見出し画像

病気のこと《第1部》

いわゆる“うつ病”と言われる心(脳)の病気についての体験を書いていこうとしています。

気が向かない方はスルーしてください。
また、同じような病気で今とても苦しい状況の方はどうか少し後回しにしていただいたほうがいいかもしれません。

ただの普通の会社員ですので医学的・学術的に確実なことは書けません。

実はここに書くことの意味が未だに明確ではなく、誰かの参考になればとの思いもあれば自分の整理のためでもあり、誰かに聞いてほしい気持ちや言い訳的な自意識が混じっているのも確かだと思います。
それでも、記憶が定かのうちに書いておく意味がどこかにあるかもしれない。
ここに書いてもそれほど人目に触れる可能性は少ないし、この病気と自分を特別視しようなどとは思ってもいない。
もっと重く・長く・苦しい思いをしている方が多くいることもよく知っている。
欧米では有名人がカミングアウトすることが割とあり、日本でもそうする方が増えてきたから今やそれほど特別な話ではないのかもしれない。
それでも少なくともこんな思いをする人が少なくなってほしいし、一例として読んでくれた方の少しでもの参考になればと思っていて。
この病気には、普通に考えればそんな状態になってまで無理することはないなどと思えることをしてしまう・させてしまう側面があることや、体の病気と同じで誰もがなり得ることなどは知っておいたほうがいいはず。
誰にもいやな思いはさせたくないと思っているのですが、もしかしたら良くない感触を感じることもあるかもしれません。ご容赦ください。

自分がどんなふうになって、どう快復し、まだ治療中の今思っていることなどを書こうと思っています。

目次
《第1部》
発症
 不眠や休職までのもがき
休職
 休職とその後に起きたこと
(以下予定)
《第2部》
休職後のトンネル
 カウンセリング
 認知行動療法
 U2plus
 マインドフルネス?坐禅?
快復徴候?
《第3部》
復職
ふりかえり(原因など)
快復、そして今とこれから

《発症》
[不眠や休職までのもがき]

数年前、心身がどうにもならなくなってしまい仕事を休まざるを得なくなった。
診断書には抑うつ状態(つまりうつ病)と書かれていた。

【はじめはよくある不眠だった】
ただ、今思えば不眠を意識する前から漠然とした違和感があったと思う。
不眠を意識する数か月前から軽い仕事を何となく面倒に感じて後回しにしていたり、漠然と本調子でないなと感じることが多くなっていた。
また、なぜかちょっとイラついていたり理由なくヤケになっているような感覚があったのは確かだったと記憶している。

そのうち眠れていないなと感じるようになった。
元々それほど寝つきのいい方ではなかったが、理由もなく相当に寝つけない日があったりして何となくおかしいと感じるようになり。
当時は関連性を感じなかったが、徐々に大したことない仕事や連絡調整とかを何だか億劫に感じたりするようになってもいた。
それでも表向きは普通にできていたし、周りには気づかれていなかったと思う。

眠れないのは疲れが足りてないせいではと思いもっと机に向かってみたり、アホな話だが仲間を誘って大酒を飲んだりしてみても眠れず、そのうち毎晩のように明け方のカラスや雀の声を聞くようになり、頭痛や体のだるさ、重さが続くようになって何かしらの異常を認めざるを得なくなっていった。

【自転車に乗れなくなった】
長く趣味で楽しんできた自転車。
休日はいつも乗っていて、峠を越えたり湖に行ったりしていた。
ある休日の朝、いつものように乗り出してしばらくして違和感を感じた。
何だか体がだるくて重い。
走っているうちに治まるだろうと思ったが、途中で休憩しても良くならず結局引き返してきた。

こんなことは今までなかった…
今思えばサインの1つだったのかもしれない。
それ以来、気が向かず乗りたいと思えなくなってしまった。
休職し体調が戻ってからもそうで、復職し数年経った今でも乗れずにいる。

【病識ともがき】
そのうち不眠が毎日になり、明け方いつの間にかまどろむように寝ていても目覚めると頭痛や体の重さがあり時々会社を休んだりするようになった。

何となくそんな病気があることを知ってはいた。
会社の研修などで聞いたことはあったし、それで休んだりしている人もいた。
だが自分はそんなキャラではないし、その時よりずっと量的にも質的にもきつい仕事をしてきていたからまさか自分がなるはずはないと思っていた。

どうやらおかしいし、やばいのかもと感じだしてはいたが、疲れがあるのかもしれないがこれをやり遂げればひと息つける、そうしたら楽になるはずと思っていた。

当時持っていた仕事の1つに大きなイベントがあり、これには自分なりにこだわりがあった。
いろんな課題をクリアできるはずと自分で発案し、入念に考えて事業化したイベント。そのために周りを巻き込んで協力してもらってもいた(結局途中でリタイアし、後で関係した方からあれは良かったと聞いて少しうれしくは思ったのだが)。
もちろん(というかかなり)会社に迷惑をかけたくない・かけられないという気持ちもあった。

