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「人喰観音」について


篠たまきさん著 『人喰観音』についての感想です。

Twitterで見掛けて、早川書房さまのnoteにて試し読みができることを知り、「閲覧注意」という見出しに惹かれたのがきっかけでした。
チラ見するつもりが、あまりに美しく淫靡な雰囲気に引き返せなくなってしまい、読み終わるころには「買いに行かねば…!」と謎の使命感に燃える程でした。

購入前に得られる情報が多いというのはSNSの有難いところだなと思いました。こういった読み手を選ぶタイプの作品にとっては特に。発信してくださった関係者さまに感謝です。


物語の粗筋としましては、以下の通りです。

分限者の薬種問屋に拾われた女、スイ。
並外れて美しく豊艶な肉体を持つ彼女は、人の形をして人にあらざる「観音様」だった。

――穀潰しの惣領息子と出戻りの老媼。
――男を好む旦那様と忠節を尽くす石女。
――姦淫された箱入り娘と不器量な妹。

スイと因縁関わり合う男たち、女たちは、少しずつ、人倫を踏み外していく……。
そして彼女自身も、奈落へ向けて堕ちていく。  

(背表紙・紹介文より引用)

少しだけ補足させていただきます。

物語の軸となる人物は、観音様に似た顔立ちのスイという女性です。彼女は歳をとらず、厄災の予知や病の治し方を教えるなど託宣をすることで「生き神様」として村人に重宝されて生きてきました。そんな彼女が、何故か河原に打ち上げられていたところを薬種問屋の息子に拾われ、第1章が始まります。

歳をとらないスイの傍らには、彼女に魅せられた誰かが寄り添い、そして、老いていきます。その長い長い年月を描いた物語です。


タイトルからお察しの通り、とどのつまりはカニバリズムなので、残酷で猟奇的な描写が痛いほど出てきます。苦手な方にはお薦めできませんが、耐性のある方には是非読んでいただきたいです。グロテスクでカニバだから…という理由だけで読まないのは勿体ないほど素晴らしい物語です。


ネタバレにならない程度に、個人的おすすめポイントを挙げます。

まず、第1〜4章が年代別に構成されていて、語り手となる人物が異なるのですが、読み進めていくうちに前章に登場した人物を彷彿とさせる描写があり、この物語が地続きであると気付く瞬間の快感が得られます。

また、スイ以外の人間たちは当然老いていく筈なのに、前章と変わらぬ容姿で登場する人物がいて、その人物とスイの謎が少しずつ少しずつ紐解かれていくのがなんとも面白いのです。ジワジワと核心に迫っていく過程が推理小説に近いものを感じました。


さらに、全編通して漂っている不気味な「静寂」が魅力的なのです。確かにグロテスクなんですが、サスペンスやホラーと呼ぶにはあまりに静かな雰囲気なのです。ドキドキハラハラというよりは、少しずつ何かが歪んでくる違和感がひたひたと静かに近付いてくる感覚です。

見せ場のひとつでもある猟奇的な場面も、過剰に盛った感じがなくて、淡々と美しく描写されます。ゾッとするような静けさの中に微かに響く不穏な音。目を凝らさないと捉えられない幻のような歪み。


そして、この物語で個人的にいちばん気に入ったところは、登場人物がそれぞれに歪んでいるところです。清廉潔白な人間が一人もいません。

人間という生き物は、大なり小なり何かしら事情を抱え、皆それぞれの地獄を持っているものです。嫉妬、執着、欲望、憎悪、そういった醜い感情は、誰の心にも等しく存在します。本来なら見ないふりして隠しておくべき人間くさい汚い部分を、この物語では敢えて白日の下に晒してきます。

他者を激しく憎んだり、虐げたり、弄んだり。目を背けたくなる痛々しい描写がこれでもかと出てきます。しかし、そんな外道にも、細やかなやさしさに救われた瞬間や、好いた誰かを想う場面も描かれます。

彼等の禍々しい感情の発露を目の当たりにすると「ああ、やっぱり人間って哀しい」と失望しながらも、どこか共感してしまう自分がいることに気付きます。私の中にも確かに棲んでいる卑しい獣が、ちらりと顔を覗かせるのです。

これはあくまで私の個人的な感覚なのですが、人間の罪深さを知ることは、慈しむ心をより一層深く感じることだと思うのです。だから私は、この物語の赤裸々な心理描写にこんなにも惹かれてしまうのです。


読後、私は彼等の哀しい生き様を想いながら、とても愛おしいと感じました。心地の良い切なさが胸の中に残る、そんな物語でした。

ホラー、エログロ、カニバ等々…おすすめしにくい内容ではありますが、気になった方は是非読んでみてください。


そして本編を読んで気に入った方は、素晴らしいスピンオフも公開されていますので、そちらも是非に。




以下、ネタバレ含む感想なのでご注意ください!


前述の通り、人間くささ全開の登場人物たちがみんな愛しいのですが、中でも私がいっとう好きなのは奈江さんです。「飴色聖母」の試し読みを読んで、奈江の忠誠心に思うところがあったからです。


使用人が人の扱いを受けなかった時代に、こんなに良くしてくれる主人に出会ったら、忠節を尽くしたくなるのも無理はないと思うのです。たとえ生肉を貪り食うような奥様でも。自らが産んだ我が子を捧げて構わないと思うほどの狂った忠誠心。食べられるために産み落とされる命のことを思えば、勿論許されない行為で、人の道に反するとは分かっています。でも、だとしたら、奈江のような使用人が奉公先で受ける惨い仕打ちは人倫を踏み外していないと言えるのでしょうか。

「やってはいけないことって、何なのでしょうね。ずいぶんと酷いことがまかり通りますんで、奥様に新しいお肉を与えるくらいは許されるんじゃあありませんかねえ」

という奈江の言葉が、なんとも切ないです。

果たして倫理とは?善悪とは何か?
そんな正解のない思考に陥ってしまい、途方に暮れてしまいました。自分の価値観を激しく揺さぶられる感覚。これは恐怖なのか快感なのかどっちなんでしょうね。


病弱故に守られてばかりで、他者を慰める言葉を口にしたこともなかったのに、自分のために毒味をしてくれたスイの怯えを受け入れたいと思った蒼一郎。

傷物にされ、やり場のない怒りを家族にぶつけ、狂人だと哀れまれてきた自分を、きれいで清らかだと抱き締めてくれたスイになら、食べられるのもすてきだと言った凛子。


スイ曰く「苦しみ過ぎた人のお肉は美味しくない」から、食べるための人じゃなくなってしまった人たち。もしかしたら彼等はスイにとって「苦しみ過ぎた美味しくないお肉」だったのかもしれません。それでも、寄る辺ない気持ちに寄り添ってくれたスイの存在は、害獣なんかじゃなくて、まごうことなき観音様だったのだと、私は思いたいです。


長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。今年読んだ物語の中で、断トツに魅了されてしまった作品だったので、つい熱く語り過ぎてしまいました。


素敵な物語との出会いを、ありがとうございました。


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