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「Gift」心と身体を育むということ

相談所と放課後デイサービスで
働き始めてもうすぐ
1ヶ月が経過しようとしている

子どもたちをみていると
気がつかされることが
沢山ある

子どもはやはり
親を、近くの大人を
模倣して育つということ

私自身
それに関しては
苦しい時期があった

私の母親は
幼くして実母を亡くし
その後早くに父親も無くした

その後母と母の姉は
二人の後妻の妹二人と共に
育った

母の姉は早くから
母の母親代わりとなり
早くから働き…嫁にいった

きっと母たち姉妹は
なんとなく親に遠慮して
生きてきたのだと思う

私は昔から、
ウチの母親が他の母親とは違うことを
何となく感じ取っていた

思春期には
不登校にはならなかったが、
いつも「死にたい」と思っていた

母の育ちについて
私は私を納得させようとしていたし

それ故に
いつも母に褒められる程の
成績が出せない自分を責めていた

私が本当にやりたかったことは
実は「バレエ」だったのだけれども

一度言って否定されて以来、
私は自分のしたいことをするのではなく

親のして欲しいことを
捜すようになってしまっていた

このことは更に
私から息子に連鎖される

息子は私が喜ぶことを
捜して…出来なくて…
不登校になってしまっていた

こうして今、
ここで語っているのは
母親のことや自分を責める為ではない

自分を理解することの大切さを
しみじみと感じているからだ

人は出来ないことや
わからないことがあると
ついつい誰かのせいにしがちである

私もずっと
母親の育ちが
私の生きづらさをつくったと思っていた

確かにある部分では
そうなのかもしれないけれど

このことがなければ
私は自分や子どもたちの心を
理解しようとはしなかったかもしれない

私はこの葛藤の中、
新たに感じていることは
自分を知ることの大切さだ

私が心理学を学び始めたきっかけは
息子の不登校だったけれど、

もし、それがなければ
私は今も母親に関する違和感を
受け入れることが無かったかもしれない

心理学を学ぶことは
時に自分の不甲斐なさや困難を
受け入れることが必要になる

息子が不登校になってしまったのは
私の期待に応えられない彼の苦しさや
困難だったのだと思う

それに気が付かされたとき、
私と息子の関係性が変わった

息子は登校はしなかったが、
道を外れることも
あまりしなくなったし、

自らの力で高校を選び、
自らの力で単位をとって
あと一年になった

そうして息子との関係性が変わると
私の母への見方も変わってきた

母は自分が
進学したいのに出来なかったことを
私たち姉弟にはさせまいとしていたこと

だから教育熱心になり、
過干渉気味になってしまっていたこと

そして何より
私が母の顔色ばかりみていることに
腹立たしさを感じていたであろうこと

そこに深い愛情を感じることが
できたのである

人は大切な人ほど
わかってくれているという甘えから
ついつい邪険に扱ってしまうことがある

だけどそれが親子間であれば
実は幼さや経験の無さから
伝わらないことも沢山あるということ

そのことを先ず知るということ

それが大切なのだと思う

そしてその苦しさは
誰もが持っているということ

だからこそこの気持ちと戦うために
人は自分の身体の使いこなし方を
学んだ方が楽なのではないだろうか?

今は私の母が母だったから
様々なことを乗り越えられたし
心理学とも出会えたと思っているし

生きづらさを抱えつつも
頑張って来た両親がくれたGiftを
大切に生かして行きたいと思う

そして今私は
人生の中で一番
自分らしく生きている気がしている

全てに感謝

mahalo.*


「日本にクリエイターを増やしたい!!」 ★保育士しながら認定心理士資格取得★ パート→非正規→正規(無認可)→正規(認可) →フリーランス保育士・児童指導員 保育士時代に学んだ心理学を 子育てや保育、描画コンテンツに 生かし実践! 主体的で能動的な日本人を増やし続けてます♪