次女の学校の農業実習。

今週と来週、次女は通っている学校の農業実習で、ベルリン近郊のデメター認証を受けているオーガニック農園へ行っている。二週間泊まり込みで、農作業や酪農作業、乳製品の加工や収穫物の仕分けなどの中から2種類ほどの作業を体験するそうだ。宿泊場所から広い農園内に点在している畑や飼育場など作業場への移動は自転車なので、自転車の点検や農作業ができる服や靴など準備もあれこれあったのだけど、去年は森林管理実習が二週間あってその時に色々揃えてあったし、次女は旅行慣れしているから、二日前にはパッキングも終わり、中学生っぽく部屋割りのことでごたごたがあって不満だとは言っていたけど、当日になると、「部屋のことはもうどうでもいい。とても楽しみだ。」と言って出発して行った。

この農業実習を毎年担当している先生が二週間ほど前に保護者会でして下さったお話がとても良かったと思ったので、今日はそのことを書こうと思う。(私のドイツ語の理解の範囲で、だけれど。)

なぜ、二週間もの日数を農業実習に充てるのか?そのあたりは保護者はもちろん、日本では中三から高一にあたる9年生ともなれば生徒もこの学校(シュタイナー学校)がどんな理念を中心とした教育の場として作られ続いてきた学校なのかを十分理解し意識しているから、多くの説明はいらないと思っている、とのことだった。(園芸と訳していいのかわからないけれど、校内の小さな菜園での作業が一つ独立した教科としてカリキュラムに入っている学校でもある。)

その後で、こう続けた。

「ここ数年、Fridays for Futureなどを通して、この年齢の生徒たちのような若い世代の環境問題への意識はとても高まった。少しでも持続可能な社会に近づけていくために解決して行かなくてはならない様々な問題についての知識も、時に教える側の方が驚くくらい豊富に、そしてかなり正確に持っている。こうした変化を、もう何十年も自然との調和の中での社会を目指す運動に関わってきた自分たちはとても評価しているし、嬉しく、そして頼もしく思っている。実習先がオーガニック農園だから、自然との共存を目指したサステナブルな農業、ということは当然今回の実習の中でテーマとして出てくるけれど、今回の農業実習を通して、そうした知識を増やそうとすること、環境問題に目を向けるように促すことは、今の中三の生徒たちには必要ではないと思っている。」と。

では、二週間農作業をすることで何を学んで欲しいか?「環境問題、環境問題、と繰り返され、自分たちも生徒たちも繰り返すけれど、その環境とは何を指すのか?自分たちに取って、環境とは何か?という問いかけを一度持ってみて欲しい。」と先生は言う。

スーパーの棚、広告、新聞、ニュース、どこを見ても「環境に配慮した」「サステナブル」と言った言葉が溢れている。でも、その「環境」が一体何を指しているのかを私たちは、生徒たちは概念としてではなく知っているだろうか?感じたことがあるだろうか?「サステナブル」と言う時、持続させて行こうとしているものは何なのかを具体的に思い描くこと、その何かに自分たちの手で触れている、触れて変えて行くことができる、と思えることは難しいままのように思う。自分たちを取り巻く、守らなければならない「環境」とは一体なんなのか?そうした問いかけが生まれる時間と場所がこの年代、15歳、16歳の生徒たちに必要だと確信している。農園での作業の中で、自然の中で食べ物を生産するという生きるために必要不可欠な人間の営みが、自分たち人間にとって、そして自然にとって、何を意味するのかを考えてみて欲しい、と。

次に、環境問題や、サステナビリティといった理念に敏感であるつもりでいる都市生活者の軽慢さにも気がついて欲しい、と言う。オーガニックのスーパーで買い物をすれば、ビーガン食のオプションを選べば、プラスチックではなくガラスの水筒を持っていれば、金曜日のデモに行けば、それで環境問題への責任を果たしたような、正しいことをしているような気持ちになっていないか、するべきことは本当にそれ(だけ)なのか、考えてみて欲しい、と言う。実際に農作業をしてみて、農作物を育て収穫することがどれほど大変なことか、そのほんのわずかでも体を通して知って、これはオーガニックではないから、これはビーガンではないから、と言う線引きで食べ物の選り好みをしながら何か良いことをしているように思うことの、矛盾や軽慢さに気がついて欲しい、と言う。二週間毎日朝から夕方まで人参を収穫して運ぶことを、最後はもう人参を見たくない!と思うまで続けた後で、農作物を買って食べるとは、食べるものを選ぶということはどういうことか、選ぶことは間違っていないけれど、考えて見て欲しい。一つの正しい答えがないことに気がついて、そこからもう一度、どうしたら良いかを考え始めて欲しい、と。

コロナ禍の保護者会で距離をとって座っていたから、一言も聞き漏らさないようにするのは難しかったし、自分のドイツ語レベルではとりこぼしや大雑把な解釈になっている部分はあるだろうけれど、この先生のお話が聴けて、大きなところは理解することができて、とても良かったと思った。

長い間、この理想主義的だという批判を浴びがちな学校で生徒たちを教え育ててきた先生が持ち続け、こうして惜しむことなく分け与えてくれる瑞々しいドン・キホーテ的なロマンティシズム(今の時代にこそ、必要なものだと思う。)と、今の生徒たちの中で(今回は環境問題というテーマに関して)何が起きているのかを澄んだ目で読み取る冷静さ、自分とは時代も取り巻く環境も全く違う中で育った子供たちに何をどんな風に差し出したいか、定期的に保護者の会に出席しているけれど、久しぶりに気持ちが良いくらい、そして背筋が伸びるような真っ直ぐな言葉を聞かせてもらった、と思った。

そこには、感覚を通して概念に触れる、概念への道を見つける、というシュタイナー教育の基本理念みたいなことも入っていて、そういうことをこの幼稚園や学校の子供や生徒たちは毎年毎年繰り返して行くわけだけれど、その度に道は少しずつ深く森に分け入るように伸びて行っているんだな、今また、新しい森への入り口を先生たちは見せようとしてくれているんだな、と思った。

*書いている間に、週末だから電話していい時間になった、と次女から電話がかかってきた。今週はずっとじゃがいもを収穫していたこと、たくさんの種類があって、形が特に歪なものを皆で食べた時中が鮮やかな黄色なことに驚いて、そしてとても美味しかったそうだ。先月、一緒に日本の食事を作ってみたい、と言ってうちに来た同僚が食事係で同行していて、その時に作ったお豆腐を生姜とお醤油で味付けした揚げ焼き風のものを昨日は夕食に作ってくれて、美味しかったし、クラスの皆も喜んで食べた、と教えてくれた。今日は土曜日だから作業はお休みで、自転車で遠出して足の筋肉がパンパンになったけど楽しかったらしい。今日はお天気は今ひとつだけれど、秋の光の中、野外で1日作業するのは、1日の終わりの疲れも含めてきっと気持ちが良いのだろうな、と思わせるような弾んだ声だった。

*圧倒的に勉強不足で書いているから、わかりにくい部分もあるだろうな、とは思うけれど、メモ的にでも、まとまらなくても、一度書いておきたいと思った。

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