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病気のこと《第2部》

これをアップする段になって、ふとこの記録を客観的に言い表せば闘病記というくくりになるのかなと思ったらちょっと違和感を感じた(読んでくださる人の数は置いといて笑)。
オリンピックなどで活躍が期待されていて個人的にも応援している人がある重い病気になってしまい、それを表明して療養に入ったことも遠因かもしれない。

闘病というと、薬や手術、時には重い副作用を伴う放射線などでの攻撃的治療、自己否定にすらなりかねないリハビリなど諸々のロスを経て立ち直って復活し何かを為すイメージがある。
もちろんそれはとても大変なことで、苦しく(自分も別件で少し経験がある)、低下した身心の状態と現実的なロスに自信をなくしながらも前を向いていく姿はまさに闘いで、人の心を揺さぶり元気づけるドラマとなることもある。

だが、この病気で苦しんでいた頃(今もではあるが)の自分はそんな気持ちを持ち得ていたかというと疑問がある。
恥ずかしく・情けなく思うが、闘っている実感は限りなくゼロでどうにかしたいとあがいてはいたが、すがるような思い「何とかしてほしい・なってほしい、救われたい」という気持ちばかりだった。
気持ちがしっかりしていれば治療で数値に表れたりして成果や改善を実感でき立ち向かっているという意識を持つことができる(それですら一喜一憂でとても言い表せないことがあるのだが)。
ところがこの病気(他の病気でもこのようなケースは多々あるが)では、感情だけでなく意識にも症状が出るからそのような前向きな思いを持ちにくい。
人は得てして「(それも大変だとは思うけど)もっと大変な人やそれを克服した人がいる」とか「自分ばかりじゃない」などと思いがちだし言いがちだが、それはそんな気持ちを持ち得た人・持ち得る状況のことで、大半の人は多分それだけではないことが往々にしてあることを認めたくなくてスルーしてそんなことを言うのかもしれない。
この病気にいるとむしろ落ちた状態のほうがベースラインに思えたりもしてくるし、薬その他の治療の効果を感じることが本当に難しく先が見えない。
そんな状況にいた頃の話。

目次
休職後のトンネル
取り組んだことなど
 カウンセリング
 認知行動療法
 U2plus
 呼吸法とマインドフルネス
 その他のこと
《第3部》(予定)
快復徴候
復職
ふりかえり(原因など)
そして今とこれから

《休職後のトンネル》
第1部のラストで産業医面談をキャンセルした後、医師に診断書を書いてもらい休職を延長することになった。
その際の診断書には(これもおそらくはとりあえず)3か月と書かれていた。
この時もまさかその後数か月ごとに延長を繰り返すことになるとは思ってもいなかった…
どうにかしたい・どうにかしなければと常に思っていたが思うようにならない。
休養のおかげか体の調子は割と良くなってはいても、不眠は残っていて睡眠導入効果もあると処方してもらった抗うつ薬で逆に眠れなくなったり、どれかの副作用なのか便秘や何やのことは続いていた。
何より不眠以外の体の状態が良くなってもそれを上回る精神的な苦しさ・気力のなさが常に覆い被さっている。
そしてそれに対する怖れ…と情けなさなども混じっていた。悔しいし何とかしようとしてもどうにもならない。
薄暗いトンネルで壁や地面すらあやふやに感じながら手がかりを探して恐る恐る足を運んでいるような感覚。

【人と話したくない】
それでも体力が落ち過ぎるのは避けたくて毎日のウォーキングと軽い筋トレは続けていた(これにもどこかに強迫観念があった)。
休職とは、つまり平日の昼間に家やその近くにいるということで、つまり近所の人などの眼が気になるということでもある。
それは当然でもあったし毎日同じ人に会うことは少ないからその場合の受け答えとか想像しつつも何となくスルーするようにはしていたが、とにかく人と会いたくない。
会社で手続きなどを担当してくれていた方との数か月おきの連絡や面談どころか、コンビニで店員さんと接触することすら気重に感じる。

