父親の偉大さが亡くなって気付いた

こんにちは観測ログです。ツイートも記事もまとめる事も出来なかったことをここで少し説明します。父親が突然亡くなってしまい、てんやわんやで4日も経ってしまいました。まだこころの整理はついてませんが、少しだけ書かさせて頂きます。

もうこれ書きあがる事には一か月以上かかってるかもしれないです。

多分書き終わるの49日後かもしれないです。


父親の詳細

生年月日:昭和24年7/7産まれ

今年70歳になろうとした父親です。

職業は、骨董屋で刀剣専門でやってました。

父親の経歴

父親は中卒なのですが、中学卒業前に家出して、大阪の西成の日雇いで年齢偽って18歳で働いてたところ祖母から連れ帰され、きちんと中学卒業して、型枠大工や喫茶店雇われオーナーや工場長やなんか色々やっていたそうです。駆け落ち逃亡劇もあるみたいで、詳しくは聞いてなかったので書けませんが、自分の母親と付き合うまで5人から6人付き合ったと聞いてます。

それで地元に戻ってくるまでに2千万くらい貯金して、祖父に家を建てる為に金を出したらしく、それが今の自分の実家です。

それが昭和40数年で、父親は地元に戻ってから布団工場で事務やってた母親と出会い、それから数年後結婚して僕が産まれました。


父親の別荘の畑



僕と父親

俺が幼いころから親父は、指がありませんでした。

仕事の事故で巻き込まれて、親指と人差し指が欠損して中指が複雑骨折第一関節で曲がったままなのです。

それが幼稚園時代の俺には衝撃的で父親の指が無い事を隠していました。ずっと嫌だった指欠損の父親の当時の仕事は花屋で樒(シキミ)を山に登って伐採したり、自宅近所で栽培して販売したりすることでした。

しかしそこで創価学会の人にイジメにあい花屋は潰れて人脈も崩れていきました。

僕が小学校高学年の時に骨董屋を趣味で初めて露店ではじめてました。
フリーマーケットや骨董市での出店で少しずつ出店して。最初こそ売れなかったけど名前も売れ出して。大宰府天満宮での出店で1日で80万の売り上げだし好調だったみたいですが、出店する場所が少なくなり今までは九州限定だったのを全国規模に広げたのち北は北海道から南は、鹿児島まで出店してました。

1ヶ月0円とか無いですが赤字はザラであります。露店なので

それでも売れる物は必ず買って即売ってました。そんな商売人でも無いのに売る技術はマーケティング手法になってたんです。(本で後で分かりましたが)人に教えてそれでファンになった人に売る手法でした。

だからどんな高いものでも売れてました。高いもので熊本の某美術館で飾られてたりしてます。

火縄銃は、玉名の美術館にあったりします。

それだけ尊敬してた親父が突然亡くなると結構心労もありましたが、一応残したいと思い書き上げました。

自分の為にも親父の為にも何かの形で残したいと思い書き上げました。

尊敬する父親が突然亡くなるって現実で受け止めれない

でも受け止めて前に進まなきゃいけないです。


写真の子は甥っ子でおじいちゃんっ子


まとめ

父親の存在がデカイと亡くなるだけでこころの中がデッカイ穴空いたような気がして、何も考えれれない。
だけど、思い出を忘れたら駄目なのでネットでも書こうと思いました。

絶対に忘れないで思い出を残していきたいですね。

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