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「BANANA FISH」について

冒頭から「BANANA FISH」に関係のない私事で恐縮だが、半年程前に類焼によって自宅が全焼した。そこから怒涛の日々を送ってきた。
ようやく新居への引っ越しも完了し、やれやれと思ったタイミングで、一気に気が抜けたのか自律神経を崩して塞ぎ込んでいた。

とは言え「辛い現実を忘れられるような、心のオアシス的な楽しみがほしい」という欲求が生じるくらいの自我はまだ残っていたので、何か夢中になれるような面白いアニメを探し、白羽の矢が立ったのが「BANANA FISH」だった。

よりにもよって何故あのタイミングで「BANANA FISH」を選んでしまったのか。そんな傷口に塩を塗り込むような真似を…と苦笑してしまうが、今となってはベストなタイミングだったように思う。



先日「BANANA FISH」についての感想を綴ったエッセイ漫画をTwitterにアップした。


こちらは未読層へのプレゼンの意味も兼ねているので、核心に触れるネタバレはしていない。しかし、ネタバレを含ませないと叫べない想いもあったので、今回はnoteにてネタバレ解禁バージョンの感想を書いていこうと思う。

「BANANA FISH」を未読でこの記事を読んでいる方はまずいないとは思うが、念の為。

以下はネタバレを多分に含むので、未読の方は是非、件の「BANANA FISH」と、番外編「光の庭」を読んでみてほしい。





アニメ最終話を初めて観た時の率直な感想は「なんで!!??」だった。様々なしがらみから解放されて、ようやくこれからという時に。これまで散々な目に遭ってきたアッシュがやっと自由になれて、英二からの手紙を読んで、本心に素直になって英二の元へ駆け出したタイミングで。

悲しいやら腹立たしいやら悔しいやら。物凄い勢いで雪崩れ込んでくる暴れ馬の大群みたいな感情に、情緒がズタボロにされてしまった。

しかし、しばらくして冷静になって気付いた。多くの人の命を奪ってきたアッシュの死は、避けようがなかったのだと。もともとは被害者で、生き延びる為に仕方がなかったとしても。どんなに私達読者を夢中にさせる魅力的な主人公だとしても、彼は人を殺してきた。贖罪は必要だ。
これまで多くの血が流れてきたこの物語で、最後の最後に主人公の罪だけが無かったことにされるような安易なハッピーエンドにならなかったことは、とても意味のあることだ。

…と、頭では分かっていても、そんな簡単に割り切れるものではなかった。
運命に翻弄されてばかりのアッシュにとって、ほんの束の間、ただ一人自分を愛してくれる存在が傍にいてくれただけでも、彼は幸せだったのかもしれない。

それにしたって、もっと何とかならなかったのかなぁ…と、やるせない気持ちになった。




その後、単行本を購入し、本編を読了。

そして7年後を描いた番外編「光の庭」を読んで確信した。最終話は、やはりアッシュにとっては救済だったのだ。肉体は滅んでも、英二という魂の片割れを手に入れたのだから。

「BANANA FISH」は徹頭徹尾、アッシュ・リンクスの為の物語だ。アッシュという主人公の生涯を描いた物語の結末として、これ以上ないほど美しい幕引きだ。そういう意味ではハッピーエンドなのかもしれない。

しかし、遺された英二にとっては、地獄の日々の始まりだったのではないか。


アッシュがいなくなって、カメラマンになって、アメリカの永住権を取って、コンタクトをやめて眼鏡にして、髪も伸ばして。生き方も性格も変わってしまった英二。市立図書館に絶対近寄らないのに、彼と過ごした思い出いっぱいのニューヨークの街並を撮り続ける英二。

恐らく7年間ずっと、一日だってアッシュを想わない日はなかったのだろう。



「BANANA FISH」はアッシュの物語だから、英二自身の内面が描かれることは少なかった。

棒高跳びの選手としてスランプに陥って、途中で投げ出すのはやめにしたいという動機から、アッシュと行動を共にするようになった英二。作中で吐露される英二の内面と言えば、アッシュについてのモノローグばかりだった。

しかし、「光の庭」はアッシュ不在の物語だ。英二の心情にようやくスポットが当たったのだ。

本編における英二といえば、優れたスポーツ選手という特徴を除けば、何処にでもいるごく普通の一般人だ。私達読者に一番近い立場にいる。彼の視点は、ニューヨークのダウンタウンという非日常の中で、主人公アッシュの生き様を追う為のカメラのような役割を担っていた。

私は英二贔屓の人間なので、あくまで私個人の見解だが、アッシュ・リンクスがこれほど魅力的な主人公になったのは、奥村英二がいたからだと思う。


アッシュは壮絶な過去を背負いながら、自身の傷付いている心に鈍感だった。鈍くならなければ生きていけなかったから。しかし、アッシュ本人も気付いていなかった心の傷に、英二は敏感に気付いた。

