見出し画像

インドネシア留学のすヽめ(長文約5000字)

はじめに 

今回は、私が2018年2月から7月に留学に行った「インドネシア」という国について、私の経験をもとに話して行きたいと思います。
 この記事を読んでみなさんが私の経験を面白いと思い、インドネシアという国に対して興味を持っていただければ幸いです。
 

今回の記事はかなり長くなるので、目次を利用して適宜飛ばしつつ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

インドネシア留学に至った経緯

 私がインドネシア留学に行くことを決めたのは、大学1年生の5月頃でした。この時期の大学生はまだ必修科目などが多くあるため、留学に行くには少し難しい時期でした。しかし、1度スイッチが入ってしまったらもう後には引けません。そのまま留学の準備に取り掛かりました。確かに、帰国後の履修などを考えれば、いいタイミングとは言えませんでしたが、結果としてこの判断は正解だと思っています。

 私の人生は、小学校から高校までずっと茨城県古河市という場所で完結していました。海外旅行すら未経験でした。
 そして迎えた大学受験。地元を離れる初めての機会でした。筑波大学を志望して、進学するにあたった経緯については長くなりそうなので、今回は省きます。

 結局、進学した筑波大学も同じ茨城県でしたが、高校までとは次元の違う空間でした。全国各地から人が集まっているので、そこで受けられる刺激も今までの人生にはなかったものでした。

 入学時は正直、留学するなんてまったく考えていませんでした。入学1ヶ月ほどでインドネシア留学を決意したのは、今思えば「その場のノリ」でした。仲良くなった数人の友達の中で、「留学行かね?」みたいな流れができて、そのま学校のプログラムに申し込むことに。結局、自分を含めて5人がマレーシア、インドネシアに留学に行きました。

 いざ留学に行くことにしても、そこには様々な問題がありました。一番大きかったのは「金銭面」です。私の過程はとても裕福とはいえず、さらには母が病を患ったため、金銭的にはかなり厳しい状況でした。大学に進学できただけでありがたかったと思っています。しかし、いざ大学に入ると、そこには本当に個性あふれる人がたくさんいて、刺激が絶えない訳です。そんな環境にいると自分も何かに挑戦してみたいと思うようになります。そして自分は海外留学を選んだ訳です。幸い毎月7万円の奨学金を給付してもらえるプログラムがあったので、即決しました。

 留学は「自分を変える」「新しい自分に出会う」「経験値を増やす」選択肢としては有効ですが、やはり金銭的負担が大きいです。私の場合は、奨学金がもらえるプログラムを利用できたので、金銭的負担は少なかったですが、これは結構運がよかったんだなと今は感じています。皆さんも、もしそのようなチャンスがあれば臆せず挑戦してみてください。

 「金銭的問題」以外にも、家族からの反対などがありました。それも当然です。今まで地元から出たことがなく、海外旅行にも行ったことのない子供に突然、「半年間、インドネシアに留学に行くことにした。」と告げられたらどう反応しますか?大半の親は「反対」前提で話を聞くでしょう。私も留学経験がなかったら将来そうすると思います。ましてインドネシアという発展途上国です。不安は大きかったと思います。最終的には、認めてくれたのでよかったですが、そうもいかない家庭もあると思うので、これは非常に難しい問題です。重要なのは、子供は「しっかりと準備すること」、親はサポートできることはしてあげて、あとは「信じること」だと思います。

本題になかなかいけないので、スピードアップして行きます。早速インドネシアでの生活について書いていきます。

インドネシア留学の目的

 インドネシア留学の目的は大きく2つありました。1つはイスラム教徒の文化を学ぶこと、特に「ハラルフード」についての知識をつけることでした。私は首都ジャカルタから車で一時間ほどのボゴールという都市にある「ボゴール農科大学」に交換留学をしました。この大学は食料科学技術の分野でインドネシア最高峰と言われており、「ハラルフード」を学ぶにはうってつけでした。もう1つの理由は、単純に「人生の経験値を増やす」ことでした。大学に入るまで私の人生はかなり平々凡々なものでした。そろそろ刺激的な経験をしたいなと思い、留学を決意しました。今となれば、人生で最も大きな経験となったと言えます。

