アニメ『黒子のバスケ』感想 何がおまえを主人公たらしめる

 アニメ『黒子のバスケ』の感想です。最初書くつもりはなく、初見からだいぶ時間が経っているので初見感想というわけではありません。漫画は読んでいないのであくまでもアニメの感想です。
 いつも通りネタバレあり。内容は目次を参照してください。


○始めに

 個人的には信じられないぐらいめちゃくちゃ面白かったし好みの作品でした。
 B級でケレン味に振り切った演出。キャッチーかつ人間味のあるキャラクター。無駄のない話の組み立ての上手さ。ここまでハイクオリティなアニメなかなか無いと思います。アニメの中ならこれが一番好きかもしれない。面白すぎて2周連続で見ました。

 フィクションというのはその表現媒体によってそれぞれできる表現があると思います。
 映画には映画の、小説には小説の、ゲームにはゲームの表現がある。アニメならではの表現があるとしたら、私は黒子のバスケをそれをした作品の一つに挙げます。

 アニメの面白さってこういうことだと。

○黒子のバスケ、ここが面白い

 私はフィクションにケレン味とかわざとらしさを求めているんですが、黒子のバスケで自分が求めるアニメのケレン味を理解しました。
「そうか。私が求めるアニメのケレン味ってこういうことだったのか…」

 黒子のバスケはアニメ演出の真骨頂を見せてくれました。アニメだからこその演出が詰め込まれた作品です。

●もはやミュージカル

◇劇伴の使い方

 黒子のバスケは音楽の使い方が物凄く上手いです。個人的に今まで見たアニメの中でトップになるかもしれません。

 私はアニメを作業中に流すので大概画面を見ていません(だから面白かった作品は2周目を真面目に見る)。どういうことかというと、黒バスは画面を見ていなくても面白かったです。音楽とセリフがめちゃくちゃ気持ちよく耳に入ってきます。

 アニメって音楽の使い方の上手い下手でけっこう没入感が変わると思うのですが、違和感を感じないのだけでも上上です。でも黒バスは違和感を感じないどころではなく、音だけで面白い。音楽のテンポに合わせて、あつらえたかのようにセリフが入ってくる。

なんでしょう。このミュージカル感。

音楽をセリフに合わせて作ってるのか?
セリフを音楽に合わせて収録してるのか?

 そんな風にまるでミュージカルなのかっていうぐらい完璧なタイミングで音楽が切り替わり、セリフが入る。音楽とセリフのテンポみたいなものが一致していて気持ちいいです。聞くだけでこんなに楽しいアニメは初めてでした。

 そしてそのテンポ感みたいなものをまたいい感じにリズミカルにするものがあります。

効果音です。

◇効果音の使い方

 黒子のバスケは昨今のアニメ(といっても10年前のアニメですが)では珍しいぐらいに効果音が鳴りまくります。バカみたいに鳴りまくります。キャラが何かに気づくたびに「カーンッ!」って鳴ります。

 そんないかにもB級でバカバカしい効果音の使い方がめちゃくちゃ上手い。ただでさえ音楽とセリフのタイミングが完璧なのに、ここに効果音がアクセントを加えてくる。

 聞いててめちゃくちゃ気持ちいい。

 赤司に至っては特有の効果音まで持っている。その効果音が鳴るたびに「あ、赤司様...!」と私は恐れ慄くわけです。

 ところで私は黒バスと同監督の某ミュージカルアニメを見ているのですが、キャラが何かに気づいた時の効果音「カーンッ!」の使い方が同じでびっくりしました。

効果音って監督が決めてるのか……?

◇芝居がかったセリフ

 黒子のバスケのセリフって全体的にかなり芝居がかっています。
「僕は影だ」
「おまえの光は、淡すぎる」
「エンペラーアイ……!」
などなど。

 そんなただでさえ特徴的なセリフが音楽に合わせて、時には効果音を鳴らして飛び出すんです。

このミュージカル感。

 芝居掛かったセリフと音楽、効果音。これだけでもう黒子のバスケは面白い。もうすでにケレン味が凄いです。

 ですがこれはアニメなので画面もついています。そろそろ画面を見ましょう。

◇絵コンテ•演出

 アニメがどう作られるのかって詳しく知らないのですが、アニメは各話に絵コンテ•演出っていうのがあるんですね。毎回クレジットされています。
 そしておそらく絵コンテが画面の構図と流れで、演出がそれの切り替えタイミングとかセリフの併せ方なのかなあと。そしてそれを同じ人がやると良くなるらしい。

 つまりあの効果音もセリフのタイミングも演出がやっている、のか?(効果音は音響監督かな)

そこに画面が加わってしまう。

 イケメンが芝居掛かったセリフを言う。テンポよく画面が切り替わる。効果音に合わせてキャラの顔アップ。場面の空気に合わせて切り替わる音楽。音楽の展開が場面の展開にぴたりと合う。
そして時々凄く作画が良い(時々凄く悪いけど)。

 内容云々を抜きにしてもこの音楽の使い方や効果音の使い方、画面切り替えがハマる人はこのアニメを面白く感じるんじゃないでしょうか。

◇つまり演出がキレッキレ

総合して演出がキレッキレです。

 ミュージカル的な演出が極まっているのが洛山対修徳の55話です。
 赤司征十郎の記念すべき試合初お披露目は、壮大な音楽と多用される効果音、キレッキレのカットで演出されます。

 そして、ミュージカル的とは違った演出が極まった回が66話。111ー11の回です。
 振り返って涙を流す荻原。歪む画面と消えるBGM。画面から色が消え、ここで数少ない黒子のモノローグが入ります。

なるほど。絶望ってこう表現するのか。

●無駄の無い構成

 黒バスは個人的に理想のアニメなんですが、そう思う理由の一つが無駄の無い構成にある気がします。
 3期合計で78話で終わるんですよこのアニメ。78話ですよ。少年漫画原作のアニメが。

短い。

 実際無駄な描写は(ほとんど)無いし、無駄なキャラもいません。黒バスはサブキャラについても裏にドラマがありそうだと思わせる良いキャラばかりですが、そのあたりの描写は最低限に抑えられています。個人的にはそれが凄く好みでした。サブキャラは所詮サブキャラなので。
 キャラのバックボーンや性格なんかを作り込んでいそうなのに、それを描写しないでいられるドライさ。

 物語の時間軸でも青凛入学からウィンターカップ終了、その後の黒子の誕生日まで1年弱の期間で終わっています。

この潔さ。

 本筋に関係ないサブキャラの描写を抑えるドライさとダラダラ続けず終わらせる潔さ。ここらへんはアニメというより原作の漫画の良いところでしょうけど、この無駄の無さは凄いです。

●要素が世界観を作る

 アニメの特徴を私は「絵が動くこと」だとは捉えていないかもしれません。たぶん私が思うアニメの要素とは

・各話30分弱の尺
・オープニングとエンディングがある
・次回予告がある
・タイトルがある
・1クール12〜13話
・場合によってはCパートがある

なんですね。要は毎週放送するテレビアニメの形式です。黒子のバスケはその要素を全てうまく使っていると感じました。

・オープニング曲をあるキャラの声優が歌う
・重要な回ではオープニング映像が変更される
・本編で明かされないキャラの心情がオープニング映像で垣間見える
・エンディングではキャラの書き下ろしのイラストがふんだんに差し込まれる
・次回予告がキャラの掛け合い

 こういう細かい部分で手を抜いていない。いや、この言い方は正しくないですね。これをやらなくても別に手抜きではないですから。ひょっとして私が知らないだけでそこらへんのアニメもここまでやっているのかもしれまんせんが。個人的にはここまで作り込んでるアニメは珍しかったです(遊戯王GXはかなりこれに近いですが)。

 個人的に感動したのが2期1クール目のオープニングの黒子のガッツポーズ。5話程度の帝光時代の過去編に専用オープニングを用意した点です。

 全体的にケレン味のある演出と合わさって、とても「アニメらしい」アニメだと感じました。他に言い方が思いつかないです。

●単純明快な話運び

黒子のバスケはとても「見やすい」アニメです。
 キャラは(一見)キャッチーで記号的。黒子の性質と目的は1話で示されますし、1期でインターハイ、2期で新キャラ登場とウィンターカップ途中まで、3期で過去編とクライマックス。全体でわかりやすく単純な構成にまとまっています。

 キャラの心情描写のやり方などは複雑ですが、話の流れは実に単純。1話毎に良い感じに話が進みますし、1話完結のギャグ回などはテンポが良く、シリアスな本筋の間の良い小休止になっています。

 要は「アニメとしてまとまってる」んですね。悔しいことに他に言い方が思いつかないです。

・1話で主人公の目的を示す
・2話で黄瀬を出して、キセキの世代の化け物感と天才の孤独というテーマに触れる
・キセキの世代を一人ずつ倒していい感じになっていく
・露骨にラスボスっぽい赤司を倒す
・ラスボスなので倒したらなんかいい感じにまとまる

 細かいことを言えばけっこう複雑な部分もあるのですが、大雑把な話こんなもんです。人間関係やキャラの心情は複雑だし、彼らの心理的変化には紆余曲折があるのに、この単純な流れでまとまっているんです。
 1期2クール26話ずつ、3期でまとまっているんです。

 これの凄さをうまいこと説明したいのですが、難しいです。

●提示する情報、提示するタイミング

 同じ役割を背負った同じ性格のキャラでも、どのくらいそのキャラの心情や設定を提示するか、あるいはいつ提示するかっていうのでキャラの印象は変わると思います。

 今までに何度か言っていることですが、キャラの描写は少なければ少ないほど良いです。見ている人が自分の好みに勝手にキャラを解釈して、勝手に好きになるから。もう一つ、描写の少なさはキャラの実在感に繋がるから。そして描写のタイミングというのは重要です。例えば重要なキャラの心情が序盤に開示されてしまうと、物語を牽引する要素が一つ減ってしまいます。

 何が言いたいかと言うと、黒子のバスケはキャラの描写の量とタイミングが上手いです。

それも異様に。

◇この2人付き合ってたんですか!?

