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大いに気に入った

東京やパリやニューヨークはもちろん、テルアビブやベイルートやハノイなどと比較しても、私の暮らす街チューリッヒは、外食の楽しみは格段に低いというのが残念ながら正直なところ。

海もなく、豊穣な平地に乏しい、といった自然条件に加え、ここの人たち、基本的に食い意地が張ってない。享楽を求める先に、食べる楽しみというのが上位入賞してこない。そうした文化的な背景は絶対にあると思う。

味付けが妙にしょっからいところが多く、私の嫌いなグルタミン酸がいろんなものにたっぷり入っているのも個人的には辛い。かといって、妙に今風に張り切ったフュージョンも、味も素材も画一的だったりして、なんだかつまらない。

店はどこも早く閉まってしまう上、こちらがまだ座っているのにガタガタとやかましい音を立てて椅子をテーブルの上にあげ(翌日の床掃除への便宜)、コーヒーマシーンを磨き上げ(「だからもうコーヒーはお出しできない」と何度言われたことか)、店の人たちがこれみよがしの帰り支度を始めるなど、最後の客(=私たち)の追い出し作戦がまさに「おもてなし」の正反対。さらに価格がとても高い。「このお値段で、まさかこれ?」という驚きが何年経っても消えることがないのである。

そんな中、とんでもないめっけもんに遭遇してしまった。あんまり嬉しかったので、そのお店の応援の気持ちも込め、ここで宣伝しよう、と決めた。

店の名前はEl Alebrije。メキシコ料理店。ご主人のお名前はミゲールさん。小柄な体にピタッとしたシャツと黒パンツ。サービスのお嬢さんたちに混じって、自らドリンクや料理を運ぶ足取りは軽やかだし、テーブルにそれらを置く仕草も丁寧でエレガント。離れたところに立っていても、すれ違いざまの視線が0.1秒くらい交わった時にこちらがちょっと眉毛をあげただけで、気配を察し、素早く飛んで来てくれる。もうそれだけで、彼がとても細やかでセンスのある人であることがわかる。

運ばれてくるお料理はどれもとても美味しいのだが、室内装飾がまた素敵に趣味が良い。それでいて全然、これ見よがしでも押し付けがましくもない。

「お聞きしていいですか? あんまりインテリアが素敵なので、どちらの室内建築家やデコレーターに依頼なさったのか、よかったら教えていただきたいなと思って」

職業病のなせる技なのか、そういう時は、すぐに取材モードに入ってしまう。

「お褒めいただき、ありがとうございます。実はこれ、全部、僕が一人でやりました」

「は?」

「木材や鉄骨を買ってきて、テーブルを作り、古い壁を剥がしてその下の石をむき出しに。コンクリートになっている側は自分でペンキを塗りました。好きなファブリックを探してソファーの布張りをし、ランプを吊るし、カウンターも自分で作りました。なんだかんだ、一年かかりましたかね。疲労困憊でしたけど、でも楽しかった」

本当に驚いた。日曜大工ごとが好きな人はたくさんいるけれど、ここまでのクオリティを自力でやれる人など、今まで見たことがない。あんぐり口を開けていると、

「もともと、建築の勉強をしたんですよ」

はあ、なるほど。それにしても、建築の勉強したからって、ソファの布張りを上手にできる保証はまったくない。

「ところで、壁の絵もとてもいいですね。メキシコのアーチスト?」

「ははは、それも僕が描きました。でも、まだ仕上がってなくって、どの絵もwork in progress状態で、とりあえず、壁にかけてみてます」

もう感心どころの騒ぎじゃない。

色々話が弾んで楽しくなっってきたので、調子に乗ってさらにあれこれ質問する。

「カクテルに浮かべてくださったのは、あれはライム?」

「そうです、僕が自分でドライフルーツ風にしてみました。果肉のところがちょっと意外な深みある色に変わってきれいでしょ。それにね、香りがとってもいいんですよ」

「ブルーコーンのトルティア、昔、メキシコで食べて大好きだったけれど、スイスではお目にかかったことない。輸入ですか、やっぱり?」

「いやいや、うちの素材はほぼ全部、地元の農家さんから。あちこちの農家さんに頼んで試行錯誤で作ってもらうんです。地球環境のためにも、ローカルの素材を大切にして、地元の作り手をサポートしたいですからね」

そうしてやっと上手に育ったブルーコーンを粉に挽き、自分たちで一枚一枚、トルティヤにしているのだという。

トイレに置かれていた消毒液は、私が常々個人的に唯一「匂いがいい」と思える地元ブランドのもの。シンプルでオシャレな瓶入りというところもとても好ましい。コロナ対策のプレクシグラス仕切りもまた、ミゲールさん手作りで、まるでコロナと関係ない装飾用スクリーンのよう。この店では、どんな小さなところにも「適当にその辺のもので間に合わせた」痕跡がない。ミゲールさんの息吹を感じさせないモノは何一つない。

話が前後するけれど、ご飯も全部美味しかった。テックスメックスでなく、タコスとブリート主流のストリートフード風でもなく(それはそれでもちろん美味しいのだけれど)、オリジナルレシピの手の込んだ一品料理ばかり。美味しい上に、とても美しい。それもそのはず、

「シェフはメキシコからこれは、という人に来てもらいました」とミゲールさん。

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家賃も人件費も高く、大資本傘下のチェーン店でないとなかなか生き残りが難しいスイスの外食産業。ミゲールさんの店は彼が続けたい限り、ずっと続いて欲しいなと心から思う。

というわけで、目下、私の一押しレストランです。どうぞご贔屓に😊

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ちなみに店名のAlebrijeは、メキシコのカラフルでちょっとけれどキッチュな民俗張りぼてオブジェのこと↑。店のシックなイメージと一見、ちぐはぐだったりするのも、ちょっと確信犯的なネーミングで面白いなと思いました。


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