インドネシアでの生活

 2018年1月31日、不安とワクワクが入り混じった感情のまま夜の羽田空港からインドネシアに飛び立ちました。インドネシアの首都ジャカルタにあるスカルノハッタ空港に降り立つと早速試練が待っていました。

「お世話してくれるはずのバディーが空港に迎えに来ない!」

 こちらの大学と向こうの大学の連携不足でした。仕方なくタクシーを捕まえて大学に向かいました。一見当然の行動のように見えますが、初海外でドギマギしている私にとっては非常に難しく感じました。そして無事大学に到着することができました。バディーとも会うことができ、インドネシア留学生活がスタートしました。

 そこからは授業に行って、ご飯を食べ、ジムに行き、寝るというサイクルを繰り返して行きました。

 受けた授業は3つと少なかったですが、英語ということもありなかなかヘビーなものでした。「ジェンダー」と「社会変動」に関する社会学と当初の目的であった「ハラルフード」に関する食料科学技術の授業をとりました。授業時間も1コマ2時間以上と長く、しんどいと思うこともありましたが、非常に有意義なものでした。授業内容については割愛します。

 次に取り上げるのが「食べ物」です。結論から言うと、インドネシア料理は「辛い」です。この辛さは「サンバル」というトウガラシソースによるものです。基本的にインドネシアの料理の味付けは薄く、このソースが味の決め手になります。私は、辛いものが苦手なのでご飯のたびに汗だくになっていました。そして徐々に辛くないものを選ぶようになっていきました(フライドチキンばかり食べてました)。腹痛とまではいきませんでしたが、なかなかパンチがありました。

 ここで1つ言っておきます。インドネシア料理は「美味しいです」。代表的なのは、「ナシゴレン」「ミーゴレン」「ルンダン」などです。皆さんにも、一度試して欲しいです。

 インドネシアの生活についてもっと言えば、渋滞がすごいです。特に私が滞在していたボゴールという都市はインドネシア語で"kota machet"("kota"が「都市」、"machet"が「渋滞」)、つまり「渋滞の都市」と呼ばれ、Grabタクシーやバイクがおびただしいほど走っています。その分喧騒もすごいですが、次第にその雰囲気が落ち着くようになっていきました。不便ですが、未だ発展しきらない「東南アジア感」を象徴する光景だと思います。

 また、個人差はありますが留学生は以外と時間に余裕があります。余暇の時間を使って私は国内旅行を数回することができました。印象に残っているのはやはり「バリ島」ですね。世界的な観光地ということで、欧米を中心に数多くの観光客で賑わっていました。

 バリ島も最高ですが、個人的にはその隣の「ギリ島」がお気に入りです。海の綺麗さが半端ではなく、そこでやったシュノーケリングは一生の思い出です。

インドネシアにおけるイスラム教文化

 インドネシアは現在、人口約2億5000万人と世界第4位の規模を誇り、世界最大のイスラム教徒人口を有しています。インドネシアで生活していると、どこにいてもイスラム教文化に触れることになります。礼拝の時間を告げる「アザーン」やモスクの存在はもちろんのこと、食事や作法もイスラム教に配慮する必要があります。イスラム教といえば「ラマダン(断食)」が有名ですが、ちょうど滞在期間と重なっていたため、実際に「フル日程、ルール完全遵守」で体験してみました。これについては次のセクションで詳しく書きます。

 数年前からイスラム教のイメージは世界的に悪くなっている気がします。その原因となっているのが「イスラム国」です。彼らはテロを起こしたり、遺跡を破壊したため、イスラム教徒は「過激で危険」というイメージを生み出してしまいました。しかし、実際に世界最大のイスラム教人口を誇るインドネシアで半年間生活してみると、イスラム教はむしろ穏やかな宗教だと感じました。もちろん、中東の核心地域ではないので、「イスラム教」と一括りで判断すべきではないですが、少なくとも危険なイメージはありませんでした。

