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花が教えてくれたこと

人生という旅は
時につれない思いをギフトにする

人を生きると書くこの言葉は
人の素晴らしさと同時に
残虐さをも知らせてくれる

私はバツイチ独身の40代半ば
婚活市場で言えば
バーゲンセールの域と扱われがちだ

が故に、
とんでもない要求や誤解で
何度となく思っていたことは

「恋愛沙汰は面倒くさい」

この言葉の真実の意味は、
周りから避難されることから
私と息子を守るための手段だった

8年前、
私はカラーリストをしていた

決して売れては無かったが
そこそこ県内での知名度も出来、
これからという時だった

私はどんなことをしても
続けて行こうと決めていた仕事を

稼げない…という理由で
保育士になったが故に
手放さなければならなかった

あの時、

多くの人がほくそ笑んだこと
LINEで噂を立てられていたこと
結局意味が無かったと笑われていたこと

みないふりして蓋をしていても
掘り返してくる人も居た

だけど私は
そんなことを考える暇もなく
目の前の慣れない仕事をした

そうしてその批判や非難の目は
我が子へと向かってしまう

母子家庭で実家住まいで
好き勝手出来る状況なのに
なにも出来てないじゃないか…と

声なき声に日々うなされた

眠れない日々を支えてくれている
息子に目が届かなくなり
彼は荒れ…不登校になった

そして私は、
潜在意識の中で
色恋沙汰に蓋をしていたのだと思う

大好きな色彩も、
震災ムードとともに
フェードアウトしつつ

どんどん私自身が
光を失っていったのだと思う

だから余計に
恋愛したいと言いながらも
上手く行かなかったのだと思う

人は役割を失うと
磨くことを忘れてしまう

買う服はグレーや紺ばかりになり
色味をどんどん避けるようになった

色味と色気

双方を無くしてしまうのである

そしてあれから8年、
苦しさを乗り越えた息子に
自立の日が近づき始めた

「お母さん、俺、東京に行きたい」

そう伝えて来た
高校卒業する頃までには
家を出たいと言って来た

話を聞く限り
甘過ぎる考えなのだか、

本人が決めたことなら
送り出すしかない

そして彼は言う

「お母さん、
   楽しんで仕事をしてよ。」

と、

「一人やと心配やけん、
  パートナー探してくれんかな?」

それから探し始めたものの、
自分に自信のなかった私は
どちらも上手く立ち回れなかった。

焦る気持ちで空回りしたり、
本当に自分が求めているものが
わからなくなって行った。

そんな時に出会った人に、

「なんで似合うのに明るい色を着ないの?」

と言われてハッ!とした

あれ程好きだった色の世界を、
私は潜在意識の中で
いつのまにか避けていたのだ

その時に気がついた

花は咲くから、
人を癒し
生きる意味を与えるのだと

その時、

私は環境を変えるのは
今かもしれない…と覚悟し、
仕事を辞めることを決意した。

すると8年越しのオファーが来て、
それは私がするしかない状況で
他には譲れないことだと思った

そして恐らく保護者として
息子と過ごす
最後の一年となる

私は8年間着ていなかった
ピンクのコートに袖を入れ
今小倉に向かっている

花は、
色と色気を私に思い出させた。

日々感謝!

追伸…婚活市場でも
色を加えたことで、
そこそこ価値が上がってるようですw

「日本にクリエイターを増やしたい!!」 ★保育士しながら認定心理士資格取得★ パート→非正規→正規(無認可)→正規(認可) →フリーランス保育士・児童指導員 保育士時代に学んだ心理学を 子育てや保育、描画コンテンツに 生かし実践! 主体的で能動的な日本人を増やし続けてます♪