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ルノワール「アネモネ」の消滅 〜のぞみ〜

梅田で会った1週間後、初夏の京都で待ち合わせた。蒸し暑い。
盆地のこの地は日が沈んでも気温が中々下がらず、風も吹かない。特別急いではなかったが、15分前に集合場所に着いてしまった。のぞみに会えるという浮足だった気持ちがそうさせたのか。同時に僕の身体は緊張していた。気を紛らわそうと四条通りを歩く人たちをぼんやりみた。夏休みで、多くの人で溢れ、みな表情がいつもより明るく見えた。
赤のレトロなワンピースの女性が目に入った。リップとワンピースの赤が合っており、赤特有のいやったらしさは排除され、まるでルノアールの「アネモネ」のように洗練された赤だった。その女性が僕に近づいてきた。

のぞみだった。
普段下ろしている髪を結んで巻き、メイクも変え、随分印象が違った。
「今日は髪型もメイクも違うじゃん、めっちゃ似合ってる。」
「ほんまに⁉︎? 今日休みやったし、いつもと変えてみた。」
自然に照れもなく褒めることができたことに自分で驚いた。
それは紛れもない本心からだった。もし自分のためにしてくれたのなら至極喜ばしいことだ。
前回、野菜が好きと言っていたので事前に新鮮な有機野菜が食べれる店を予約していた。
店に入ると、中は清潔で落ち着いた雰囲気だった。
ビールを頼み、好きでも嫌いでもない野菜やアヒージョというものを食べた。美味しいと言って食べている彼女に「もっとガツンとしたものが食べたい」とは言えなかった。
彼女はよく話し、よく笑った。僕が前にプレゼントした本の感想を教えてくれた。話は決して流暢ではないが、自分の言葉で丁寧に感情を汲み取って話す姿勢に強く惹かれた。
楽しい時間は過ぎ、僕たちは店を出た。
もどかしかった。
もっとのぞみの本質的な部分を知りたかったし、僕をどう思っているか気になった。それはこのままデートを続けても得られないものだった。
「今からクラブに行かない?」
「えっクラブ⁉︎私行ったことないで。」
「じゃあ、一緒に行こうよ。」
僕は半ば強引にのぞみを連れて行った。
休日のクラブには多くの人が並んでいた。
彼女は少し不安な面持ちだった。
エントランスに入ると、ギラついた目をしたサラリーマンや大学生たちが彼女に焦点を合わせた。さらに中に進むと多くの視線が彼女に集まり、その後決まって、僕に冷たい硬い視線が向けられた。
カウンターで彼女と数杯飲んだ。その間も痛いほどの視線が背中にぶつかりつづけた。彼女は初めこそ緊張していたが、酔いがまわったのか、声のトーンも弾み、楽しげだった。そして、二人でダンスフロアへ向かい、彼女はその空間を華やかなにしながら、溶け込んでいった。
僕は意識的にのぞみから距離を取った。どのように彼女が他の人と話すのかを見てみたかった。トイレに行くと告げ、後ろから彼女の様子を見守った。真ん中にのぞみ、その周りには多くの男が目を光らせた。それは運動場の真ん中にあるあめ玉を求め、うごめくアリのようだった。
のぞみは音楽に集中しながら、軽くリズムをとっていた。2人のサラリーマンが話しかける。彼女はしばらくそつなく対応し、2人は去った。間髪入れずに、高身長で茶髪の男が話しかけた。いかにも慣れた軽い様子で。話す距離は近く、のぞみは戸惑っていた。お酒をおごるとでも言ったのだろう、彼女を半ば強引にバーカウンターへ誘導した。彼女は周りを見渡し、僕を探しているようだった。内心穏やかでなかった。カウンターでその茶髪男はその卑しい手を彼女の腰にまわした。
僕の奥深くから激しいものが突沸した。清く美しい川に有害な工業廃水が流れこんでいく感覚だ。僕は汚染を防ぐために急いで彼女の腕を掴み、その場から外へ連れ出した。
「ごめんね、無理に連れてきて。」
彼女は微笑んで首を横に振り、僕の肩に頭を乗せて、夜道を歩いた。
ホテルに着いた。それはごく自然の流れに思えた。
部屋に入った瞬間に何度も唇を重ねた。
彼女の裸体は白く、素晴らしくきれいで、細身で小柄だが、均衡の取れたものだった。

だが、彼女を知れば知るほど、僕は彼女への関心を失っていった。彼女の中に卑しい僕が入っていく。どこか神聖な存在として崇めていた彼女はもはやそこにはいなかった。僕は恣意的にのぞみを理想の女性にあてはめ、過剰な期待を彼女に押し付けていた。

朝、僕が先に目を覚ました。隣には変わらず美しい彼女が寝ていた。しかし、以前のような強烈に惹きつけるものは感じなかった。
その日は早くから用事があり、静かに身支度を整え、眠っているきれいな人に別れを告げた。
寝ぼけた彼女はベットの上から起き上がり、僕に向かって手を振った。
僕は複雑な心情を抱え、その場を後にした。
途中僕がシャツを忘れたことを彼女が教えてくれた。
それから、のぞみとの連絡の頻度は減り、終いには途絶えた。

僕はその日からそのシャツを二度と目にすることはなかった。

私は変態です。変態であるがゆえ偏っています。偏っているため、あなたに不快な思いをさせるかもしれません。しかし、人は誰しも偏りを持っています。すると、あなたも変態と言えます。みんなが変態であると変態ではない人のみが変態となります。そう変態など存在しないのです。