「相田リコと木吉鉄平、なんでお互いに名前で呼び捨てなのかな。なんかただならぬ関係に見えるな」
この2人が名前で呼び合う場面を初めて見た時から気になってはいました。

なんでしょう。
ただならぬ関係に見える。
大人な関係に見える(言い方がアレだな)。

ん? とは思いつつ、確信は持てませんでした。
この2人の間にある妙に深い信頼関係。加えてある種の遠慮も感じる。

 ただの部員と監督ではない、ただならぬ関係。その雰囲気がいったいどこから来るのか。

でも公式に作者が言ったらしいのです。

ファンの質問→
「相田リコは他の部員は君付けなのに、なぜ木吉だけは鉄平と呼ばれているのですか?」

作者の回答→
一時期付き合っていたからです。

この2人付き合ってたんですか!?

 私がなぜこんなに驚いたのか不思議に思う方がいるかもしれません。付き合っている、あるいはいたというのは充分に想像できます。なぜ驚いたかというとその情報の出し方です。この回答はファンの質問があったから出てきたものです。

それならもし、このファンの方がこの質問をしなかったら?

この回答は無かった。
相田リコと木吉鉄平が付き合っていたという事実は判明しなかった。

なんですか、その情報の出し方!?

 実はこれをまだ1周目見ている途中、一緒に見ていた家族から間接的に聞きました。ただならぬ作劇の妙を感じた瞬間でした。本編じゃないんですけど。情報の出し方があまりにも上手いです。本編で出すべき情報ではなかったと私は思います。この情報は本編外でファンの質問に答えるという形で出すことが最も適していた。

なぜかというと、キャラクターの実在感が増すから。

なぜ実在感が増すかというと、他作品の感想で言ったことがありますが、キャラクターの描写の距離感が他人の距離感だから。

 他人が何を考えているかはわからない。他人の人生は自分の知らないところでも進行する。

 この情報を本編に出さずにファンからの質問に対する返答という形で出すことによって、キャラクターの心情の密度は高くなります。相田リコと木吉鉄平に限ったことではありません。他のキャラクターもそうなのではないか、と思わせる効果があります。描写してないだけで、みんなそれぞれ色んなイベントを経て今に至っていると想像できるようになるのです。

◇過去エピソードの挟み方が上手すぎる

 私はフィクションでこまめに挟まれる過去の回想が嫌いです。がっつり過去編としてやるならむしろ好きです。
 黒子のバスケは過去エピソードの挟み方がうまいです。多過ぎず、少な過ぎず、そのキャラクターを掘り下げる絶妙なタイミングで入れてくる。

 例えば黒子のバスケの物語で視聴者の興味を引くための一要素が、主人公の黒子テツヤの心情です。
 第1話で火神に「君を日本一にします」と言った黒子。彼は何を思ってそんなことを言ったのか? この一見クールな主人公が内に秘めるものはなんなのか? そう視聴者に思わせるための1話です。その心情は最後まで引っ張らなくてはなりません。それがこの物語における最大のミステリーだからです。
 その黒子の心情がわかるキセキの世代の過去編が入るのは、ウィンターカップの決勝戦手前です。いわばラスボス戦手前。

本当に引っ張った。

 ここまで引っ張るのって難しいことだと思います。主人公の心情を終盤まで明かさないなんてことが本当にできてしまうと、私は思っていなかったです。

それをしたっていう事実に感動しました。
わかりますかね? この感動……

●邪道と王道の使い分け

 黒バスは邪道なスポーツものです。キャラは特殊能力みたいなものを持っているし、ラフプレーするキャラはいるし、主人公の黒子はなかなか見ないタイプの主人公です。
 しかしその中で王道な展開があると、その王道が燦然と輝く。王道の中に邪道があると、それによって味わい深くなる。

邪道と王道が互いを引き立てているのです。

●まさかハッピーエンドに行くつもりなのか

 私は最初この物語は順当にビターエンドになると思っていました。
 物語の開始時点が状況としてマイナスなら、それが0ぐらいにはなるだろうと。いくらかプラスになったとしても多少であろうと。

でも違いました。

 この物語はとてもきれいにハッピーエンドに終わりました。

 それがこの物語において最も衝撃的で面白い部分だったかもしれません。

 終盤の雰囲気の明るさに私は思いました。
「まさかこのアニメ。ハッピーエンドに行くつもりか?」
 才能の話なんてビターエンドにしかならんと思っていたし、黒子のバスケの邪道さを考えれば尚更です。

 なのに物凄く綺麗にハッピーエンドになりました。メインキャラのほとんどはプラスになっています。そのハッピーエンドに至る過程も別に無理矢理だったわけではありません。ハッピーエンドになること自体は意外なのに、その過程は物凄く綺麗です。
 
 意外性と過程の綺麗さって両立するのか。

○黒子のバスケはどういう物語なのか

●黒子テツヤとは何者か

 この物語における最大の謎は主人公の黒子テツヤです。

 黒子は何を思って火神を日本一にすると言ったのか。自分が影でいることでしかできないバスケットボールを、本当はどう思っているのか。

 才能の差を描く黒バスにおいて、才能の無い黒子テツヤを何が主人公たらしめるのか。

 黒バスの主人公は黒子テツヤですが、これは黒子視点で進む物語ではありません。
 遊戯王GXの感想でも言いましたが、アニメや映画においてよく使われる手法が「シテ」と「ワキ」です。特別な存在である主人公は他のキャラクターの視点で語られる。
 実際黒子の視点でモノローグなどは3期の過去編の111ー11を見た時と70話でしか無かったように思います。
 黒子テツヤは何者なのか、何を考えているのか、バスケをどう思っているのか。それは他のキャラクターの視点で黒子を見ることによって間接的に描写されます。

 私が今まで見た中ではおそらく、黒子テツヤは最も一人称視点を排除された主人公です。

●物語とメタが一致している

 黒バスにおいて物語とメタは一致しています。
 才能のある人ほど活躍し、目立ち、キャラ人気がある。そうでなくともこの物語はかなりメタ視点が強いです。
 キャラクターが「キャラクター」であると強く意識されている。そのメタ視点の強さも黒子のバスケの邪道さの一つだと思います。
 メタ要素を利用した演出は黒バスにおいては大抵皮肉的に作用します。
 それが表すのは、天才とそうでない者の埋まらない差、主役とそうでない者の差です。

○キャラクター個別感想

 いつも通り書きたいキャラだけ書くので、メインキャラ全員とかではないです。

⚫︎火神大我

●割と舞台装置に徹した感

 いきなり悪口で始めるのもアレですが、黒子のバスケって凄くキャラクター造形が良いと思ってるんですけど、火神だけはどうにもキャラが上滑りしていた感があります。
 黒子が影なのでその影を存在させるための光だったなあと。舞台装置に終わってしまったキャラだと思います。
 私は黒子のバスケを完璧な物語だと言いたいんですが、そう言えない理由がだいたい火神の存在です。
 火神のキャラの薄さに気づいたのか、2期から氷室との関係が追加されますが、どうにも後付け感がありました。

火神と氷室のエピソード、必要だったか?

 ひょっとしたらこんなふうには受け取らない人がいるかも知れない。私には刺さらなかっただけなのか?