この頃は朝ウオーキングに出かけ帰宅して昼食、午後は読書やTV・ビデオと軽い筋トレがルーティンだったが、夕方になると暮れゆくのが怖くて現実的だったり半ば妄想的な想像・心配が浮かび、パートに出た家人の帰りを心細く待っていたりした。

【むき出しになったような感覚】
もともと大したことない人間だが、それなりに生きてきてはいたし、自分なりに弱点を克服したり経験して学んできて少しは自負できるものもある。
妙な例えだが、ある時入浴後の洗面所で“G”に遭遇してしまい、近場にあるもので応戦しようとし(もちろん向こうには戦意などないが)、自分が素っ裸であることがとてつもなく心許なく感じたことがある(笑笑)
その時はドタバタしつつも何とか事なきを得たのだが「あ、この感じに近いかも」と思った。
先は見えないし立場や生活が心許ないと思うのはこんな状況ならあり得ることだし、病気以外でも誰しもが感じることかと思う。
ただこの病気にはそれを増幅させる何かがあるように思える。
普段自分を守っている意識や自信があっさりと何処かへ行ってしまい表面に傷口のようなものが広がっていて、誰かに触れられたら・自分でも触れてしまったらヒリヒリして深みにはまってしまいそうな感じ。
こんなにも弱くて脆いものだったのか…
自分でも笑えてしまうのだが、人の何気ないそぶり(きっと自分に対してどうこうではない)にすら後ろ指されていたり、きっと面倒な奴と思っているのだろうななどと感じる。
そんなはずはないと思い直してはみても、自動的に生じる感覚と感情には否応もない。

【景色がセピア色に見えた】
ある時気がついたら周りが靄ががかったような薄まった色に見えていた。
はっきりと白黒・モノクロとまでではないが全体的にセピアがかったような感じ。
とうとう目までおかしくなったのかと尚更気が沈んでいく思いがしたが、ふと視線が向かった先に雑草の花が目に入りそれだけは色つきできれいに見えた。
ちょっと極端だがモノクロ基調の映画などのパートカラーのような感じ。
何となくこれは良くないと感じ、それからは普通に色つきできれいに見えるものを探しスマホのカメラで撮るようになった。
その頃の写真には道端の花や空、コーヒーカップとか、そんなものが多い。

【ぐるぐる思考】
時には、ふっといつもより少しはマシかなと思えることがあっても次の瞬間には理由もなく沈み込んでいく。
休めば良くなるはずじゃなかったのか?いつになれば・どうすれば・どうなれば?
そんな思いばかりが繰り返し浮かんでいて、そう考えている自分が腹立たしく・ふがいなく、嫌気がさしてまた気が沈む。
念慮も依然としてあり、何をしていてもいつもどこかにエアポケットのようなものがあり気がつくと怖いとも思えるがそこに惹きつけられる感覚があった。

どこで何を間違ってこんなことにとか、逃げたくはなかったのに途中で抜けてしまった仕事への罪悪感や将来への不安など。
こんなことは今考えるべきことではないと思い直してみてもどうしても感じてしまう。

《取り組んだことなど》
【カウンセリング】

実はまだ休むからカウンセリングを受け出していた。
通院して薬を飲んでもどうにもならず、大切な友人に話を聞いてもらってもままならずにいた頃(友人は真摯に対応してくれたのだが、自分がもう時既に遅しだった)、ふと会社が委託しているサービスを思い出し、もう他にできることはないとすがるような思いで受け始めたのだがどこかで意味があるのだろうかとも思っていた。
確かにこれはどうやらおかしいしメンタル的なことのようだと感じていたとはいえ、面談・対話でどうこうなるものではなく、必要なのはマッチして緩和してくれる薬しかないと思っていた。

そんな思いで受けた最初の面談。
まずは聞かれるままに現状を話したら、まだ仕事を休んでいないことに驚かれた。
「あ~そうか、人から見たらそんな状況なのか」とは思ったが当時はそれどころではなく、どうにかしてほしいという気持ちしかない。終わった後、やっぱりこれに何の意味があるのか?という感じしか持てなかった。

