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朝明けと生ハム

眠れない。

毎日毎日同じ日々の繰り返しだ。朝起きて、満員電車に押し潰され、学校へ行き、サークルへ行き、バイトへ行き、夜を持て余す。もう限界だ。愛想笑いにすり減らされて、何のために生きているのか分からなくなった。趣味や特技を聞かれても、好きなことも得意なことも持ち合わせがなくて、適当にその場をやり過ごすだけ。空っぽな自分に辟易しているうちに、また今日も朝がやってくる。私の存在価値ってどこにもないんじゃないかと乾いた笑いが漏れる。


いつもと同じ日常をこなした帰り道で、急に生ハムが食べたくなった。

駅前のスーパーで、278円の生ハムを手に取る。昔はご馳走だと大喜びしていた生ハムにも、今はなんの感慨もない。パックに整列させられた生ハムがひどくみすぼらしく見えて、どうしようもなく泣きたくなった。


夜中でも明るい都会に見下されているような気がして、早足で帰り道を急ぐ。

どうにかたどり着いた玄関にただいまと呼びかけても、おかえりの声が聞こえるはずもない。静まり返る空気と肩にのしかかるパソコンの重みに立ち尽くす。世界からわたしだけが取り残されているみたいだ。

明かりを点けると、打ち捨てられたお洋服たちのお出迎え。今夜も眠れそうにない。



何も手につかないけれど眠れもしない夜は、どうやり過ごすのが正解なんだろうか。あてもなく思考に耽るような、何もない時間をさまよう。


すこし前、久々に会った友だちからフリーペーパーを貰ったことを思い出した。きれいに整えられた表紙には「朝」の文字。朝なんて来なければいいのに。

ぱらぱら。同じ大学生だろうひとたちの流麗な文字が並ぶ。めくるほどに目が滑っていく。ぱらぱらぱら。


ふと、見覚えのある文字列に意識が引き戻された。『Everything Gives Me Chance What I Love it』。開いたページには、中学生のときお気に入りだったシンガーソングライターのインタビューが載っている。そういえば、あの頃はこの曲をずっと聞いていたんだっけ。 Everythingの意味すら習いたてで、頭をすり抜けようとする長い曲名をひと単語ずつひろって覚えたことを思い出す。

この曲を、今聞かなきゃいけない気がした。はやる気持ちのままSpotifyを開いて再生ボタンを押す。流れ出す歌に何故だか涙がとまらなくなった。

「いつか懐かしくなる前に 今日の続きを進めよう 追いつけそうにない明日も やりたいことで溢れてる」

すっと歌が染み込んでくる。こんなに大好きだったのに、大事にだいじに聞いていたのに、どうして忘れてしまっていたんだろう。すり減らされる日常の中でこぼれ落ちてしまったきらめきが、少しずつ、私の手の中に帰ってくる。

自分は空っぽな人間だなんて大嘘だ。大切なものも、好きなことも、こんなにもすぐそばにあったんだ。見失っていた明日に、今からでもまだ追いつけるのかもしれない。



視界の端に、スーパーで買ってきた生ハムが見えた。パックをぴりぴり開けて、口に放り込む。想像通りの塩気ともそもそした食感。ぜんぜん美味しくない。そのはずなのに、なぜだかいまこの世でいちばん正解で、いちばん美味しいご飯だと思った。



もうすぐ朝になる。
目から流れてくる水のせいなのか、生ハムのせいなのか、顔中がしょっぱくてなんか笑えてきた。生ハムと音楽で生きのびるやつがいたっていいじゃないか。なにやったって、なにもやんなくたって、私の人生なんだから、それで花丸大正解なんだ。なんも変わってなくても、このままの私で、ぜんぶ大丈夫だ!!そう素直に思った。



朝明けを呼び込んだ部屋で深呼吸してみる。まだいけそうな気がする。
今日も明日も変わらず回り続ける世界で、もう少しだけ、生きてやろうじゃないか。





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