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「書くのがこわい」と沼にはまって書けなかった1月を乗り越えるために

これまでたくさんnoteを書いてきた。かれこれ500記事ほども。ありがたいことに「毎日書き続けられてすごいね」なんて言われることもあった。それなのに、急に書けなくなってしまった2024年1月。

noteの履歴を見てみると、書けなくなっていく姿がイメージできる。

13記事のうち半分くらいはつぶやきなので、記事でもないしただのぼやきだし。急に停滞期に入って筆が進まなくなった原因は、精神状態にある。

「書くのがこわい」

この感情がつきまとい、noteを書けなくなってしまった。一方で、ライターとして仕事ではたくさん書いてきた。(また近々載せますね)仕事の記事は書けるのに、noteが書けなかったのはなぜだろう?

たくさん考えたり、他の人のnoteを読んだりして答えが見えてきたので原因と乗り越え方を書いてみる。

「この記事は有益なのか?」と脳裏をよぎる他者目線の声がこわくて

この見出しが原因のすべてです。はい、これがすべてなのです。このフレーズが頭によぎった瞬間に、noteが書けなくなっていたのです。

誰のための記事?独りよがりな記事なのか?と客観的な意見が聞こえてきて(誰も言ってないのに、脳内にいるもう1人の自分がうるさかった。誰も言っていないのに)

自分で自分の筆を止めている。そんな感覚があって。昔の自分なら無理矢理にでも書いていたかもしれない。書いて書いて不安をかき消していたかもしれない。けど、今の私は「筆をとらない」という選択肢をとってみた。いつもとは違う方法を試してみることで、何か得られるものがあるかもしれないと思って。

そうするとやっぱり見えてきたんです。

記事の良し悪しを決めるのは、

私の中で2人いると思っています。私と私以外の人です。めっちゃ当たり前やんと思うかもしれないけど、私なりの考えがあるので書かせてくださいね。

1人目の読者である私は「いい記事が書けたかどうか?」といった良し悪しを決めると思う。決めるというか「感じる」が近いかな?感覚的なものなので自分でしか判断できない。「いい記事が書けた!」これだけでいい。

有益かどうかは自分以外の読者にお願いしよう

Web上に公開する記事が有益かどうかは、公開してみないとわからない。と、私が尊敬するライターさんが言ってた。お友達も言ってた。これはもう読んだ人が決めるものだと。

そう思えば、書けるかもしれない。

と立ち返ることができたんです。このnoteだってそうだと思う。「noteが書けない」と悩む人には響くかもしれないし、楽しく書けている人には必要のないものかもしれない。

届かなきゃ、読んでもらわなきゃ「有益かどうか」はわからないのです。

誰かの心の中で「💡」「❤️‍🔥」「📝」こんなふうになるかならないかなのです。(※絵文字はイメージです)

もちろんたくさんの人に届いてほしいと願って、ためになることを書くのも大事だと思うし、そういう記事も書きたいと思う(お仕事で書く記事の大半は目的がしっかりとあって、届けるために書いているのでこっちだな)

でも、なんでもない内容でも書いていいよね。もっとフットワーク軽くいってもいいんだぞ?!

と自分に言い聞かせてこわさから脱却したいと願って書いてみた!宣言してみた!「書くのがこわい」と思ったら、なんでnoteを書くのか?立ち返えれるようなnoteにするために。

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沼落ちnote

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