それでも面談を続けるうちに構えずに話せるようになっていき、全く利害関係もなく、かつ専門的知見を持った人が話を聞いてくれ何らかのコメントやアドバイスをしてくれることに医師の対応とは違う何かを感じるようになっていったし、ちょっとしたアドバイスを大切に感じるようになっていった。
休職してからも同じ先生が担当してくれたことは本当にありがたかった。
だんだんとその都度の状況やこれまでのことをふまえたコメントやアドバイスがありがたく、専門的な見解などを頼りに感じるようになっていった。
ありがたかったのはとにかく自分を認めてくれていて、その上で話してくれること。
一番大きく感じているのは、「うつはあなたの表面にできてしまったかさぶたのようなもので自分全体のものではない」という言葉。
今はそうでなくともその時がくれば自分に戻れる。
これは本当にありがたくて日々の症状と苦しみの中でも希望のように思えた。
今振り返ってみるとそれらがよく感じられるし、今でも支えになっている。本当に感謝しかない。

【認知行動療法】
他の心理療法などやカウンセリングと違い唯一保険適用されており(つまり医療でも腰の重い日本でも効果が認められているということ)、そのことに異存はないし参考にもなっている(それ以外の療法が認められていないことへの疑問や治療者が少ないことは別として)のだが、出会いはいいものではなかった。

ある受診の時、どうしようもなく希死念慮が居続けていることを訴えた自分に医師が薦めたのがバーンズ氏(この療法の創始者的な方)著の『いやな気分よ、さようなら』。
この本自体は素晴らしいものだが、今の状態がかなりな方と周囲にいてその人にと思っている方にはお薦めしない。

近くの書店にないのでネットで注文しまずは届いた本の分厚さに驚いたが、医師の薦めでもあるし何とかしたい思いできっと何か役に立つはずと読んだ。相当な労力が必要だった…
判ったことはここに書かれていることは確かに正しい(認知の歪みやその矯正方法など)が、文化の違いも少しありそうだし、自分の性格のせいかもしれないが理屈では判ってもそれが根本的なところには響かない場合もあるだろうということ。
何より病状などについての時にリアルな描写が尚更に希死念慮と要因の一部ではあっただろう自らを消すという選択をしたのかもしれない人達のことと自分の念慮を想起することになり余計に「いやな気分」が増幅されてしまった。

おそらく自分の状態がこれを読むタイミングではなかったのだろう、全くに。
主治医はその是非は別として短い診察時間の中で希死念慮を訴え「いやな気分・感覚」と表現した患者にキーワード検索的に反応し(それだけではないかもしれないと思いたいが)薦めたのかもしれないが、もう少し考えがなかったのだろうか。
例えば認知の歪みについてのヒントを示すとか、もっと導入的な本(後から知ったが、日本の医師が出してるとてもいいものがある)を紹介するとか、状況に応じたことを…
さらに、そんな読後感を話したらその医師は何かを取り繕おうとしたのか知れないが「あぁ、ちょっと読むタイミングが合ってなかったかもですね~(はい、次的に)」と言った。少し笑みを浮かべながら。
確かに治療としては薬その他を「試してみて」、それが効かなければ次に別のをというのは判る部分もある。もちろん軽めに言うことで患者の不安を除こうとしたのかもしれない。
だがこっちは何とかしてほしくて恥を忍んで受診してきていたのだしこの本を薦めたのは誰?
第1部での産業医と同等かそれ以上の憤りを感じたが、いかんせんエネルギーがなかった。
今でもごくたまに思ってしまうが、あの時いつもの反発力があったら彼らには相当のことを負わせていたはずで、自分にとっても別の意味で良かったかもしれないと思う。

話が逸れてしまったが、この療法については後になってから別の本を読んでみたりして考え方などもある程度理解できたし、確かに自分にも認知の歪みがあると知り、参考にしたり振り返り的に役立ったりはしている。
ただ、やはり性格的なことだろうか。理屈では判って整理することまではできても感情的な整理までは難しいとも感じる。

