見出し画像

白川町でいただくおむすびは至福の時間

 わたくし的、岐阜県内でのお気に入りの大自然を眺めながら、持参したおむすびを食べるのが至福の時間。これまでは、郡上市によく訪れていたけれど、最近は白川町。
 
 初めてわたしの記事を読む方にとっては、白川町?どこやねん。なのですが。そこは完全に自己満の世界なのでお許しを。笑

 なにせ、白川町で見つけてしまったのです。すんばらしい場所を。

ひゃー!

 その見つけた場所は、町営の無料駐車場の目の前なので、車で訪れても安心です。そして、車を降りるとすぐ側には「白川」が流れているのです。

「白川」の透き通る透明感。その様は、わたしの20代の頃のお肌みたい♡
(今では完全に「あの頃の」。と、過去の栄光と化しているのだが)笑

 最近、世界の水神神話について取り上げられた本を読んでいたら、間の細かい説明は省きますが、現代の家父長制(主に男性が支配的で特権的な地位を占める社会システム)は、一神教(キリスト教)から来ているという文言を読んだ。

 そのことについて、恥ずかしながら初めて得た知識で、その文言を読んだときに、なるほどなーと思ったのです。なぜなら、現代の年代表示は「西暦」で扱われてますし、太陽暦というのもなんとなくそうなのでしょうね。

 あと、資本主義なんかも富んでいる者が強く、その富を得るために人間は手段を選ばず、平気で自然環境を破壊し戦争もして(人をコ○して)お金稼ぎをしてきたわけなのですから、それらも「男性性」を象徴しているように思えます。

 つまり、これまでの世の中は、『幸せ=富の豊かさ=物の豊かさ=物質主義=男性性社会』で、それが形を変えて何百年何千年と続いてきたのです。
 
 しかし、日本においては、八百万の神という多神教の思想が浸透していた影響もあり、人々の間では多様性が認められ、平和をもたらしていたようです。また、その八百万の神という思想によって、日本は、過去に大陸から移動してきたあらゆる民族を受け入れてきた歴史があるが故に、日本人は「世界一の混血人種説」や宗教の世界においても、日本は、あらゆる宗教・宗派が争わず共存している国。とも言えるのかもしれません。

 (*なのでわたしは、最近、埼玉県で起きている国籍を持たないク○ドの人々の問題について結末がどうなるのか注視しています)

常に循環をし続ける水

 話は繰り返しになりますが、いわば、これまでの世界というのは、家父長制社会を実現するためのキリスト教による乗っ取りという体で、動いてきたわけなのですが、そのような「男性性の社会システム」が、人類に幸せをもたらしてきたのかというと疑問が残ります。

 事実、これからの時代は、幸せとは、富む者が強いという資本主義的、物質主義的な考えではなく、改めて幸せとは、「本当の」心の豊かさの追求のことであり、それは「女性性」の社会、つまり目に見えない精神的な豊かさの追求を行っていく社会システムによるのだと思います。

 そうなると、多様性によってあらゆる価値観を認め、平和な社会を実現してきた「真の日本(にほん)」の時代になるのではないのでしょうか?

 しかし、現在の日本の「政」(マツリゴト)に目を向けてみると、理解できない無茶苦茶な事ばかり行われてきたことが明るみになっているのですが、かっと言って、わたしも彼らと同じように堕落したいとは、微塵も思いません。
 
 また、昨今の国内のニュースを見ていると、これまであまり聞くことのなかった不可解な事件や事故を多く見聞きするようになってきて「日本の治安の良さも過去のものになりつつある」という意見も確かにあります。
 その点、わたしはこれらの現象が増えてきた原因のひとつに、人々が「幸せとは?」という問いに対して、「物や金」に執着し過ぎてしまった結果、人々の「心の崩壊」を招いてしまい、副作用が表れてきたのだと考えています。つまり、「幸せとは?」に対して、そのアプローチの仕方は「間違いだった」ということなのだと思います。

 あまりにも人間中心で物事を考えてきてしまい、人々が利己的になり過ぎた。「今だけ、カネだけ、自分だけ」。

 なので、わたくし個人としては、小さなところで言うと、目の前で困っている人がいたら声をかけて、助けが必要なら手を差し伸べようと日々心がけていますし、何時も人や自然界に感謝できる人間でありたいと思いながら毎日を生きています。

 そのように、わたくし的幸せとは「人助けと感謝の気持ち」によって、「人と人が繋がり、人と自然との繋がりも大切にすること」で、心が満たされている状態であり、それらの「小さな」ことを日頃から地道に行なうことによって、相手の方にもその気持ちが伝わっていき、そして、その方が他の方にも行っていくことで伝染していく。その繰り返しがあちこちで行われるようになってゆけば、最初は小さな「○(丸)」かもしれないけれど、やがて、世の中全体が大きな「○(丸)」になっていく。(壮大過ぎるw)

 これまでは、「四角い」角が立った世の中だったけれど、これからは、その角が削れて「丸い」世の中へとなっていく。

 それはまるで、我が子を大切にする優しいお母さんのような女性性の世の中のようだ。

雪が積もっていた

 というわたしの妄想でした。

 なんだか支離滅裂な文章で胡散臭い宗教家みたい。w

 んー…

 「宗教家」

 ね~

 
 なにやら意味深、笑。


 本日は、妄想にお付き合いいただきありがとうございました。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?