 キャラクターが舞台装置に徹するのがむしろ魅力になることもあるんですが、氷室とのエピソードを盛った辺り、舞台装置にしたかったわけでもないっぽいです。
 でも火神の存在はキセキの世代の魅力を上げるっていう面ではめちゃくちゃ役立っています。そういう意味では決して不必要なキャラクターではありません。むしろ火神はいないといけないと思います。ただ人間性的な意味でキャラが薄っぺらくなってしまっているだけで。

なんでなんだろうな。

⚫︎青峰を映す鏡

 ダジャレじゃないです。

 火神の人間性の描写っていらないと言えばいらないんですよ。結局火神の存在意義って青峰の感情を描写するためのとっかかりだから。

 青峰の心情っていうのは、火神と相対することで描写される。黒子をどう思っているのか。ゾーンに深く入った時、扉の前にいるのが誰なのか。どうしたら青峰は黒子の相棒でいられたのか。そういう部分を描写するために火神が必要です。

 そういうキャラの使い方っていう意味では好きです。

⚫︎雑感

 それはそれとしてギャグ回での火神は結構好きでです。帰国子女ネタが面白い。一生ギャグやってくれ。

⚫︎日向順平

⚫︎主役と脇役の差、天才と秀才の差

一旦日向先輩ではなく黒バス全体の話をします。

 黒バスの良いところの一つだと思いますが、天才とそうでないキャラ、主役級とそうでないキャラの扱いにちゃんと差がついているところです。主役は主役、脇役は脇役、キャラの立ち位置がちゃんと意識されている。それと同時に一個のキャラクターとしての魅力がある。

 日向先輩を含め、キセキの世代の周りにいる先輩キャラは本当にキャラクターとして良いです。みんな良いキャラしています。
 天才のそばにいて圧倒的な才能の差を突きつけられながら、それでも年上として振る舞う。しかし最後には後輩の才能に頼らなければならない。それぞれが個性的でみんな良いキャラなのに、でも最後に目立つのはキセキの世代の天才キャラです。そしてグッズが出まくるのはキセキの世代、それプラス影ポジションのキャラがほとんどです。
 黒子のバスケの皮肉な構図です。天才のキャラほど個性的で目立つし、人気も高い。物語内での才能の差がそのままキャラの魅力と人気の差になっています。
 物語とメタが一致してしまっているのです。

 先輩たちはこんなに魅力的なのに、キセキの世代はそれを超えてキャラが良い。
 
これが天才と秀才の差。
そして主役級と脇役の差。

 それをどこまでも突きつけてくるアニメです。そういう残酷な描写が私は好きです。
 
●キャスティングが上手い

 黒子のバスケは全体的にキャスティング上手いと感じました。
 アニメでもなんでも声優は違和感がなければ十分なのですが、黒バスは声優の声や演技に「凄く合ってる!」ってなりました。
 日向先輩の声優が細谷佳正なのですが、個人的に今まで聞いた細谷佳正の中で1番良かった。めちゃくちゃ合ってます。

 黒子のバスケってけっこうキセキの世代なんかはキャッチーで、一見いかにも「キャラクター」っぽさがあるんですが、他のキャラはむしろかなり現実味を感じさせると思います。見た目的にも性格的にも。
 
現実にいそうだなっていう。

 日向先輩の現実にいそうだな感を上げているのが細谷さんの声でした。めちゃくちゃ話し方が自然です。

 あと現実に人間って割と口調とかは安定しないものなんですが、日向先輩って口調が時々変わったりするんですよ。狙ったかわかりませんが、それがキャラの実在感に繋がっています。黒バスの現実的な部分を表現していたと思います。

●雑感

 相田リコ監督が終盤日向先輩を「順平」と呼び捨てにしますが、それつまりそういうことですか?

⚫︎相田リコ

●心労が凄そう

 監督はなかなか化け物じみた特殊能力を持った凄い人ですが、やっぱり高校生なのでところどころ年相応のメンタリティを感じます。普段は堂々と振舞っていますが、中身は高校生の子どもです。

心労が凄そう。

 高校生でしかも女ということでナメられている場面もありますし、その中で監督として同世代を導くのはとんでもないことです。マネージャーみたいな仕事もしてるし、仕事しすぎです。現実的な話をするならマネージャーを募集した方が良いです。

●いうてマネージャーいらん

 でもそういうわけにもいかないんですよね。作劇的には。たぶん黒子のバスケはお飾りやついでみたいなキャラクターの存在をあんまり好まないので。マネージャーなんてモブにしかならないか、桃井さん並みに特殊能力を盛るしかないんです。でもそうすると監督の存在感が減るのでマネージャーなんて結局いらないんです。作劇的に。

●雑感

 ウィンターカップの決勝が始まった67話、監督がコーチとして名前を紹介されている場面が好きです。監督凄いんですよ。ちゃんと監督としてやってるんですよ。

⚫︎伊月俊

●さては人間関係バランス型だな?

 この人、黒バスの中でもかなり人間味を感じるキャラです。
 思うにこの人、人間関係バランス型ですね。つまり、周りにどういう人間がいるかによって自分の立ち位置を変える人。自分のキャラクターを固定していない人。

 伊月先輩はダジャレが好きで隙あらばダジャレを捩じ込んできますが、その度に日向先輩がツッコミを入れます。伊月さんは普段漫才で言うところの「ボケ」担当なのです。
 でもそんな伊月先輩がツッコミになってるシーンがあるんですよ。

67話
姉「決勝戦だから、おけっしょーして」
伊月「姉さん。それ前に母さんが言ってたよ」

姉のダジャレに呆れ顔でツッコミを入れるんです。
この場面ではなぜか木吉先輩が伊月家で一緒に食事をしていて、その状況に対して必然的に伊月先輩はツッコミ役にならざるを得ないのです。

さては人間関係バランス型だな?

 伊月先輩がボケるのは日向先輩がツッコんでくれるからだと思います。ツッコミを入れてくれる人がいなかったら、自分以上にボケる人がいたら、この人はたぶんダジャレを言わないじゃないか?

●冷めとるやつがおる

 そんな人間関係バランス型の伊月先輩はバスケでもバランス型です。

35話
今吉「特に誠凛の5番。彼はホンマにええポイントガードや。イーグルアイによる冷静な状況判断と正確なパス。目立たんが、誠凛を影で支えてるのは彼や」

75話
今吉(なんやあれは。チームが熱くなっとる時、なるべき時に、逆に冷めとるやつがおる)
伊月(落ち着け。熱くなるな。こんな時こそクレバーに徹しろ。(中略)スペックで劣るポイントガードは、頭を使ってなんぼだろーが)

 バランス型の伊月先輩は周りに合わせて自分を変えることができます。周りがツッコミを入れてくれるからボケるように、周りが熱くなるから冷静になる。

 ラスボス洛山を突破するキーになったのは伊月先輩です。この時私は自分でもびっくりするぐらい感動しました。伊月先輩は誠凛のスタメンの中でもかなり地味だったからです。そんな伊月さんが一矢報いた。

 才能の差がテーマの黒バスでは、多くの場合天才の活躍に秀才は敵いません。誠凛の中で1番バスケットボール歴の長い伊月先輩は、スタメンにも関わらず目立たなかった。おそらく彼は日向先輩や笠松先輩のような秀才にも一歩及びません。

 しかし最後に洛山に一矢報いたのは伊月先輩だった。

 天才には敵わない。血を吐くような努力をしたとしても結果なんて出ないかもしれない。それを語ってきた黒バスが最後に見せた一筋の希望の光です。
 バスケはチームスポーツです。1人の天才だけでは勝てない。伊月先輩のような努力に努力を重ねてきた人が不必要なわけが無い。

 現実においてそれが当てはまるかどうかはここでは言及しませんが、この物語ではその希望を見ることができて良かったと思います。この邪道で才能の暴力が横行する物語において、そんな王道な結論が許されると、私は最初思っていなかったです。
「こんな物語でもハッピーエンドにいけるのか!?」

行けてしまったのです。

 黒子のバスケが最終的には秀才にとっても決して希望は潰えないと示したのが伊月先輩だったと思います。

凄いよ。伊月先輩。

●雑感

好きなダジャレは「真冬はまあ不愉快」「かっとなってナイスカット」です。

⚫︎降幡光樹

⚫︎努力もできないモブはどこにいる

 黒バスのメインキャラのほとんどは天才、もしくは秀才で、いずれも凄い才能の持ち主です。
 その中で凡人のキャラクターが誠凛の1年生の降幡くん、河原くん、福田くん。2年生の小金井先輩、土田先輩。彼らはほとんどベンチです。

 彼らの心情は序盤から中盤までほとんど描写されず、58話で天才や秀才に対する心情が少し描写されます。
 彼らにいまだ眠っている才能が無い限り、どんなに努力してもおそらく秀才や天才に敵うことはありません。

 黒バスは「才能が無くとも好きなことをしていい」と伝える物語ではありますが、同時にずっと根底にあるテーマは天才とそうでない者の埋まらない差、です。それが覆ることはありません。秀才や凡才でも努力すれば天才に追いつくなんてことは、絶対に起こらないのです。

 さて、とは言っても誠凛のベンチのキャラは報われる側にいます。彼らは凡人なりによくやっているし、チームの役に立てています。
 
じゃあ凡人にも救いはあるのでは?