【U2plus】
そんな頃に東藤さんという方の書いた『ゆううつ部!』という本を知ることができた。
自らもこの病気の当事者である著者が不良を抱えながら様々な当事者の話をまとめてくれたもの。

これはありがたかった。
同じような思いをしている人がいる。
出口は見えないけれどいつか見えるかもしれないと思えた。
それで知ったU2plus
SNSでネガティブなことをってどうかと思ったが、認知行動療法のエッセンスを取り入れているというので始めてみた。もちろんすがるような思いが強かった。
コラムの記録など認知の歪みに気づき修正するワークなど他のものでもある認知行動療法的なコーナーもとてもいいが、一番は「(ほんの少しでも)できたこと・たのしめたこと」を書き込むコーナー。
ルールとシステム的に書き込んだことは登録している人たちには見れるがそれに対するコメントはできず「いいね」、「気になる」とかをリアクションボタンで伝えるだけ。
でもそれがいい。
それで何の効果がとかゆるいとか思う人もいるかもしれないが、実はほどよい感じのコミュニティ的な場所。
ここにたどり着けて本当によかった。
救いを求めていながら対人恐怖があったり、自分なんかと自己否定などもある中、書き込みに返信コメントができたら沈み込みが深まったりする危険性もあると思う。

とにかくログインして何らか書く。誰かがボタン押してくれる。
他の人の書き込みを読んでこの人は今日こんなことがあったのかとか思いながらボタンのどれかを押す。
いつからかボタンの数など気にならなくなりログインすることが苦にならなくなった。
小さくてもいいからできたり思ったことを書く。
笑えるかもしれないが、例えば「今日もダウナーだけどちょっとだけ散歩できた」とか「副作用で便秘、トイレに長く籠もったけど…出た」、「食後のお茶がおいしかった」とか。
そういえば毎晩ThreeGoodThingsをノートに書くようになったのもこの頃のことだ。
とても前向きにはなれない状況だし、どう足掻いても今の自分はこうだなどと開き直れはしないからそれらの小さなことなどが幸せとまでは思えないがそれでもありがたみを感じるようになっていった。

ここでもらった多くのことのうちの2つ。
“薬を飲む時は”
つい今夜もまたこれに頼るのか、いったいいつまでとか感じてしまい気落ちしがちになる(実は復職した今も時々ある)が、とにかく今はこれが必要なんだと思い飲む。
“スルー力”
ここ(このサービス上の書き込みとリアクションなど)でのあれこれ・ままならない現状でのあれこれはこれからのためのスルー力を養うトレーニングと思えばいいのかも。
これらのメッセージは今でも力になっている。
仕事復帰した今も(今だから余計に?)時々そう感じることがあるがその度に思い返し・思い直したりしている。
ここで出会えた全ての方がどうか少しでも楽に、そして回復できますようにと祈っている。

余談になるが、職場復帰してそれほどログインしなくなって少しした頃に運営的な事情でU2plusが閉鎖されると知った。
感謝しかなくてまたお世話になるかもしれないし、いつか周囲に同じような人がいたら勧めようと思っていた大切な場所。
他にもいろんなサービスはあるし利用させていただいたこともあるが、こんなふうにゆるくありながらも自分だけじゃないと知ることもでき、何よりお互いを見守っているような空間は他にない。
いてもたってもいられなくなって、あまりこうしたことをしないほうだが運営社にこれまでの感謝と存続を願うメッセージを送ったりした。きっと同じような思いの方も多かったと思う。
そこにあったオンラインカウンセリングのcotreeさんがU2plusを身受けしてくれるとのニュース

嬉しすぎてスマホが滲んだ。
どれだけのユーザーさんが喜んだだろう。
自分を含めリピートするかもしれない人にとっても。

それどころかこれをAIで解析する動きがあるとのこと。本当にうれしい。
ユーザーさんに他のサービスなどとの違いなどを聞いてみるのもいいかもしれない。
ケースバイケースなので難しいだろうとは思うが何か役立つことが見つかったらと思う。

【呼吸法とマインドフルネス】
[呼吸法]