きっとアッシュの心には、幼い頃から手当てをしないまま放置してきた無数の傷があるのだろう。その傷口を英二は見付けて「きみは傷付いている」とやさしくさすってあげた。

英二がアッシュの傷口に触れ、癒そうとしたから、私達読者にもアッシュの苦しみが伝わり、本当は救いを求めていた彼の素顔を知ることができた。英二がいなかったら、アッシュは兄の死を悲しみ屋上で一人きり涙を流していた頃のように、誰の目も届かない所で泣いていたのかもしれない。

英二だけはアッシュの孤独を見逃さず、彼の傷口や不器用なやさしさに気付いて、受け止めてくれた。アッシュの少年らしい素顔は、英二のあたたかさによって引き出されていった。

英二の眼差しを通して私達読者はアッシュの苦しみを目の当たりにし、そして傷付いた彼を救ってあげたいという願いが生じ、それを英二が叶えてくれたのだ。


アッシュという強烈な個性に埋もれがちだが、英二はこの物語にとってなくてはならない存在で、とても重要な役割を果たしてきたのだと思う。
だから私は、本編を読んでいる間中ずっと、英二には幸せになってほしいと願っていた。アッシュの幸福を心から祈れる英二のやさしさが、どうか報われてほしいと。



しかし、それは叶わなかった。

アッシュの死を知らされてから、「光の庭」までの英二の7年間を想像するだけで、私は胸が張り裂けそうになった。

ケープ・コッドにて、ずっと閉じ込めていたアッシュの写真を取り出し、静かに涙を流す英二の姿に、泣けて泣けて仕方がなかった。

ファンの中には、最終話を読み返せない人がいると聞く。私の場合は、この「光の庭」の方が一度読んだきりなかなか読み返せなかった。




しかし、ようやく最近になって恐る恐る読み返し(相変わらずボロ泣きはしたが)、続けて復刻版の「奥村英二ファースト写真集」をじっくりと眺めた。最後のページの、英二とバディのツーショット。英二の髪は短くなって、表情は「光の庭」より晴れやかだ。


改めて眺めていて、何故か急に腑に落ちた。

英二は、インタビュアーの取材に対して「光も闇もどちらも愛している」と答えていた。初めて読んだ時は話全体のショックが大き過ぎて、いまひとつピンとこない言葉だった。


「ぼくは彼を忘れない 忘れようとも思わない でもそのことがぼくが幸福じゃないということにはならない」

と、英二は言った。


初めてニューヨークに来てから経験した様々な困難と、親友との死別。それらは英二にとって辛い思い出だとしても、忘れて閉じ込めて無かったことにするのではなくて、その辛い「闇」さえも受け入れ、愛していくと決心したのかもしれない。

アッシュは英二との出会いによって、愛を知ることができた。英二もまた、アッシュと出会って世界の闇の部分に触れて、もともと素質があった他人のSOSを敏感に感じ取る力に磨きが掛かったというか。清濁合わせ呑む人になっていったのかなぁと思った。


恐らく、そんな英二だからこそ、暁やバディの声なきSOSに気付き、手を差し伸べられたのだろう。自分の名前を嫌う幼い少女の苦しみに寄り添い、その名前の美しさを証明し、肯定してあげられる人。


闇から目を逸らし、光の部分しか見ない人には、決して気付くことはできない筈だから。

だから、英二はアッシュのことを忘れない。




「光の庭」の後、英二の心境がどのように変化したのかは分からない。しかし、写真集の中にアッシュの写真を入れられるようになったところを見ると、徐々に前を向けるようになってきた印象を受ける。

光も闇も愛し、受け入れながら、相変わらずやさしい眼差しを被写体に向けてシャッターを切っているのだろう。そして、彼の写真を愛する人々の心も間接的に救っているのかもしれない。




私は「BANANA FISH」に出会って、これまで経験したことのない嵐のような感情に襲われて苦しかった。でも「BANANA FISH」に出会えたことは後悔していない。

正直しんどいし、どうせ漫画を読むなら、辛い現実を忘れさせてくれるような楽しい気持ちにさせてくれる「光」にフォーカスした作品を読めばいいのかもしれない。でも、現実の世界には光も闇もどちらも必ず存在する。それらは決して切り離すことはできない。

「BANANA FISH」は、それを思い出させてくれる作品だと思う。



高校生時代の英二と伊部の出会いについて描かれた「Fly boy, in the sky」で、伊部は英二に「忘れるな」と言った。


伊部にとって英二のジャンプが、大切なことを思い出させるものだったように、私にとっては、「BANANA FISH」がそんな存在になった。


私は英二のように「忘れない」なんて力強く言い切ることはできなくて、「忘れたくても忘れることはできない」くらいの中途半端な未練だけれど。無理に手放すこともないかと思った。


私はこれから先もずっと、ふとした瞬間にアッシュと英二のことを思い出して、切なくなったり涙ぐんだりするのだろう。

それも良いと思うことにした。度々思い出して、その都度二人のことを想うことにする。

幕を閉じてしまった物語の登場人物の行く末を祈ることの是非とか、そういう野暮なことは度外視した上で、敢えて祈りたい。



奥村英二くんの途方もないやさしさが、どうか報われますように。

BANANA FISHとは、まだまだ永い付き合いになりそうだ。


読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、創作の糧にさせていただきます。