無題91-1

女子更衣室の傍聴席




狭いな、と思う。


様々な足音が次から次へ箱に詰まっていく。
足りない棚を分け合って折り重なるようにしてばらばらに並んだ細い肩と色鮮やかな制汗剤たちが、ピーク時はほとんどもみくちゃになる。
正体不明の連帯感。
ひとりずつ勝手に口を開いて何かを言っているはずなのに、独立しない個。高い湿度。

普段は人並みによく喋るわたしは、何故だかわからないけれどその時だけ少し無口になった。

振り返るとあの時何を話していたのか、よく覚えていない。


「女子更衣室で誰かが煙草を吸っているらしい」


女の子は過干渉だ。
というのはいささか雑過ぎるので、もう少し慎重に言うと過干渉のひとが女性に多い。ような気がするだけ。
つまり過干渉のひとは過干渉のひと。
そして過干渉も個人によって尺度が異なるので、わたしが感じるだけのはなしをする。
主語が大きいと余計な諍いを生むわけで、余計であろうとなかろうと諍いはできるだけ起こしたくない。こわいので。
逃げることはわるいことではない。自分で選べばいい。幸いにも恵まれていたのでたくさんのひとが教えてくれた。

対話が無理なら放棄でいい。逃避でいい。攻撃に転換していくのはひどく労力を使う。わたしは。

とは言えそれが楽しいひともいるようで。踊り狂いながら集団で他人のスペースに向かって花火を投げ入れる見知らぬひとたちは、わたしにとってみればそれはもう恐ろしいなにかなのでそこから逃げることとする。
その様子を写真に撮っているかたまりもなんだかよくわからなくてこわいので遠ざかることとする。


ただ、わたしが最も戦慄するのはこのときによかれと言って水を注いでいくひとたちだった。


その水はどこから持ってきたのか、水でいいのか、というかそれは水なのか、そもそも火は付いているのか。

指し示したかのように一斉に、旧知の仲のように一致団結して、器は大小さまざま、四方八方からかける。かける。かける。つーか火元と言われてるところじゃなくて他人の頭から大量に水被せてない?

水でも人は死ぬ。


わたしは人が殺される瞬間なんて見たくない。
いいかわるいかなんて知らない。わたしがいやだ。わたしのわがままだ。


隣で笑うひとの苦味を緩和させられたらと思う。
後ろで支えてくれるひとの力を知れたらと思う。
前で戦うひとの汗を拭えたらと思う。

それ以外は結構どうでもいい。そのくらいでいい。それでも少し多いのでキャパオーバーになってたまにぜんぶ手放そうとさえしてしまう。
だってそのくらいしかわたしの手は届かないから。そんなにスタイルが良いわけではないので。

そしてよく間違えたりもする。
苦味を緩和させるために甘味を投げつけることもあるし
支えてくれる力はこのくらいだろうと侮ることもあるし
汗を拭う手を振り払われたからと言って足を止めることもある。

わたしの手の届く範囲でこれなのだ。
その外側に行き及ぶ余力などあるものか。


だけどどうでもいいと言いながら、勝手に傷んだりする。
傍聴席の独り言なので聞き流してほしい。


毎日誰かが否定される。
毎日誰かが断罪される。
毎日誰かが排斥される。

許さないことを許される場所なんてほんとうは、どこにも、ない。


「女子更衣室の中では今日も不良が煙草を吸っているにちがいないので、学校のために、校則のために、生徒の未来のために、水をかけていかなければなりません。それがマナーでありルールなのです。」



またひとり、溺れているみたいですね。


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