いろいろ治療以外にできることを探しているうちに呼吸法への情報もあり、ある時呼吸が速まっていたこともあったせいか関心を持った。
自律神経のうちで唯一意識的に働きかけのできるものが呼吸で、ゆっくりとした呼吸には副交感神経を優位にするだけでなくセロトニンを増やす効果もあるらしい。
調べてみると様々な呼吸法があって悩ましくもあったが普段意識しない呼吸に意識を向けるのもいいかもしれないと感じ、自分なりにしっくりくる方法をするようになっていった。

[マインドフルネス]
ストレス対処だけでなく医療にも活用されるようになってきているのでこれを読んでくださっている方には知っている人も多いかと思う。
簡単に言うと仏教の瞑想や坐禅を学んだ医師がその効果に着目し宗教的な側面を除いてメソッド化したストレスを低減するというもので、基本的な方法は姿勢を整えて坐り、呼吸に意識をおくというシンプルなもの。
宗教やスピリチュアル的なことには気が向かない人も多いかもしれないので詳しくは書かないが、そうしたことから離れ科学的な目が向けられることで検証が進み効果が明らかになってきてもいる。

呼吸法でもマインドフルネスでも、やってみると効果は別として気づくことがある。
初めは胸やお腹の動きなど息を感じているが、すぐにあれこれと気がかりなことやどうでもいいイメージが湧いてきてそれに思考が向かってしまい、自分の集中力のなさや雑念の多さに呆れたりもする。
だがそれは当然なことで、イメージや思考していることに気づいたらまた意識を呼吸に戻す時にもいい効果があると言われている。
数分でも続けていると、ほとんどは雑念ばかりだが時には心が凪いでいるように静かな感覚になることがあるし、少なくともそのうち呼吸が落ち着いてゆったりしてはくる。
おそらくだがこのポイントには「受容」と「客観視」があり、これは他の精神医療だけでなく日常にも大きな意味を持っている要素だと思う。
そうは言っても初めは半信半疑どころか否定的な感情のほうが大きかった。
認知行動療法などで客観視などが必要とは判ってはいても、症状が日々の感覚や感情に深く影響している状況では無理があるのも確かだと思う。
本当に重い時よりもその前か少し良くなってからのほうがいいかもしれない。

自分の場合はこれがマインドフルネスなのか呼吸法なのか、または坐禅の一環なのか定かではない。
当時、苦しい時の神頼みかとは思うが念慮のこともありこれまで関心のなかった宗教というものにも少し気持ちが向いていた頃、今思っても何かのご縁としか言えない偶然が重なって出会えることができ、何がとはうまく書けないが確かに何らかを得、ありがたいことだったと思っているし、今も続けている。
何より「今、ここ」に意識をおき、今の大切さを少しは思えたことは大きいと感じている。
興味を持った方はこちらをお読みください。
https://note.mu/07600721/n/nd98589df1337

【その他のこと】
この他どうにかするためにいろいろ調べすがるような思いで試したりした。
まずは生活リズムの調整。
これは治療と併せてすべき基本的なことなのだが、当初は不眠があって本当に難しかった。
とにかく眠りと病気に関していろいろ本やネットで情報を漁り、呼吸法や自律訓練法、認知行動療法的なワークにスマホアプリなど。
中には明らかに眉唾なものや、これはいいかもと思って見ていったら高額なDVDをどうぞ的なものなども多々あった。
笑えると思うがトイレ掃除で運気や金運アップというのもあった。北野武さんが謹慎時代にしていたとの例まで持ち出して(^^ゞ
それでも今の状況でできることをとの思いもあってトイレとお風呂の掃除をするようになった。不謹慎かもしれないが覚えたてのお経を唱えながら。
ずいぶんいろいろ見たり試してみたが、参考になったり役立ったり助けになったこと・むしろマイナスだったこと様々あった。
それでも情報や対処方法を求めざるをえなかったし、実際今でも助けや参考になっているものもある。
難しいのは承知だが、いつかこの辺りの情報やルートがうまく整理されたらと願っている。

第3部(最終回)へ続きます。

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