ありません。

 本当の凡人は画面にも映らない。モブ中のモブで名前もなく、画面にも映らないモブ、でも確かにいたんです。どこにかって?
エンディングに。
『Start it right away』に。
 私は普段、曲の歌詞なんてほとんど聞きませんが、ある時歌詞が耳に入ってきて気づきました。
「これ、天才を羨む凡人の曲じゃね?」
 アニメ一期1クール目のエンディング曲は、天才を羨む凡人の心情を歌っています。その2番にこんな歌詞があります。
「俺だって頑張りたいんだよ」

 本当に才能の無い凡人は、努力もできません。実を結ぶか分からない、結果に繋がるかわからないのに頑張るなんてことできないんです。
 黒バスの多くの天才、秀才の影に、努力すらできないモブがいたのです。そんな彼らに名前はもちろん出番もセリフもあるはずがありません。彼らの負けて悔しがる描写すら不要です。
 黒バスはキャラの才能とメタが一致している作品なので、才能と格のあるキャラはその才能に相応しい演出で描写され、活躍の場を与えられます。

つまり、才能の無いキャラはそもそも画面に出ない。

でも、モブはいたんですよ。
努力もできない凡人のモブが、画面に映らないけどいたんですよ。

⚫︎リアクション芸人

 けっこう降幡くん好きなんですよね。
 赤司の登場シーンでめちゃくちゃビビってくれたり、ウィンターカップの決勝戦ですっ転んで赤司を困惑させたり、最終話でドアを開けたらいた赤司に奇声を発したり、対赤司リアクション芸人みたいなやつです。もっと絡みが見たい。

⚫︎青峰大輝

●早々に負けるライバル

 青峰は黒子にとっては過去の相棒。火神にとっては同じタイプの選手。同時に黒子の元相棒と今の相棒という意味でもライバルポジションです。
 しかし彼はウィンターカップの初戦で負け、以降現在の時間軸での試合はありません。アニメの尺で言えば全体の半分過ぎた辺りで負けています。

 黒バスの面白いところです。重要な位置にいるライバルが早々に負けて以降バトルなし。

そんなことってアリなんですね。

 黒バスは邪道な物語ですが、一方で物語の構造としては単純で、ガチガチに筋書き的な物語です。しかしやっぱり邪道は邪道。普通ならこうするであろうと思われる王道の筋からズレた時、黒バスはもの凄く面白くなる。
 青峰が早々に負ける、というのもそれに含まれると思います。

 作品で好きなキャラの掘り下げが回が終わったらそのキャラへの興味を失くすってことありませんか?私はよくあります。
 しかし負けた後の青峰もとても面白いキャラクターです。早々に負けてしまっても青峰への興味が失われることはありません。なんなら私は負けた後の青峰の方が見てて面白かったです。

桃井さんとお茶をする青峰は特に意味も無く面白くて好きです。

凄いな。この話。

⚫︎雑感

 当人はけっこうガサツな性格なのに、出てくるセリフは無駄に芝居がかっていて、それがあまりに似合わなくて面白いです。

「おまえの光は、淡すぎる」

いやあ、面白いですね。初めて聞いた時思わず笑ってしまいました。
本当に似合ってない。

 青峰はバスケ部のスタメンに暴力を振るったりする場面がありますが、なぜか根っこの善性が滲み出てくるのか、あんまり怖いとか悪いとかいう印象はありません。
 天才の割にはけっこう常識人で、人の心もわかります。精神性は物凄く普通です。

 今は思春期で不安定なんだと思います。3年も経てばだいぶ丸くなっていることでしょう。

⚫︎緑間真太郎

⚫︎こういうやついる

こういう人っていますよね。

 こだわりが強くて、自分の中のルールを変えられない。嘘がつけない。理屈っぽいのに感情的。表情の変化に乏しくて、他人に興味がなくて、他人の恋愛感情に鈍い。
 頑固でコミュニケーションが下手で他人に心を許さない割に、なぜか他人に本気で嫌われることは少なく、なんなら周りが「しかたないなあ」と積極的に面倒を見る。
 一見凄くめんどくさい人間性なのに、そいつが怒っても不機嫌になっても、それが周りにストレスを与えない。たぶん緑間、怒っても数分後にはコロッと忘れてますよ。機嫌が治ったら周りが「お! 機嫌治ったかな?」ってイジりに行きます。なんなら怒ったことも面白がられます。

 そいつの感情を伝える媒介になるためにコミュニケーションに長けた陽キャがいつも近くにいて、わがままも不機嫌も笑って流す。

いますよね。こういう人。

 当人はなんなら少し人嫌いなくらいなのに、なぜか嫌われないんです。高尾みたいなやつが面倒見ているのも凄くわかります。いるよ。こういう人。

実際にモデルになった人物がいたのかもしれません。

 ということで、けっこうなリアリティを持ったキャラ造形だと思います。妙に生々しく感じます。

⚫︎おまえ絶対にモテないだろ

 当人が恋愛に興味無いし、異性と接点無いし、基本正直過ぎて無神経なのでモテません。ただし嫌われもしません。嫌われても気づきません。

⚫︎高尾に感謝しろ

 緑間みたいなやつには高尾みたいなやつが常にそばにいるんですよ。「こいつこう見えてかわいいやつなんだよ」とか言って周りとの緩衝材になってくれる世話焼きなやつが。

感謝しろよ。緑間。

感謝しなくても嫌われないからアレだけど。

 でもたぶん緑間も気づいてると思うんですよ。高尾が凄く良いやつなことに。 緑間は高尾にツンデレと言われますが、感情を表に出すのが苦手なので、やっぱり高尾に対する友情もあんまり表には出しません。

⚫︎周りの不幸があまり影響しないタイプ

 キセキの世代は才能が開花して徐々に悪い方向に転がっていきますが、緑間に限ってはそんなことは関係ないのではないかと思います。こういう人間の目標やモチベーションは、いつも自分に中にあるからです。バスケを他人と楽しくやれればそれに越したことはありませんが、他人に興味が無い緑間にとってそれは二の次です。自分の目標第一。

 そもそも人間関係や他人の感情にものすごく鈍いので、周りが拗れたことにあまり気づいていないかもしれません。いつも緑間はただただストイックに目標に向かってバスケやってるだけです。

 おそらく緑間視点で黒子のバスケの世界を見たら凄く平和です。他人の不幸に気づかないし、緑間は自分と他人を比べて絶望とかしないので。

 高尾やバスケ部員とのハートフル友情部活ものにしかならないでしょうね。

●こいつ将来絶対バスケやめる

 絶対に続けてないですよ。「他にやることあるし」とか言って辞めると思います。才能があるけど、プロになって真剣に続けることはない。そんな妙な現実味があります。

⚫︎紫原敦

●何がおまえにそう言わせる

「バスケなんて欠陥スポーツ」「嫌い」「才能の無い奴がやるのは無駄」
 紫原は度々、体格がものを言うバスケットボールは欠陥スポーツだし嫌いだと言います。だけど勝つのは好きだし努力する。
 黒バスの世界ではゾーンは「それを好きである」ことが入る条件です。だから紫原はバスケが好きです。だけど彼は「バスケが好き」とは言えない。「嫌い」だと言い張る。

何がおまえにそう言わせるんだ。紫原。

 本当は好きなものを嫌いだと言わないといけないその心情。色々思うところはありますが、何を思ったところで妄想にしかなりません。
 そんなふうに心情を想像させるからか、けっこう好きなキャラです。
 恵まれた体格に加えて、キセキの世代に数えられるぐらいの才能。彼は自分が努力ではなく、天性の与えられたものによってバスケをできることを理解しています。才能は努力しないと開花しないので、もちろん彼は努力で今の結果を出してはいますが。

劇場版『LAST GAME』での黄瀬のセリフ
「俺、思うんスけど。周囲とはサイズもパワーも違いすぎて、心のどこかで相手にケガさせないように、みたいなセーブがかかってたんじゃないスかね」
これは黄瀬の評であって紫原自身がどう思っているかはわかりません。しかし黒バスは二人称視点が信用できるアニメなので、わりと正しいとも言える。

 紫原は自分の体格の有利を理解していたし、周りに怪我をさせるかもと全力を出せなかった。

 そうなると「捻り潰すよ」ってセリフも捉え方が変わってきます。だって紫原はそんなことしたくないんですから。それなのに「捻り潰すよ」です。
こんな風な言動をしなくちゃいけないこいつの心情。
それを思うとなんとも切なくなりませんか?


⚫︎笠松幸男

●スタッフに愛されている

 ちょっとこの人、作画優遇されてるんじゃないですか? 22話の更衣室の場面とかめっちゃ動いてるよこの人だけ。作画班に笠松先輩を好きな人がいたんだろうな。
 いや、笠松先輩が泣く回で監督が絵コンテ演出やってる辺り、監督も笠松先輩を好きなのか? みんな笠松先輩が好きだな。私も好きです。

 スタッフの多大な愛は感じるけれど、やっぱり黒バスらしく描写は抑えられていて、裏にドラマを感じるキャラの代表みたいなイメージです。

●良くも悪くも

 黒バスってスタッフの興味の有無、気合いのあるなしが画面に露骨に出るアニメだと思います。良くも悪くも。笠松先輩は作画優遇されてるし、やっぱり掘り下げとかも気合い入ってる感じします。私はそういうの良いと思います。そういうの笑って見るタイプです。

「お、この回は作画いいな。真面目に見るか」
「この回作画悪いな。次の回が本番かな。今回は画面は見なくていいか」
「このキャラは作画が良くないな。スタッフに興味持たれてないな」

 こんなことを思いながら見ているけど、あまり良くはないと思います。邪推だしね。
 でも黒バスを見ているとアニメ制作って面白いなって思います。こんなに制作陣のやる気のあるなし、キャラへの愛着のあるなしが露骨に画面に出るアニメも珍しいとは思います。

⚫︎花宮真

●ラフプレーはダメだと思います

 10年前も私はリアルタイムで黒子のバスケを見ていたんですよ。録画して家族みんなで毎週楽しみにしてたんです。でも途中で見るのをやめました。私が視聴をやめた原因がコイツです。
 
ラフプレーはダメだと思います。

家族全員見るのやめちゃったよ……

 みんな何も言わなかったけど、全員内心ドン引きしてたんだと思います。私も引いたしね。

ラフプレーはちょっとね……

●でもこれ黒バスだし

 単純に私のフィクションに対する許容範囲が広くなったってこともあるとは思いますが、今は何か変なことがあっても「でもこれ黒バスだし」って思えば割と何でも受け入れることができます。

ラフプレーぐらいありますよ。だってこれ黒バスですし。
 
でもラフプレーはダメだと思います。

 黒バスがトンチキバトルバスケアニメだから許せる。そういうスポーツマンシップに反するキャラが出てきても受け入れられる土壌がある。

他の作品だったら受け入れられなかったと思います。

 他の要素についてもそうです。黒バスって馬鹿馬鹿しくて「そうはならんやろ」ってことがあっても許せるんです。そして欠点も笑いどころとして見れます。作画が悪い時露骨に止め絵が増えるんですけど、その度に「止まるんじゃねえぞ」って言いながら見てます。

●嫌いじゃないよ

 最終的には花宮もわりと好きになったので良かったです。花宮は面白いんですよね。何が面白いって声が面白い。あの声で「ふはっ!」って笑われると面白いです。言ってしまえばルルーシュの声ですからね。

 花宮、あれでチームメイトの信頼は集めているっていうのがまた面白い。いや、どうやって??? なんでそれで信頼されてる???

