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何を見ても何かを思い出す

 ヘミングウェイの作品で『何を見ても何かを思い出す』(原題は"I guess everything reminds you of something")という短編小説がある。読んだことはないのだけれど、どこかでこのタイトルを知った時「ああ、それは小説のタイトルになるようなことだったのか」と感じた記憶がある。「空は青い」とか「トイレは流れる」みたいに、何を見ても何かを思い出すのは当たり前だと思っていたからだ。「俺か、俺以外か」に通ずるような言わずもがなの印象を受けたのだけれど、まあ読んでもいないのにこれ以上とやかく言うのは止めておこう。
 個人的にヘミングウェイはあまり好みの作家ではないので、僕はちょっと斜に構えて見過ぎているのかもしれない。『武器よさらば』『日はまた昇る』『老人と海』といった代表作は一通り読んだのだけれど、ヴィンテージ過ぎる対訳も相まってどうも頭に入ってこなかった。だから日本の現代作家なんかが彼からの影響に言及する際、いかにもマストで読んでおかなければならないという口調だとちょっと鼻白む。そんな時、僕の頭の中にはくりぃむしちゅーの上田が現れて鼻をほじりながら「そいつはすげえや」と興味なさそうに呟く。

 程度の差はあれど、誰だって何かを見ればそれに関連した事柄をランダムに思い出す。たとえば今なんとなく自分の掌を見てみたら手相が占える友達Aを思い出したし、次いでその友達に関連して別の友達Bをさらに連想した。僕はBの手相の写真を撮ってAに送ったことがある。それはジョージアの首都トビリシにある国会議事堂の近くの公園のベンチで、気持ち良く晴れた午後だった。日本にいたAはわりとすぐに返事をくれてBの手相を「努力家」と鑑定した。ちなみにBはロシア系移民の両親を持つジョージア人で、現在はドイツに住んでいる。そういえば一度Bに友達のCを紹介されたことがあり、Cは当時小説を出版したところだった。軽く立ち話をしただけなので名前も本のタイトルもちょっと思い出せない。小説といえば個人的にヘミングウェイがあまり好みではないのだけれど、彼がキューバで延々と飲んでいたカクテルのモヒートが僕は結構好きである。というのもオーストラリアに住んでいた時に知り合った日本人Dがバーテンダーで、彼の店でよく出してもらったからだ。Dは帰国したら東京でバーを開くと言っていたが、その前にフィジーだかニュージーランドに行くとも話していた気がする。今どうしているかは分からない。というかこのパラグラフに登場する誰ともしばらく連絡を取っていないので、全員の近況がちょっと謎である。
 こんな風に何を見ても何かを思い出し、その思い出した何かからまた別の何かを連想して思考は無限に繋がっていく。最終地点ではもはや過程は思い出せなくなるものだが、こんな風に文章を書くとプロセスを残しておける。掌から出発してキューバを経由してから東京に辿り着いたことを記録しておくこと自体に意味はないけれど、頭を整理する習慣にはなる。

 そんな訳で最近始めた瞑想にはなかなか苦戦している。たった十分の間でも何も考えないということは難しい。「何も考えてはいけない」と考えても駄目なのだから、「無がある」という状態ではなく、状態そのものが消失しなければならない。なんだか宗教とか哲学の領域になってきたのでそろそろ寝よう。

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