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今日はユダヤ教のニューイヤー(ロシュ・ハシャナ)、だそうで、親しくしているご家族からお祝いの宴に招かれた。フルーツかハチミツか花を手土産にするという習慣があると聞き、じゃあ美味しいハチミツ買っていこう・・・そう思い立って、パリのムフタール地区にあるハチミツ屋さんへ。

壁一面を埋め尽くすハチミツの瓶たちの中から、ホストのマダムへはチュニジアのアーモンドの花、その二人の息子さんたち(といっても私と同世代くらい)には南仏のラベンダーとコルシカ島のアスフォデルの花のハチミツをそれぞれ選び、「プレゼント用の包装」をお願いする。

「今日はユダヤ教のニューイヤーなんですって。で、その日にはハチミツを贈る習慣があるんですって」

丁寧に包装してくれているマダムに、つい、そんなふうに話しかけてしまう。

「へー、そうなんですか。それはまた、素敵な習慣! お役に立てて嬉しいわ」

「こちらこそ、美味しそうなのが見つかってよかった」

「それにしても、今頃なんですね、お正月」

「そうらしいですね」

「いや、もっと前だとばかり」

「???」

「てっきり、二月とかその辺りだと勘違いしてました、チャイニーズ・ニューイヤーって」

ああ、やられた、と咄嗟に理解した。そして何食わぬ顔で答える。

「確かに中国のお正月はその辺りですよね、でも今日はユダヤ教のお正月だから」

マダム、包装の手を一瞬止め、「おっと」という顔。

そして自分の勘違いを咄嗟に挽回すべく、

「それにしてもユダヤ教のお祭りってなかなか楽しいですよね。家族友人勢揃いして、とっても美味しい三つ編みパンとか、召し上がるでしょう、ハヌカのお祭りなんかは特に盛大ですよね。いろんな宗教、文化の伝統って本当に素晴らしい」

と、突如、饒舌に。

たったこれだけのこと。けれどLe nouvel an juifを一体、どうやったらLe nouvel an chinoisと聞き間違え得るのか。

答えはとても簡単。マダムは私の顔を見ながら、私の声を聞いていた。「この顔」が口にする正月なのだから、それはもうチャイニーズ。そう「聞いてしまった」のである。

大騒ぎするほどのことでは全然ないし、この手の経験ならば私は山ほど積んできているので、別段驚きもしなかった。そして思い出したのだ、娘が日本に行くたびに経験していた「不快で悲しい出来事」を。

コンビニでも、駅の窓口でも、原宿の店でも、娘はごく普通に日本語で話す。なぜならそこは日本だし、日本語をよく知っているから。けれど、返ってくる答えはほぼ100パーセント英語、あるいは、英語、みたいな言葉。

「これ、三つ買いたいんですけど」

「ソリー」

「?」

「ノーイングリッシュ」

「あの、ですから、こちらを三ついただければ」

「ジャストアモメント」

そう捨て台詞を残して、奥に「誰か英語できる人」を探しに行く人。

あるいは「ユースピークグッドジャパニーズ」などと答える人。

飛行機の中で漢字の宿題をやっていたら、スチュワーデスのお姉さん(日本人)に

「wow, do you learn Kanji?」と話しかけられ、ああ、でた、またかとうんざりしながら、

「はい、補習校の宿題、ギリギリまでやってなくって今頃になって慌てて」と答えれば、

「Can you read Kanji?」

「読めても書けない字とかいっぱいあります」

「wow, you speak Japanese so well!」

そのあと、小学生だった娘は一人、座席で窓側に顔を向けて号泣した、という。「どうせこの顔じゃあいくら日本語勉強したって、いくらお母さんが日本人だって、日本語で話してはもらえないんだ」と。

この夏に大学を卒業した娘は、「そういうものだ」ということを今ではよく分かっているので、同じ状況に出くわしても、もう号泣するようなことはない。

人は耳で聞く音を、しばしば目で聞いている。そしてその「目」は人種、性別、年齢といった属性を瞬時にキャッチし、聴力や思考力を鈍らせる。

「私は結構、栗の花のハチミツが好きなんですよね。これは万人受けするものじゃなくて、割と好き嫌いが分かれる味ですね。私の夫は全然好きじゃないっていうし」

あなたは個人的にどんなハチミツが好きなの、と尋ねたら、さすがハチミツ屋の女主人、すごく嬉しそうに、そんな風に答えたところでプレゼント用の包装も完了。

「ボンヌ・フェット・ジュイヴ!(ユダヤのお祭り、楽しんで下さいねー」

と、今度は間違えることなく、笑顔で挨拶をしてくれるのだった。



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