 イスラム教徒の女性が着用するヒジャブすら、見た目で判断されてしまい、特に日本では「怖い」イメージが形成されてしまっているように感じます。

短い期間でもイスラム教に関わった人たちの使命は、イスラム教から負のイメージを取り払い、多様性の中に組み込んでいく手助けをすることだと思います。

断食月(ラマダン)を体験してみて

 私が体験したラマダンは2018年5月15日から6月15日までの1ヶ月間でした。簡単にルールを書くと以下の通りです。

「1回目の礼拝(朝の4時ごろ)から4回目の礼拝(18時ごろ)まで、飲食禁止。」

 最初の一週間はかなりしんどかったのを覚えています。それもそのはずです。当時のインドネシアは毎日32度ほどあり、授業にも出席しなければ行けなかったので体力が持ちませんでした。現地の子達も流石にはじめはぼーっとした様子でした。ですが、彼らはもう20年この習慣を繰り返しているので、すぐに慣れていった様子でした。

 私は当然そうもいかず、フラフラのまま授業に行っていました。2週間が経つ頃には私も慣れてきて、徐々に元気になっていきました。

 生活サイクルとしては、朝4時ごろ起きて朝食を食べ、授業まで二度寝をし、授業後は昼寝などをして夕食を待つという感じでした。なるべく体力を使わないように生活していました。

 1ヶ月が経ち、6月16日になると「レバラン」という断食明け大祭が始まります。私は偶然、ジャカルタのマレーシア大使館に招待していただき、お祝いをしました。ご馳走が出ましたが、参加した留学生全員が翌日謎の腹痛に襲われました(おそらく何かが悪くなっていた)。

 終わってみると意外とあっという間でした。しんどいことも多かっったですが、イスラム教徒の方と同じルールで1ヶ月間やり遂げることができたのは大きな自信とともに、忘れられない経験になりました。この体験を日本の人にも知っていただきたいと常々思っていました。

インドネシア留学で得たもの

  インドネシアで得たものはたくさんありますが、当初の目的に即して振りかえりたいと思います。

 まずイスラム教文化について。これについてはかなり多くの経験をすることができました。授業では実際にグループワークを通して、「ハラルフード」に関わるすべてのプロセスを理解することができ、様々なアイデアに触れることができました。また、日常生活を通して、実際のイスラム教文化を肌で感じることができました。これが何よりも大きかったと思います。断食も体験できたことは、かなり幸運だと思います。

 次に「人生の経験値」についてですが、これに関してもかなりの成長を実感しました。多少のことでは動じない精神や自分の身は自分で守る意識などが自然と身につきました。日本に帰っても慢心することなく、この2つは、常に心がけています。

 日本にいるときにも日本人以外の友達はいましたが、それほど深い関係には慣れていませんでした。しかし、この留学期間中にたくさんの人と触れ合い、国籍は関係なく友好な関係を築くことができるようになりました。同時に語学レベルも向上し、英語はもちろん、インドネシア語も多少喋れるようになりました。

 こうしてレベルアップしていくと自然と自信がつき、また「新しいことに挑戦しよう」と思えるようになります。この考え方を身に付けることができたことが、最大の成果だと感じています。

さいごに

 ここまで長々と私の留学について書いてきましたが、これはただの一例です。世の中にはもっと面白い経験を持つ人が数え切れないほどいます。

大切なのは、それらの経験を見て聞いて、どう捉えるかだと思います。正しいとか間違っているとかの問題ではありません。

この記事を読んで、皆さんの中で、「何かに挑戦したい」という気持ちが少しでも芽生えることを願ってやみません。

長文失礼いたしました。

               きよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?