24歳が転機

24歳になった。
待ちに待った、と言っても過言ではないかもしれない。20歳までの誕生日まではそれは毎年楽しみにしていたが、21〜23歳は「いつもの」という感じではあったので、久しぶりの特別な一日だと思う。
なぜそう思うのか。
自分にとって24歳はターニングポイントになると思っていた。

15歳のときだった。よく当たると言われている手相占いに手相を見てもらった。
そこで言われたことは、三つ。

・絵とか芸術作品に触れること
・このままでは大学は進学しない
・24歳でデキ婚

なかなかパワーワードだった。
特に15歳なんて世間を知らないものだから、すぐに受け止められず、言葉が体中を駆け巡った。そんな中でも占いには関心があったから、適切に信じていけたのだと思う。

また、占い師には「手相は成長とともに変化するもの。生きていく上で道しるべとなるものであって、その通りに行くとは限らない」と言われた。

占いに無関心だったら、「保身に走った」「やっぱりインチキだ」と思ったかもしれない。ただ、“道しるべ”として別の未来の方がいいな、と思った。そしてやっぱり見透かされていたような気もしていた。

「絵とか…」の芸術作品に触れることは、おそらく文学との出会いだったのだろうと、今では思う。国語が好きだったが、だからといって本を読もうという考えに至らなかった。読書家の友人が身近にいなかったのもあるだろうか。どういった経緯で文学部に進むことになったかは割愛するが、これこそ“道しるべ”と言えるだろう。

大学進学は周囲に倣ってするものだと思っていた。だが、兄が専門学校の道を選んだばかりで、「高校で将来の夢が決まったら大学行かなくてもいいな」と考えていた。これこそ見透かされていた、と思った部分だ。ただ漠然と「大学に進みたい」ではなく、「大学で何を学びたい」を追求できたのではないか。前述の文学部で学びたい、と思えたのである。

やはりこれだろう。24歳でデキ婚。
思春期だった私には衝撃的すぎた。大学に行かずにデキ婚。その情報だけ見たら、一般的に皆が子どもの頃に思い描く〝人生〟とかけ離れている。これだけは何としても避けたかった。未来を変えるためにはどうすればいいか。ドラえもんのようにタイムマシンに乗るわけにも、デロリアンをタイムマシンに改造するわけにもいかない。

大学に進学すれば未来も変わるのでは?と思った。結果はご覧の通りである。未来がよくなったかは、タイムテレビがあるわけじゃないし、分からない。ただ、読書はとても有意義なものだと知ることができたし、大学時代の出会いや経験は貴重なものだ。

さて。
その運命の24歳になった。
彼女の〝か〟の字もないのだが。未来を変えすぎたのか?いやいやいや。まだ24歳はあと364日ある。
後悔なく。一日一日を大切に。

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