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十有五の僕「三十にして立つとか遅すぎ」

明日誕生日なんだよね

大学の頃から、誕生日が近づいたら少し遠出するようにしている。
大きな旅行ではない。徒歩、または自転車で、行ったことのないところに行く。理由は特にない。なんとなく、いつもと違うことをやろうという気になるだけだ。
今年は近く引っ越しを控えているので、引越し先の町並みを視察していた。インターネットが発達したので具体の場所は言わないのだが、町並みも、底に住む人達も、今の場所とは違う性質を持っているように思われる。なんとなく目を引いた店に入ったり、なんとなく路地に入ったりして、足が痛くなる程度には歩いた。
少なくとも、暮らしに困ったり、変にストレスが溜まったりすることはなさそうだ。妻にもそう報告した。
引っ越しがあるので、誕生日プレゼントは1ヶ月遅れで募集します(やめなさい)。
もしそれに先立って祝って頂ける場合、アマギフとか……

「学に志す」ことの意味

論語は、確か小学生の頃に教育番組で触れ、中学の頃に教材で触れた記憶がある。当時は「三十にして立つ」は「三十歳でやっと立つんか、おっせえな」って思っていた。こちとら7歳で勉強してるが?とか思っていた。
あとになってよくよく調べると、この「十有五にして学に志す」は、「十五歳頃には人生の目標を定める」という意味らしい。

今の自分には取り立てて人生の目標などない。キャリア的な目標も、正直、もう見当たらない。たまに真剣に統計学に親しみながら、適当に稼いで(重要なことで、働くのではなく、稼ぐのである)、日々を穏やかに過ごせればそれで良いと思っている。ほぼ、人生の目標が達成されてしまった感があり、それはそれでどうなんだ?と思うが。
では孔子先生は三十歳でどういう意味で立ったのか。

人は三〇歳くらいになると、独立してやっていけるようにならなければいけない、ということ。
三〇歳で、自己の立場を確立し、自立する。而立。

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%8D%81%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E7%AB%8B%E3%81%A4-513658
コトバンク「三十にして立つ」

自己の立場の確立、かあ。たしかに今はできていない。というかできる気がしない。
「自分の立場」を持つことはできるが、それを揺るぎない、確固としたものとして定めることができるかと言うと、非常に脆い。
いざというときの選択をおみくじやコイントスに頼るような人間が、自己の立場を確立することができるとは思えない。孔子ほどの精神性を持った偉大な人を目指すには、何かしら自己の立場を確立する必要があるらしい。明日までになんかできるだろうか。無理だな。3年位遅れることになると思う。

30歳を迎える覚悟

最近また体がバキバキになってきているし、体力の衰えを強く感じる。
ラーメンを食べたら翌日には体調が悪い。直近2日に1回ラーメンを食べているので、基本的に体調が悪い。
仕事では責任感の大きい仕事を複数任されているので常に気は休まらない。
忙しさはコントロールしているが、自分の使命感で自分をぶっ壊しそうなのである。自立どころか自爆である。
というか30歳なんてもはや旬を過ぎて、あとは40年ほどダラダラ過ごすだけなのかと思っていた。大体人生の目的が満たされて、あとはその場しのぎに稼ぐだけの人生。
どうやら最近は違うらしい。これからは資産形成の時代だったり、セカンドライフだったり、FIREだったりするらしい。30歳を迎えた人たちは、なぜかよく知らないがキラキラしているわけだ。
うーむ。勝手にそうなるものなのか、時代がそうさせているのか。
明日で30歳になるのにこんな無校正の文書をインターネットに垂れ流す状態でいいんだろうか。
まあいいだろう、そういう人生も。
お誕生日おめでとうございます。


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