今思えばだが、この頃にはこれまでへの自信・過信と、おそらく途中からは症状による思考の偏りなどが混じりだしていたのかもしれない。

【受診】
そんな状況が続き、やっぱりおかしいしもう自分ではままならないと病院に行った。
これも今思えばアホな話だが、2回目の診察で診断書を書くからしばらく休めと言われ、客観的にはそんな状態なのかとショックを受けつつも、仕事しながら治したいからその方向で治療してほしいと注文した。

処方してもらった薬は効かず、不眠も改善せず、それどころか副作用もあったりして状態はひどくなるばかり。
そのうちさらに頭は回らなくなり、体は重くだるく、そのうち手足のしびれなども出てきて少し休んでも効果なく…
いい加減自分の状態を認めざるを得なくなってきてはいたし、いったいどうなってしまうのかと怖さを感じてもいたが、それでも医師には相変わらず同じ注文をし続け、仕事では自他ともに状況が遅々としているように思え打開できない自分にやりきれなさを感じながらやっていた。

【フラッシュバック的なこと】
この頃、その状態に上乗せするようなことがあった。
詳しくは書かないが、仕事の仲間が精神的に参ってしまい「消えたい」と言ったと聞かされたことがその発端ではあった。
言い訳に思えるかもしれないが、自分なりにはかなりフォローしてきていたし彼も頑張ってはいたが、周りにも彼にも仕方のない状況があったのも確かではあった。

ただそれを聞いた時、1年少し前にとても大切な仲間が亡くなった悲しいとか過去のこととは言い尽くせない記憶が思い浮かんだ。
自死だった…。そんな素振りは全く感じられなかったし、結局動機も判らず。
後から思えば気づけなくても仕方なかったのかもしれないとも思えるが、当時は悲しみと気づけず何も出来なくて申し訳ない気持ちと自責、何より大きなショックと答の得られない空虚感のようなもの。
そしてそれらを抱えたままご葬儀など…
それでも残ったメンバーには当然日々の仕事があるし、自分はそれをまとめる立場にあった。
もちろん自分だけのつらさとは思ってもいないが、仕事をトラブルなく回すため半ば呆然としながらもメンバーをまとめようとし、その後のドタバタを過ごした記憶(補足しておくが彼や誰かに責をどうこうではない)。

また同じようなことが起きかけている…、と感じてしまったのか、さらに状態がきつくなり体が動かなくなった。

この頃、休日に家人と出かけたのに目的地に向かえず引き返したことがあった。
楽しみにしていた行事だったのに体が重く、気づいたら呼吸がずいぶん早くなっていて、吸っても吐いてもうまくできず胸苦しい。
総てがぎくしゃくしているようで怖さが膨らんでいく。

その頃からはもう何をしてもどうにもならなくなり記憶が曖昧になってきている。
それでも自分のフリーズした状態や周囲のままならさにイラついたりしつつ、時々仕事を休んだりしながらも少しずつ仕事を進めようとしていたし、関係者の集まった席ではかなり朦朧としながらも何とかプレゼンしたりそれなりに応対して進めてもいた。
とは思うがその頃には周りがどう思っていたかは判らない。

《休職》
[休職とその後に起きたこと]

それでもどこかでまだ一段落すれば何とかなるかもと思って(思い込んで?)いたし、例のイベントへの思い入れもあって心配しくれた方にもそう言い張ったりしていた。
結局は、本当に悔しく情けなかったが、上司や産業医とのやりとりを含め時々朦朧としながらも足掻いたあげく休職することになってしまった。

余談だが、その時に面談した産業医が自分の話を聞いて「もうそんな状況じゃないでしょ」と笑みを浮かべながら言ったのには今でも憤りを感じる。
普段だったらただじゃおかなかったはずだが、当時はそのエネルギーすらもなかった。

不眠などの不調を自覚してから休むまでに8か月ほど。
これもまた今思えばアホな話だが、休むにあたって主治医の診断書には「1か月の自宅療養を要す」と書いてあり、「あ~そうか。とにかく1か月しっかり休めば治るんだな」と思った。
後に主治医から「とりあえずそう書いただけで、何度でも書くから休職を延長すればいい」と言われ、はぁ!?(--#)と思った。
普段だったらただじゃ…以下同文(笑)

