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タイムパフォーマンスを上げた先に空いた空洞に立つ

電子書籍、生える。

こんな本を買った。結果積読は消えない。

以前書いた記事を読んでくれたTwitterのフォロワーが教えてくれた。

自己啓発本だし、早速電子書籍で確保しておこうと思い、読んでいる。
面白いくらいに、上記で書いた内容に近しいことが、金を出すに値する情報量と一緒に主張されていた。

効率を上げて、何をするのか?

コストパフォ―マンス、タイムパフォーマンス。最近よく聞くパフォーマンス指標ではある。投資金額より成果が大きければ大きいほど、かけた時間に対する成果の価値が大きければ大きいほど良い、という考え方だ。
社会の一部の側面において、この価値観は正しかろう。
技術の発展は加速するし、それに追随してビジネスの可能性も拡大する。
学ぶべき要素は増え更新頻度も増す。泳ぎ続けなければ生きていけないと言われるマグロのようなマインドセットがないと「生き残れない」と焦るかもしれない。

でも実際そんなことが求められるのは人間の中でもごくごく一部だし、そのような生き方ができる人間も一部である。
そういう人間しか生き残れないような社会には多分ならない。
根拠はないが、ヒラメやタコのような人も多分生き残るだろうし、タラやキンメダイみたいな人もひっそりと生き延びる。
僕みたいなタコ助はタコらしく、墨を吐いて逃げ回り、適当な擬態をしながら生きていくのがお似合いだ。必要があれば足を切って逃げる。生物種としての生存戦略であれば足を切ったら多分僕は死ぬけど、キャリアや人生における処世術であれば、まあ「足」くらい再生するだろう。
身の程を知るというのは非常に難しい。僕もマグロになれるならマグロになりたい。

「色々落ち着いたら」←一生落ち着かない

コスパよく、タイパよく生きて行こうとすればするほどつらくなるというのはよく分かる。タイパよく仕事をこなして、コスパよくものを揃えたら、それらによって出来たスペースで何をするつもりだろう?入らなかった仕事を入れて、足りなかったものを探す。そしてまた「時間が空いたら」「空間ができたら」と反実仮想を述べる。これを繰り返すので、「時間が空いたらやりたいこと」は永遠に実現できない。マジでそうだと思う。

「将来を空想する」ところにとどまる理由も書いてあった。未来よりも空想のほうが幅が広いかららしい。この解釈にも同意できる。
今からの将来を思い描くといろいろなシナリオを用意できる。いきなり超能力に目覚めるかもしれないし、世界が危機に瀕するかもしれない。アンゴルモアの大王が20年越しに世界を滅ぼすかもしれない、と。
現実はどうか。僕は朝スライサーで指を切ったし、荷物は届かない。次に住む家は条件が全部揃う家は家賃が高くて住めないし、妥協点を探す必要がある。これが4時間前の僕が期待した未来であるわけがない。

将来の空想は楽しい。実際に起こりうる未来は、それらの空想の中でもかなり地味で、つまらなく映るものであるらしい。だから空想に浸ることを選び、実現しないことを「時間がないから」「余裕がないから」という今の不充足でごまかす。

「一通り落ち着いたらこれやりたい」と思っても、コスパやタイパにこだわっている限りは一生落ち着かないので、それをやる必要性を別に定義していく必要がある。これは人それぞれだろうが、多分今の仕事は落ち着かないし、暇ができたら別の「やらねばならないこと」が入る。「やりたいこと」は優先度が低いまま、ずっとやれない。
……そうだ、京都行こう。そう思ったらいくつかの「やらねばならないこと」を無視して行ったほうがいい。

暇な時間を定義する。

「やらねばならないこと」にあふれるこの時代、僕は久しぶりに「暇」になっている。引き継ぎもあらかた済んだし、やらなきゃいけない行政手続きはやるしかないが、仕事が休みになる来週にまとめてやろうと思っている。

暇であることのなんとありがたいことか……。
何もしなくていいということを事実として受け止め、その貴重さに感謝せざるをえない。
何でもできる……わけではないが、何もしなくてもいいということを静かに受け止められれば、暇であることを謳歌しようとも思える。
ただし、持て余してはいけない。受け止められる範囲で暇を受け止める必要がある。
今の僕には受け止められる暇の最大値は大きくないので、まずは1週間、暇を謳歌するつもりだ。

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