理解できねえよ。

でもなんとなく好く気持ちはわかるよ。理解はできないがわかる。めちゃくちゃわかる。なんだろう。こんなことを言っていたら花宮のことをますます好きになってきました。

⚫︎氷室辰也

●皮肉ですか!?

「黒バスのオープニングの曲ってカッコいいな。歌っているのは谷山紀章って人か。なんか聞いたことある名前だな。あれ、これ氷室の声優じゃね?

……皮肉ですか!?」

 黒子のバスケは本編外の要素まで含めて物語の世界が成立しますが、オープニングもこの世界観を形成するのに一役かっています。
 天才に敵わない、ゾーンに入るには才能の足りない秀才キャラの声優に主題歌を歌わせる皮肉。

このアニメの制作陣、性格悪いな。

物凄く厭味で皮肉が効いています。
皮肉が効き過ぎて美しさすらあるな。
このアニメ、美しいな。
にしても制作陣の性格が悪すぎる。

●雑感

 火神とのエピソードが蛇足に感じちゃったキャラではありますが、黒子のバスケの絶望的な才能の差っていうものを表現したキャラなので必要ではあります。そういう部分では凄く好きなキャラです。主題歌歌ってるってだけで好感度が上昇しました。

⚫︎黄瀬涼太

●キセキの世代の涙は安くない

 ただしすぐに泣く。

 黄瀬が特にそうだけど、キセキの世代はすぐに泣く。キセキの世代でなくとも泣く。「こいつはさすがに泣かんやろ」と思ったキャラも泣く。

 でもこのアニメのすごいところはキャラの涙がまったく安くならないところです。すぐ泣くけど。
毎回「泣いてる!?」って思います。

 インターハイの海常対桐王の後の笠松先輩の泣く場面とか衝撃でした。

な、泣いてっ、泣いてる!?......笠松先輩が泣いてるよ!

思わず一緒に見てた家族に叫びました。

笠松先輩が泣いてるよー!

 キャラの泣きの描写がいちいち気合い入っててはわわってなります。こんなに泣き描写に気合い入れたアニメ、そうそう無いですよ。

 こんなに泣く場面がいっぱいあるのに涙が全く安くならないのは、やっぱり描写に気合いが入ってるからなんでしょうね。作画もいいし、本気で顔歪めて泣くもんな。
でも黄瀬はさすがに泣きすぎです。

黄瀬、また泣いてるよー!

●剥ぎ取られるカッコよさ

 黒バスのキャラ造形ってキャッチーさと人間ドラマが両立しているところが魅力だと思うんですけど、キャラの二面性としてカッコよさと情けなさ、みたいなものが表現されてるのが大きいと思います。ようは黄瀬の泣きですよね。黒バスの二面性です。

 キャラクターがカッコいい時は現実離れしたぐらいカッコいいのに、情けないシーンは本当に情けない。キャラクターに対する容赦がないんです。カッコいい時はとことんカッコよく、でもそのカッコいいキャラの情けなさもとことん表現する。この両極まで表現する。1個のキャラクターで表現する幅が広いのが、黒バスの面白いところだと思います。

⚫︎おまえだろ

 111-11、提案したの黄瀬、おまえだろ?

 こんなことを思いつくのはおまえだ。なんかセリフ聞いててもそれっぽかったしな。いや、わかるよ。おまえはそういうやつだ。無自覚に無神経なタイプだ。
純粋だから残酷なんだ。

「黒子っちの友達いたんスか? それならそうと言ってくれれば……」

この見事な無自覚無神経ムーブ。

 純粋だから単純だし優しい。たまに人と噛み合ってない。人の心がわからない。天才像としては非常にわかる。いますよ。こういう天才キャラ。

黒バスの無自覚無神経天才キャラ枠は黄瀬ですね。

●邪道の中で輝く王道

 黒バスは邪道なスポーツものです。しかしそんな中で邪道と王道を使い分けている。
 その王道展開を一手に担うのが黄瀬です。黄瀬は黒バスの王道展開における主人公(今はこう言っておく)です。

 輝く才能、溢れ出るスター性、チームのために戦うエース。ホビーアニメの主人公ばりにまつ毛がバシっとなっている。「一般的に想像されるであろう主人公性」がそこにはあります。
 誠凛のメンバーが言うように、海常は観客の心を掴み、声援を受けます。
黄瀬はこのいっとき、「主人公」になったのです。

 2話で登場した黄瀬は、キセキの世代の中でも成長型のキャラクターです。最初は弱くてドンドン強くなる。精神的成長もする。心境の変化もある。ヒロイックな活躍の場を与えられる。
そんな黄瀬は文句無しにカッコいいです。
1期の最終戦、黄瀬がメインだしね。

 ですがどんなに黄瀬がカッコよかろうと、主人公ムーブをしようと、彼は主人公足り得ません。

主人公はあくまでメタで決まるものだからです。

●勝つのは誰か、主人公は誰か

 黒バスにおいてキャラの立ち位置とメタは一致している。つまり、この物語ではキャラクターにこれから何が起こるか、運命が決まっている。

 主人公になるのは主人公として生まれたキャラクターだけです。

そしてこの物語は「黒子のバスケ」です。
これは黒子テツヤの物語であり黒子テツヤが主人公です。
それを突きつけるセリフがあります。

61話
火神「これはオレたちの物語だ。筋書きはオレたちで決める」

これを聞いた時、私は確信しました。
「黄瀬は負ける」と。

 同時に黒子のバスケの強すぎるメタに気付きます。
 これはセリフの表面だけなら「未来なんて決まっていない」という意味に取れますが、残念ながらこれはアニメで黒子のバスケです。メタ視点が強すぎる物語です。

 こんなセリフがメタ視点の強い物語に出てきたら、それに込められた意味は真逆になります。結末はすでに決まっているし、最後には主人公が勝つ。そして主人公は黒子であって黄瀬ではない。

これはいわば、作者の黄瀬に対する敗北宣告です。

 まるで主人公のように活躍する黄瀬は、しかし主人公ではない。
 メタ視点の強い物語では、このような主人公ムーブをするキャラが出てきた時、最後にはそのキャラを主人公ではないと突きつける必要があります。黒バスにおいては火神のセリフがそうです。

 その役割通り黄瀬のいる海常は敗北し、決勝に進むのは黒子のいる誠凛です。

●黄瀬に欠けた主人公性

 いくら表面的な主人公ムーブをしようと、いくらヒロイックなムーブをしようと、主人公以外が主人公になることはありません。

 では、黒子と黄瀬を分かつものはなんなのか。

 黒子のバスケの物語で、最も主人公に特別性を付与する要素とは何か。
それは、他人を変えること。

主人公は他人を変えることができます。

 黄瀬は他人を変えることができません。それが黄瀬に欠けた主人公性です。だから1期のインターハイ、黄瀬は青峰に敗北します。青峰が負ければ変わってくれるかもしれない。しかし黄瀬は青峰を負かすことができません。黄瀬は他人を変えられない。むしろ変わっていったのは黄瀬の方です。
「変わったんじゃなく、変えさせられたんじゃないスかね」

黄瀬は変えさせられた。
誰にかって?
主人公にです。

⚫︎赤司征十郎

⚫︎強キャラは逆光で登場する

「待たせたね」
 39話の予告での赤司のセリフです。続く40話で赤司がキセキの世代のメンバーを呼び出して、後から登場したシーンを見た時の衝撃を伝えたいです。

この人、絶対に強い。

誰よりも高所に立ち、逆光で顔は見えない。そして最後に満を辞して顔が見える。

完璧ですね。

強キャラの登場シーンとして完璧です。
「なんだこのキャラクター!? 只者じゃないぞ」
そう思わせる登場シーン。

 これを見て以来、強キャラの登場シーンに飢えています。そういう場面だけ連続で見たいです。

⚫︎「様」付けしたくなる格の高さ

気づいたら様付けで呼んでいました。
そのぐらいの格の高さを感じました。

 黒バスは強キャラの強さ、格の高さの表現がうまいです。大袈裟に、バカバカしいほどに、徹底的にキャラの強さを表現する。その描写の迫力が全面的に出ているのが赤司です。真の強キャラは予告でまで徹底的にお膳立てされる。

 出てくるたびにいったい次は何をしでかすのかとドキドキしました。恐ろしいと同時に、「強い! カッコいい!」とも思いました。

 私の中で赤司征十郎は「個人的フィクションの凄いキャラクターランキング」の5位以内には入っています。

 頭が良く、人間離れした能力の高さを持ち、高慢で、勝利が基礎代謝で、未来が見える。オマケにイケメンでセリフが面白い。

圧倒的な格の高さ。

もはや発明だと思います。このキャラクター。
こんなキャラクター他にいるんでしょうか?
いたらごめん。

⚫︎かわいそう

 一人称「僕」でオッドアイ、高圧的な赤司は本来の赤司が生み出した人格。主人格ではない彼は劇場版で人格統合の末消えてしまいます。

なんというか、かわいそうです。

 主人格の方が強いストレスに晒された末に、それを引き受けるために生まれて、負けて引っ込められて、人格統合されて消えてしまう。

かわいそうです。

主人格ができないから今まで頑張ってきたのに。

 正直オッドアイの方の赤司の方を長く見てきたし、言動も面白いので好きです。同一人物ではありますが、報われないなあと思ってしまいます。

⚫︎どんな気持ちで言ってる

「邪魔をする奴は親でも許さない」とはオッドアイのの人格の赤司のセリフですが、そもそもこの赤司の人格が生まれたのは、父親の課す完璧さをまっとうするためです。

どんな気持ちで言ってるの?