忙しい(実際通院してみて来院する人がこれほどいるとはと思った)とか後で知った医療報酬の事情などはあるだろうが、それでももう少し丁寧な説明とかできなかったのだろうか(後にこの医師とは離れることになる)。
実際、結局は、そうなったのだが…

休職手続きのため、いろいろこらえながら会社に行き、お詫びの挨拶や引継ぎ(あれほどやってきたのに余裕がなく簡単にしか書けなかった)を書いたりし、1か月後の復帰のための産業医面談の予約を入れ家に帰り、「悔しいけどもう仕方ない。とにかく休んだら楽になるはずだし」と少しほっとした思いも感じた。

ここまでもずっと相当心配していたはずの家人がそっと「こんなこともあるしこれまでずっとやってきたんだから休んで良くなってまたやればいい」と言ってくれたのが本当にありがたかった。本当に。

結局こんなことになってしまった。
なりたくてなったのではないし、ただ仕事してただけなのに…
が、いろいろ思うことはあれど1か月経てばまた動けるはず。そう思ってとにかく休もうと休職生活を始めた。

驚いたのはその後のこと。
不眠以外の体の症状は割とすぐにかなり改善したのだが、精神的な苦しさがさらにひどくなった。

体は本当にすぐに楽になった。
眠れないのは続いていた(睡眠導入剤にも向き不向きがあった)が、他の症状はかなり楽になり(副作用でのだるさや便秘とかはあったが)、復帰を考えてウォーキングや軽い筋トレを始めた。
とにかく体は大丈夫そうだ。少し休んだらここからはまた前に進められるはず。
そう思っていたし、拠り所にしていたのだがそれもつかの間(というよりほぼ同時に)、気持ちの落ち込み・重さがこれまで以上に降りかかってきた。

休職という状況では仕方ないことでもあるだろうし、休めば良くなるはずと思い直しても気持ちはマイナス方向へ向かっていく。

【何もしたくない、できない】
こう書くと簡単だが、本当に全てに無気力で気が重い。ちょっとしたことにも気持ちを作らないとできない。
さらに良くないニュースなどにマイナス思考の連鎖が起きたり数多あるゴシップ的なものすらスルーできず気が滅入るのでニュースや新聞の記事すら見られなくなっていった。
仕事をしていた時の方がまだましだった気すらする。
そう気づいて尚更情けない気持ちや不安が大きくなり、余計に気持ちが沈んでいく。

【消えたいという思い?感覚?】
それだけならまだしも、いわゆる希死念慮というもの。
これを病気の症状だと言ってもなかなか判らないと思うし、誤解する人もいるかもと思う。むしろ判らないままの方がいいかもしれない。

本当にうまく表現できない。
もがきながら仕事していた頃にもどこかへ行きたい、いなくなってしまいたいというような感覚(感情?)は時々感じた。
実際その頃、出勤で朝いつものように家を出たのに、気づいたら全く別の路線の初めての駅に降り立っていたり、どこかの歩道橋の上で車の流れるのを見ていたりしたこととかもあった。

病気でこんな状況になり、会社や家族に迷惑と心配をかけ、キャリア(元々大したことないが)もマイナス、先が見えないなどの心情からくるリセット願望は確かにあった。
ただ、そうしたものとは間違いなく別の、何かもっと自動的な何か。
衝動という瞬間的、短期的なものとは違う、自分の中のベースにそれがあって何をしてもそこへ向かっていく感覚。
本当に普通にしている人には判りにくいと思う(自分もそうだった)が、意を決するとかではなくもっと自然にすっと気が向いていく(例えばコンビニでレジ脇のチョコとかを手にするような)。
家にいて「こうしたら」とか、何とか外に出た先でも「ここならこうすれば」とか、目に入った状況で自動的に手順などが浮かびそっちへ向かっていく。

それでも自分の中にそれを恐れる感覚もあった。
ふっと気づいて怖くなり「こんなふうに考えていたらいけない」と止めようとしても、むしろそれが自然な、標準的な感じで、理性とは別に具体的になっていった…
いったいこれはなんだ、自分はどうなってしまうのだと怖さも強まっていく。

ちなみにこんな感覚を持つことがあることを医師からは聞いていない。自分で資料を調べて知った。

【休職の延長】
ふと我に帰り恐怖する、また指向するを繰り返すうちに体調もまたおかしくなってしまい、結局1か月後に予約していた仕事復帰のための産業医面談をキャンセルし休職を延長することとなった。

後になってから思えることだが、今思えば良かったのかもしれない。
当時のひどい時は布団をかぶって時が過ぎるのを待つしかできなかったから。
もしかしたらその頃がいろんな面で一番ひどかった時期かもしれない。
かなり長い間その感覚は居座り続けた。

そしてそこからが長くなった。

第2部へ続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?