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剣道の黙想、適当過ぎない?

剣道の稽古の前後には必ず黙想をします(静座と表現することも)

剣道5段 歴23年 インターハイ・国体と経験した私は黙想こそ
剣道の精神性を求めるうえで最も重要視されるべきだた思います。

そこで今回は、

①黙想とは

②なぜする?

③どうすればいいか

④黙想に込める期待

⑤まとめ

の順にお話しします。

その前に、筆者の剣道歴は23年の5段を頂戴しています。
インターハイ、国体と出場しました。

①黙想とは

Wikipediaには、目を閉じて静かに自らの内面に深く沈思し、思いを巡らす行為。とあります

詳しくは➡https://ja.wikipedia.org/wiki/黙想

剣道家であり禅僧の筆者は黙想の捉え方として
禅の言葉の『前後際断』でもあると考えています。
歴史的な禅僧の沢庵禅師や道元禅師も用いた表現です。
読んで字のごとく、「前と後の際を断ち切る」という意味です

「前後裁断」とする場合もありますが、大きく意味は変わりません。

黙想とは、自分というものに区切りをつけることです。
いいことも悪いことも、引きずらず、常にまっさらな自分で居続けるトレーニングだと考えています。



②ではなぜ黙想をするのでしょうか

考えてみれば、挨拶をしてケガをしないように準備運動をすれば稽古は始められます。それでも現代の稽古でも必ず稽古の前後にはどれだけ短くても一応していますよね?

なぜなくならないのか。

答えは、黙想も立派な稽古の一環だからです。
黙想は、単なる精神統一にとどまらない、メンタルトレーニングの要素を含んでいます。
残念なことに剣道の指導者でも黙想を軽視している先生は沢山おられます。
あまりに形式的で短い黙想に、もったいなさすらを感じてしまいます。

③どうすればいいか

先ほども述べたように、黙想も稽古の一環であることを指導者がしっかりと認識をし、ある程度の説明と黙想時間を設ける必要があります。

具体例を挙げると

学校の授業を終え、放課後稽古をする場合、なんとなくそのまま始めるのではなく稽古前の自分と区切りをつけて、まっさらな自分で稽古に臨む。
稽古が終わると、その日の調子に一喜一憂するのではなく、黙想によって区切りをつけてその日の稽古を終え家に帰る。

といった感じです。

もちろん、すべて忘れるとかゆうのではなく、精神性として「前後際断」するということです。

④黙想に込める期待

黙想には禅の修行である坐禅の効果も望めます。
今この瞬間の自分を静かに見つめる時間です。
坐禅の時間は先行一本が燃え尽きるまで(一炷という)約40~50分間行います。
さすがにそんなにしていると面をつけての稽古の時間が無くなってしまいますのでそこまでとは言いませんが、少なくとも5分~10分は絶対にした方がいいです。ちなみに現状の平均は1~2分くらい(もっと短いかも)

ある程度の時間をとることで、よりまっさらな気持ちで稽古に臨み、いいことも悪いことも道場に置いてゆき、家に帰ることができます。(もちろん、技術的な反省は持ち帰るべき)


⑤まとめ

・剣道において黙想は面をつけた稽古と同じぐらい大事
・指導者にこそ黙想の重要性をわかってほしい
・坐禅同様、立派な精神修行 前後際断
・短くても5~10分はするべき

もう一度、これだけ形式的になってもなくならない稽古の前後の黙想について、考えてみるのはいかがでしょうか!

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#剣道 #稽古 #坐禅 #武道

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