 実際、この赤司はもし父親が邪魔をしてきたとして、他にするように高圧的に振る舞うことができたんでしょうか? 主人格はそれをできないけど、自分にはできるという意味なのでしょうか?

本当にできたんでしょうか?

⚫︎赤司様、弱くね……?

 2期の中盤に登場し、普段から修徳との試合まで格の高さを徹底的に見せつけてくれた赤司。しかしウィンターカップの決勝を改めて見ていると思いました。

さっき赤司のこと散々褒めておいてなんですが、

「あれ? 赤司様、弱くね……?」

 いや、赤司様は充分強いんです。でも正直、もっと強いと思っていました。誠凛はもっと苦戦すると思っていた。しかし2周目を見ていて思いました。

赤司様……あれ? 赤司様、よわ……弱くね!?

弱い!
メンタルも弱い!

私の記憶の中の赤司様はもっと強かった。
私の妄想か? そうかもしれない。

 あの決勝の赤司様を本来の赤司様の強さだとは思いたくないです。なんかデバフかかってたんですよね? そう言ってくださいよ。

赤司様、最後に泣いてるしね。
泣く赤司様、解釈違いです。

⚫︎何がおまえにデバフをかけた

 私があれを赤司様の本来の強さだと思いたくないので、あれはデバフがかかっていたということにします。
 じゃあ、何がこの人にデバフをかけてしまったのか?

思い当たるものが一つあります。

ひょっとして、あの人のせいなんじゃないか?

⚫︎雑感

 実は声優があまり好きではないんですよね。どうにも喋り方のクセが強過ぎて、赤司の声優を知った時は残念に思ったぐらいです。
 ですが実際に聞いてみると違いました。確かにクセはありますが、赤司の独特の芝居掛かったセリフや人間離れした格の高さに合っていました。この声優のキャラを好きになる日が来るとは思っていなかったです。やはり黒バスはキャスティングの的確さは折り紙つきです。
 
 ところで赤司って作画が絶対に崩れませんよね。作画が崩れる赤司なんて解釈違いですもんね。

⚫︎黛千尋

⚫︎完璧な脇役が主人公を輝かせる

 本格的な登場までひたすら顔を隠されたキャラクター。黛千尋の存在はこの物語において、かなり重要です。

なぜなら彼は、完璧な脇役だからです。

 黛千尋は赤司に見出された洛山のシックスマン。帝光での黒子のポジションを勤める彼は、しかし黒子のように完璧に役割を果たすことはできませんでした。
 完璧な影になるには、黛の「我」は強過ぎました。存在感を消し影でいるためには、自我は邪魔なものなのです。

 チームのために徹底的に感情を抑え、周りを輝かせる役割に徹する。そんな楽しくないことを完璧に遂行できる人間はなかなかいません。果たして黛は影の薄さを黒子に上書きされ、チームメンバーからも見放されます。
 この描写が必要なのは、主人公の黒子がいかに自分の役割に忠実かを示すためです。自分の役割のために自我を抑える、自分が輝きたい欲求を抑える、それがいかに難しく、それをできる黒子の凄まじい勝利への貪欲さと鋼の理性を示すため。

 言ってしまえば黛は、黒子を全力で輝かせた影なのです。

 そして彼の存在として重要なのが赤司と黒子に対するワキの役割です。
 ワキはシテを見て現実世界とシテの媒介を果たす。黛のモノローグには黒子と赤司に関するものが多いです。赤司はあまり表に感情が出てこないキャラクターですが、「テンション上がってんのか?」など黛の視点のよってその感情の一端を知ることができます。

 モノローグを上手く使う映像作品の場合、キャラクターが自分のことを言うことはほとんど無いと思います。映像の伴う物語では一人称より二人称の方が信用できるものなので。黛が登場話数の割にモノローグが多いのは黒子の特殊性を見せるため、赤司の心情描写のためです。

 黒子の特殊性を浮き彫りにし、赤司の心情を詳らかにする。彼の存在意義はその短い登場シーンの中で圧縮され濃密なものになっています。

 1周目の黒バスを見終わって黛に関して衝撃を受けたのですが、その時はなぜなのかわかりませんでした。見終わった後、黛のことを考えている時間は多かったです。そして気づきました。

黛千尋は完璧な脇役なのだと。

 黒子という主人公の特殊性、赤司というラスボスの人間性、その二つを描写するためのキャラクター。顔を伏せられ、黒子のために負け、赤司を見て、赤司から主人格を引き出し退場したキャラクター。

これが完璧な脇役。

あれだけ登場を引っ張ったキャラクターがこの完璧な脇役。

なんなんだこのキャラクターは。

 黛千尋は黒子のバスケを完璧な物語たらしめる要素としてかなり大きいです。私は主人公至上主義で、物語において最も重視しているキャラクターは主人公です。主人公は主人公1人でも燦然と輝くものだし、その存在に匹敵する存在などいないと思っていました。

 ですが確かにそうです。完璧な主人公がいるのなら、完璧な脇役だって存在するのです。そして完璧な脇役は、主人公をより輝かせるためにいるのです。

黛千尋はとんでもないキャラクターです。

 私は黛のその完璧な脇役性に気づいて以降、物語において主人公を輝かせる脇役について考えるようになりました。
黛千尋は私の物語観に影響を与えたキャラクターです。
完璧な脇役として彼はとても美しいキャラクターです。

⚫︎鮮烈な印象

 黛千尋がアニメでまともに登場した回はラストの10話もありません。黛千尋は完璧な脇役。でも所詮脇役は脇役のはずです。
 なのにその脇役性が完璧だったせいなのか、鮮烈に印象に残りました。脇役なのに。エンディングで赤司の影ポジションとして出てきた時思わず「へー」って言いました。なんでかよくわからなかったです。
 果たして彼のその印象の強さは完璧な脇役性からだけ来るものなのでしょうか?

⚫︎世界に入り込んだバグ

 このキャラクターの鮮烈な印象は脇役性からくるものではない、と思います。
彼の存在は黒子のバスケにおいて特殊なものだったのではないか?
2周目を見ていて思いました。

黛ってバグみたいな存在だなあ

 黒バス世界に生まれたバグ。この人がいるせいで黒バスの世界はどこかしら狂っている。

 この人、黒バスのキャラクターとしては雰囲気違う感じしませんか? 出てくる作品を間違えた感、とでも言うのか。

 黒バスはもともとキセキの世代とそれ以外のキャラクターで、髪色のせいなのかいる世界が違いそうな雰囲気はありますが、黛はそれともまた違う雰囲気があります。
黛は本来世界にとって異質なバグ。
では黛は、なぜこんなにも特殊なのでしょうか。

⚫︎なぜか色ネーム

 キセキの世代は名前に色が入っているのがこの世界のルールですが、それに漏れて色ネームをもっているキャラクターはいます。虹村先輩、白金監督、そして黛です。
基準がまったくわからない。

 虹村先輩や白金監督はバスケに関して才能のある方ではありますが、黛に関してはバスケの才能はそこそこでしょう。洛山で練習やっていれば上手くはなりそうですが。

 この3人の共通点は全くわからないですが、黛はキセキの世代のキャラの1人と共通点があります。

それはもちろん黒子テツヤです。

⚫︎主人公は1人だけ

 黛は世界に入り込んだバグ。黒子と同じく影が薄い。黛と黒子との共通点は果たして影の薄さだけでしょうか?

