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「道」の共通点

「道」の共通点、それは、『型』にあります

剣道、弓道、柔道、華道、茶道など、、日本には世界に誇れる道の文化が広く深く根付いています。
日本の武道の精神性や卓越された技術、師から弟子へ脈々と受け継がれる、技の技術や、武道の精神だけではこれだけ長きにわたって受け継がれてくるには少し不十分です。

禅僧である私が本山で仏道修行に励んでいるとき、ある老師が
『「道」は型から入る。仏道も同じだ』
と仰られました。
その時は、深く考えこませんでしたが、数年たって気づいたのです。

修行道場では、入りたての修行僧に僧堂でのルールを叩き込みます。
その時、なぜそうなのか。などということは教えてくれません。
機械的にただただ言われたことを守り、規律を最優先することを教わります。
起床してから洗面作法、坐禅作法、食事作法、もちろん法要作法もすべて事細かにマニュアル化されています。

理由は、「型」を身に付けさせる為です。

そこに考える余地があってはいけません。
体で覚えるまで、機械的に身に付けさせます。
不思議なことに半年くらい経つと、とても楽になってきます。


武道を例にとってみます。

剣道では、「切り返し」という稽古方を徹底的に行います。
そしてこう思います。『切り返しって何の役に立つの?』と。
明らかに実践的ではないこの切り返しにこそ、剣道上達のヒントが沢山潜んでいることに気づくのはやはり数か月、あるいは数年経ってからとなります。
素振りも同じで、言われた通りとにかくやりこみ体に覚えさせます。
この地味で退屈な反復稽古こそ実戦で最も差が出るポイントとなります。

頭で理解して行動することを「習得」とするならば、この現象は「体得」といえます。
習得するよりも時間はかかり非効率に感じますが、「間違わずにできる状態」よりもはるかに深い理解になります。

禅語に「冷暖自知」という言葉があります。
水の冷たさや、気温の温かさをいくら言葉で説明しても本質的にはわかりません。実際に体験しないと何もわからないという言葉です。

道の世界もやはり同じで体験を重視します。

師匠から型を教わるとき、理由などの丁寧な説明はありません。
それらの説明は単なる言葉の定義にしかならず、返って修行の妨げになるのです。機械的に反復し体得することで、自ら『道』の本質に気付くということです。


長きにわたって体得した技や、精神的豊かさはほかの人にも体験してほしいという思いが自然に湧き上がってきます。
この現象こそ、道が長きにわたって受け継がれてきた所以なのかもしれません。

非効率で、時代遅れと思われそうなこの方法に、道がこれほどにも長きにわたって受け継がれてきた秘密があったのです。

効率を求めすぎる現代社会、ヒントにしてみてもいいのではないでしょうか。


#武道 #剣道 #修行 #精神性 #冷暖自知



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