会社に入らない。
このメモリの粗い定規を持ったおかげで今やすっかり、ダメ人間だ。

どんどん落ちていく自分を、少し遠くで離れて見てみるといつもそこには、
すごく滑稽で、厚かましく、いやらしく汚い人間が座っている。

毎日生きている心地がしない。

それでも、不思議な事だが仕事は好きだ。時間を忘れる事だってある。
悩みも楽しみも、仕事以外ではなくなってしまった様に思う。

でも、仕事だけを糧にするのは、これから何十年と生きていくには気力が足りなすぎる。

結局いま、私は何がしたいんだ。
この定規として持ってきたおかげで、すっかりわからなくなってしまった。

過去の自分のおかげで普通の人生では出来なかった体験もたくさん出来た。それは感謝したいくらいだ。でも結局それで、いまの私は何なんだ?

会社に入りたくなかったのは、人間関係や、起こるであろう恥ずかしい出来事から逃げられないのを、恐れているだけなのかもしれない。

毎日決められた時間に出社する規則を、守れなくなってしまう時が来るのが怖いだけなのかもしれない。

与えられた事だけをする人間になるのが怖いのかもしれない。

当時のわたしが持っていた違和感に向き合い、かもしれないそれを乗り越えることは努力に値するはずなのに、どうして一歩、踏み込めなかったのだろう。

乗り越えた先でも、今の地点でも、かもしれないことは同じな事は、とうの昔に分かっていたはずなのに。

いま、会社に入らない選択をしてまで、貰っている仕事も満足にできていないじゃないか。
何が会社に入りたくない。だ。本当にバカだと思う。

まずは、かもしれない。と向き合ってちゃんとこなしていこう。
何だってできる。だって、こんなテキトーな定規を持ったまま、ここまでこれたのだから。

それでそのあと、新しいのと取り替えよう。

ずっと前から、肥やしにしてきた。
これを持ったおかげでたくさん良いこともあった。
だけどもういらない。

会社に入ろう!と言うわけじゃない。
違う定規を持つだけ。なんだって良い、それで今度はちゃんとそれと向き合おう。

もう、これから大事にすべきなのは会社に入らないことじゃないってわかったから、もっと人として成長できる何かを。

今は生きていく気力がないからとても怖いけど、余生までまだまだ時間があるのだから。何だって、何度だって、まだわからない何かが、出来るはずだ。

凄く、凄く、嬉しいです。ペンを買います。