 黛は特殊な存在。特殊さとはたいてい主人公の専売特許です。特殊性は主人公性です。

 黛は黒子と同じく主人公性を持つのです。そしてその主人公性が赤司を狂わせました。黒子のバスケの世界での主人公性は、人を変えること。

黛は赤司を変えました。

 物語の中で主人公が2人存在することって可能だと思いますか?
 私は色んな意味で難しいことだと思うんですけどね。群像劇だろうとダブル主人公だろうと主人公性の比重は誰かに傾くと思います。一つの推理小説に名探偵が2人登場しないのと一緒です(いることもあるけどね)。

 メタ要素の強い黒子のバスケのような物語では、なおさら主人公はただ1人です。こういう系統の物語は私はけっこう好きですが、大抵ただ1人の主人公が異質な存在で強者です。

 主人公は2人以上必要ありませんし、存在できません。

 黛は主人公には決してなり得ませんが、黒子のバスケの世界で主人公性を持つのは黒子以外ではおそらく黛だけです(木吉鉄平の対花宮や対紫原に関して主人公性と言えるのでは? と思いましたがいかんせん明確に変化したとは言いにくい)。

 黛がこの物語で主人公性を持って存在できるのは、完璧な脇役性も両立しているから。そして黛は世界に入り込んだバグで、その主人公性が赤司特攻(むしろ専用)だからです。

⚫︎バグが赤司を狂わせた

 赤司特攻の主人公性を持つバグは赤司にデバフをかけました。
 黛の登場話数は10話もありませんし、赤司との絡みも劇中ではほとんどありませんが、おそらく当初私が想像していたより10倍ぐらいは仲が良いんじゃないかと思い始めました。

 私は最初この2人をもっとビジネスライクな関係として捉えていたんです。でも赤司は「面白い。尚更気に入った」とか言っていたし、たぶんそんなことはないです。出会ってすぐバグにバグらされています。
 
 私としては赤司がそんなふうに特定の個人に入れ込むとは思えなかったし、このセリフも冗談みたいなものだと最初捉えたんでしょうね。
 考えてみれば赤司は冗談言わねえだろ。「面白い」って言ってたら本気で面白がってるよ。

 黛の主人公性に引っかかった赤司は、おそらくかなり感情的になっているんだと思います。たぶん赤司は黛のことがけっこう好きです。
 決勝で黒子に影の薄さを上書きされた黛を赤司はコートに残しましたが、あれイマイチ必要性が分からないです。なんでも使いようではあると思いますし、ある程度使えましたが、層の厚い洛山なら強い選手は他にいくらでもいたでしょう。その他の強い選手を入れることより、黛を残すことのメリットは上回っていたんでしょうか?

ねえ、赤司様。正直に言って。上回ってた?

 そんな感情的な動きをしてしまった赤司は弱いです。黛と一緒にバスケできてテンション上がってたんだと思います。
「テンション上がってんのか?」
黒子のバスケにおいて二人称は正しいです。たぶん正解です。

 黛は赤司を感情的にしただけでなく、赤司の主人格を呼び覚ますまでのことをしています。この人はやはり、対赤司においては主人公です。

⚫︎雑感

 大人しそうな見た目に反して、うるさめで口の悪いモノローグと自己愛の強さ、ラノベ好きと意外性の塊みたいな人間性でした。ここに完璧な脇役性とバグのような主人公性が加わり、何ともカオスで異質なキャラクターが出来上がっています。

 今後2度と出会えないと思います。こんなキャラクター。いてたまるか。

 色んな意味で面白さもあるキャラです。赤司に勧誘されたシーンで口調の変わった赤司にドン引きした顔してるのが好きです。赤司がラノベを持った状態で勧誘してきたり、けっこうなトンチキ面白空間です。

 赤司様をギャグ時空に持っていけるのも、やはりこの人の主人公性のなせる業かもしれません(ギャグ時空に持っていけてる降幡って凄いな)。
ぜひ赤司様と漫才をしていただきたい。

 映画版『LAST GAME』、影ポジションキャラの中で1人だけ妙な特別感を出して登場したり、やっぱり異質さが強いキャラです。
 最初なんでこの人だけが他のキャラに比べて特別扱いされるのかが不思議でしょうがなかったです。
 そんなことを考えているうちに出した結論が、「黛千尋は世界に入り込んだバグで、黒子以外で唯一主人公性を持つ」というものでした。

なにせ黛千尋は「黒」の「代」わり、なのですから。

⚫︎黒子テツヤ

⚫︎何がおまえを主人公たらしめる

 黒子テツヤはあまりにも異質な主人公でした。今までこんな主人公は見たことがなかった。

 私の中で主人公は方向性の違いはあれど、性格が良かろうと悪かろうと、光り輝く存在だったし圧倒的な強者でした。

 しかし黒子に輝ける才能はありません。まともなシュートもドリブルもできず、影の薄さを利用したミスディレクションのパス回ししかしない。

そんな黒子テツヤをいったい何が主人公たらしめるのか?

その疑問が私がこのアニメを真面目に見ようとした動機です。

 私はなぜか最初から黒子テツヤはちゃんと「主人公」できるという確信はありました。このアニメは凄い主人公像を見せてくれるんじゃないかと1話で思わされた。それが黒子のバスケの物語構造の強さです。

⚫︎理性と感情

 黒子は影としての役割のために感情を見せず、試合中でも自分が輝こうとはしません。彼が完璧な影としていられるのは、自分が輝きたいという欲求を抑える鋼の理性があるからです。

22.5話
黄瀬に影の役割は楽しいのかと聞かれた黒子
「楽しくないですよ。負けたらもっと」

 楽しくないのです。黒子は影でいることは楽しくない。でも負ける方がもっと楽しくない。黒子はその実、誰よりも勝利に対して純粋にまっすぐです。勝つためなら自分が輝かなくてもいい。

 黒子は才能の無い人間でもバスケを好きでいていいし、バスケをしていいと言います。実際黒子には才能が無い。
 しかし黒子は自分がシュートを決めたりして負けるより、影に徹してでも勝ちたいのです。

 黒子には自分が輝きたいという欲求は確かにあります。それがわかるのが2期1クール目のオープニング『The other self』の映像です。冒頭、黒子は観客に向かってガッツポーズをしています。作中にはこんな場面はありません。これはいわば、黒子が思い描くスター性を持つ自分です。

⚫︎ガッツポーズの意味

 私はこのOP映像を見た時、「今やる映像か?」と思いました。私は途中まで黒子がいずれ輝く主人公になると思っていたのかもしれません。その黒子が観客に向かってガッツポーズをしている。

黒子がガッツポーズをしたら話が終わらないか?

 しかしこのOP映像は結果的に最後にやるべきものではなかったと判明します。

黒子は輝くことなどないからです。

 ドライブをし、シュートをするようになった黒子はウィンターカップの準決勝でブザービーターを決めます。「お、主人公として風格が出てきたかな?」と私はのんきに思っていましたが、それは覆されます。そんな目立つことをした黒子は、決勝戦で影の薄さを失い、得意のパス回しすらできなくなります。

ガッツポーズは幻想だったのか。
黒子は輝かない主人公なのか。

 ガッツポーズは絶対に実現しないシーンだったのです。あれは黒子が夢想する輝けるスター性を持つ自分。コートの上の主役の自分です。

 黒子は自分が輝きたいと思っていた。喝采を浴びたいと思っていた。しかし黒子はそんなスター性は持ち得ません。

 決勝戦の最後、黒子はついにシュートをすることなく、コートの主役の座に火神を据えます。
 黒子テツヤはスター性を持たない主人公として終わります。

⚫︎讃えてくれるのは自分だけ

 3期の過去編のオープニングは黒子テツヤの声優が歌っています。ここで歌われているのは黒子の心情です。本編では言葉少なな主人公の心情は曲に出てきます。

 人と違う自分に意味を見出し、自分の歩む道を正しいとする、これは黒子の自分への賛歌です。
 影が薄く、才能もない、コート上で輝かない黒子を讃えてくれる人はいません。彼の心情を知るものは誰もいません。

そんな彼の自分への賛歌です。

⚫︎影の主人公の主人公性

 主人公という立ち位置は表面的な活躍の多さでは決まらず、性格でも決まらない。
 主人公性は作品によって違いますが、明確に主人公を主人公として描こうとするなら、その主人公性とはなんなのかということに言及されます。
 他のキャラのモノローグによって、そのキャラの特殊性について言及されことが多いですね。黒バスの場合わかりやすいです。

 今までも言ってきたように、黒バスにおいての主人公性は「人を変える」ことです。黒子は人を変えてしまいます。

30話誠凛対修徳回での会話
桃井「なんか、変わったね。みどりん」
黄瀬「そうっスか?」
桃井「あと、きいちゃんも変わったよ」
黄瀬「どこがっスか」
「だとしたら、変わったんじゃなくて、たぶん変えさせられたんじゃんいっスか」
……
高尾「でも、変わったこともあるかも。たまーにだけど、みんなでバスケしてる時も笑うようになった。それはやっぱり、あいつのおかげかもな(黒子を見る)」

黄瀬と高尾は黒子が人を変えることに言及しています。
 ある意味で、この物語では最も主人公を主人公たらしめる要素を「人を変える」ことだと定義しているのかもしれません。

 先ほど主人公性は作品によって違うと言いましたが、ちょっと嘘です。今まで見てきた黒バスに似たメタ要素の強い物語では、主人公性は大概被っています。

・抜きん出た才能、あるいは特殊能力
・人を惹きつける魔性
・人を変える影響力
・自分に与えられた役割を果たす意思

だいたいこれです。
あれ、書いていて気づいたけど、これ全部黒子持ってないか?
全部持ってるな。
すみません。全部持ってます。
黒子は全部持っている主人公です。

 けっしてコートの上では輝かないけれど、黒子は主人公として相応しい性質を持っている(当初の予定からズレれ焦っています)。

 こういう主人公は大概光属性です。性格が良かろうと悪かろうと光属性のパターンが多いです。ここでいう光属性というのは、当人が明るいということではありません。当人がいることによって周りが明るくなる(明るくなるの意味は問わない)ということです。

 黒子は影ですが、彼は「光が強ければ強いほど影も濃くなる」とも言います。黒子は輝く人をよりいっそう輝かせるために存在する。

 彼はそういう意味では確実に光属性と言えます。

 コート上での主役は火神ですが、火神をその主役の座に据えたのは黒子です。黒子は才能ある火神をより輝かせることができる。それは他のキセキの世代や才能ある者にはできないことです。

⚫︎おまえの理性どこ行った

 勝利のために影になり、自分が輝きたい欲求を抑え、普段から感情を抑えている黒子ですが、「才能の無いやつはバスケなんかするな」とか言われた暁には、めちゃくちゃキレます。

おまえの普段の理性どこ行った。

 自分よりはるかに体格の良い、おまけに性格の悪い人間にわざわざ会いに行ってキレる。よくそんなことができるな。

そういうところもギャップがあって良いのか?
……良いのか?
うーん。私は冷静な黒子の方が好きです。

⚫︎わざとなのか

 過去編の66話。黒子は決勝戦前の試合で最初からコートに出ることを申し出て、相手の選手にぶつかり怪我をします。それによって黒子は荻原の学校との決勝戦を欠場します。

 この場面、妙な表現されてるなあと思うんですが、黒子はわざとぶつかったように見えるんですよね。
 欠場を狙ってわざとぶつかって、狙い通り欠場になって、でも赤司に手を抜くなと言う。
 そうでもないと、荻原に関して「自分のせい」っていう表現はしない気がします。

 「友との約束を踏み躙り」ってモノローグが入るけど、「踏み躙る」っていう表現は意図的じゃなくてもするものだろうか?

わからん。考え過ぎかもしれません。

⚫︎変わらない主人公

 黒子テツヤは今まで見た中で最も「変化の無い主人公」だったかもしれません。
私の中で主人公というのは変わるものでした。他人を変え、場合によっては世界を変え、ついには自分も変わらざるを得ない。

 そうやって主人公が変わった時というのは、主人公が真の主人公として覚醒した時か、主人公が主人公としての役割を終えた時です。

しかし黒子は変わらない。

 黒子テツヤは物語が始まった時からもう既に主人公として完成されていました。これがけっこう新鮮味があったかもしれません。

変わらない主人公ってアリなんだ。

 今まで変化のない主人公なんてつまらないって思っていたのですが、黒子テツヤは主人公として面白いです。
 黒子は心境としての大きな変化などは本編の時間軸では起こっていません。時間が進むにつれて感情を見せるようになるということもありません(少しは見せるようにはなりますが)。自分の役割と欲望の間の葛藤も、はっきりとは描写されません。

 彼の心境は基本的には彼の内側で完結します。黒子の心情は作者のみぞ知りうることです。

黒子テツヤは最初から完成された主人公で、変わることはありません。

⚫︎主人公の存在感

 黒子テツヤは影が薄い、本人が輝けないというキャラクターではありますが、物語の主人公としては存在感がありました。

 表立った活躍は少なくとも、誰かの心に働きかけて影響を与えている。
 キセキの世代は黒子に変えられて楽しくバスケをできるようになっていきます。キセキの世代のキャラが画面に映れば、視聴者はその向こうに彼らに影響を与えた黒子の存在を見ることになるのです。

 そしてもう一つ、黒子の存在感を示す上で大きかったのが、各話冒頭のナレーションです。

 「幻のシックスマン」という実在するかわからなかった存在は確かに存在し、主人公を務めている。
 黒子の存在を常に意識させる上で重要ですし、演劇的なケレン味があり非常に好きな要素でもあります。

⚫︎主人公性を浮き彫りにする

 序盤を見ていて黒子に対し思ったことがあります。
「黒子は他の物語なら、主人公ではなくキーキャラーに置かれるタイプだな」
 こういうキャラは大抵物語の謎を解くキーキャラとして置かれ、王道な主人公が別にいるのをイメージします。

 王道な主人公というのは、明るく無邪気で、事情を何も知らないというような主人公です。
 そういった主人公がキーキャラと関わり、彼の過去に何があったのかを知らないまま、彼の心に影響を与える。
 大概この文脈だと思います。今気づきましたが、黒子にあるのって「前作主人公」感かしれません。

 しかし黒子のバスケは黒子テツヤが主人公なんです。これがとても不思議な感覚でした。キーキャラになりそうなキャラが主人公をやっている不思議。これは随分と邪道な物語だと。

 でも黒子は何度も言うようにちゃんと主人公なんです。黒子のバスケにおいて邪道は何のために使われるか。

それは、王道をより輝かせるため。

 主人公の位置に一見邪道で主人公らしくないキャラを置くことで浮き彫りにするものは、そのキャラの持つ主人公性です。

 黒子テツヤは影が薄く、バスケにおいて輝ける才能を持っていない。
 しかし彼は持っています。

・影が薄いことによって成立するミスディレクションという特殊能力
・黄瀬や桃井を惹きつける魔性
・キセキの世代を変える影響力
・光をより強くする影、その役割を果たす意思

 黒子テツヤは、主人公が持つ主人公性とは何か、突きつめて考えられ造形されたキャラクターです。
 そしてこの邪道な物語が、その真の主人公性を浮き彫りにしているのです。

 黒子テツヤはとても「主人公」していました。

⚫︎灰崎祥吾

●知らなくてもいい

 灰崎祥吾は黒バスのメインキャラの中でも最も心情描写が少ないキャラだったと思います。彼が内側で考えていることに対して、表に出てきてる部分は凄く少ない。

 黄瀬がいなければキセキの世代の1人であっただろうキャラクター。名前に色も入っているし、立ち位置だけなら彼のそれはとても重要です。
 しかし彼の心情は描かれません。

でも、それでいいと思います。

 キャラクターの心情は明かされなくてもいい。謎は謎のままでも素敵なんです。
 私は灰崎の心情を思うと、知りたいなあと思う。でもやっぱり知らなくてもいい。わざわざ心情を明かすなんてこと、しなくてもいいよ。灰崎。

●変わってもいい、変わらなくてもいい

 灰崎祥吾はウィンターカップで黄瀬に負けて、それ以降現在の時間軸では登場すらしません。舞台から早々に退場したキャラクターです。

 黒バスを一周目見終わった時、「そういえば灰崎だけ救いが無くないか?」と思ったのですが、今となっては逆なのかもと思います。

 灰崎がそうやって物語の最後にいないことが、むしろ黒バスの物語の救いのある部分なのではないか。
 黒子のバスケは結末の決まっている物語です。キャラクターの運命は最初から定められていると言っていい。
 そんな物語の中で灰崎祥吾は早々に退場し、黒子の影響も受けず、誰にも心情を明かさなかった。

 誰にも変えられず、誰にも心を開け渡さず、早々に退場し結末も知れない。

それはこの物語の救いです。

 だって灰崎は人を変える主人公の影響下から逃れることができたとも言えますから。そして描写が無い以上、彼の運命は決まっていない。

 彼はこの運命的な黒バスの物語の中で、自由になれたキャラクターです。
 灰崎はこれから変わるかもしれない。変わらないかもしれない。

どちらでもいいんです。
どうなったって自由なんです。
そしてそれは、あの主人公の影響ではないんです。

⚫︎運命に気づいている

53話の灰崎のセリフ
「本当に悪いやつ(灰崎の顔のカット)や、こええやつ(赤司の顔のカット)だっているんだぜ。同情なんてズレたこと思ってんじゃなーよ。残ったおまえらのほうが可哀想な目に遭わねえたあ限らねえんだ」
「そうだ。残ったやつらの方がな」

 キセキの世代はその後才能が開花し、その強すぎる才能ゆえに人間関係は瓦解し、楽しいバスケはできなくなります。
 灰崎はどうしてかその運命に気づき、そこから逃れます。

「本当に悪いやつ」は灰崎。「こええやつ」は赤司。

 この2人は黒子テツヤの主人公性が及ばないキャラクターです。黒子テツヤの人を変える力が及ばない人間。

 黒子が変えられない赤司を変えたのはバグの黛。そして灰崎を変える主人公はいません。

 運命に気づいている灰崎はそこから逃れ、自由になりました。

●雑感

 灰崎の能力はコピー能力。
 灰崎の名前の色は灰色だけど、最初から無彩色の灰色じゃなくて、全部の色を混ぜた結果出来上がった灰色なんだと思います。

他人の色を奪って取り込む才能。

 やっぱり灰崎は凄い才能の持ち主です。そしてこの物語でひょっとしたら唯一自由になれたんだから、けっこう特別だったんじゃないかなあ。

○全体感想


個性的でキャッチーかつ人間味のあるキャラクター。
無駄の無い話の組み立て。
ミュージカルのようなケレン味のある演出。
主題歌まで含めて隅々まで及ぶ世界観の構築。
一つのテーマを軸に展開される物語。
突き詰められた主人公性。

黒子のバスケは稀に見る非常に完成度の高く美しいトンチキアニメでした。

 ちょっと製作陣の趣味やノリが出てき過ぎなのはご愛嬌でしょう。そういう部分も私は好きです(擁護はしないです)。

まあいいじゃないですか。だってこれ黒バスだし。

ここまで読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。


おしまい

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