小さな実験しようよ

なにかをはじめるとき、人には人のペースがあるわけだから、それを大切にすればいいと思う。

だから、「動きたい」とか「変わりたい」とか思ってるけど実際にはまだ動き出せていない状況のとき、へんに焦らなくもいいだろうし、側にいる立場であればへんに焦らせたくもない。その焦りによってよい部分が失われるくらいなら、タイミングを待ったほうがいい。

とはいえ、そのタイミングってのも、ただ受身で待っていてもくるわけでもない。というか、何もしてないとほぼほぼやってこない。つまり、そのタイミングを引き寄せるための種まきは必要だということ。

動きはじめることが"大きな変化"だとすれば、そういった大きな変化のタイミングを引き寄せるの種まきは"小さな変化"だと捉えられる。大事なのは、この小さくて微細な変化をまず起こせるかどうか。

大きな変化を求めても、ハードルが高くて、現実性を帯びてなければ、そこまでの小さなステップをつくっていけばいい。その小さい変化の積み重ねが、大きな変化をつくる。

大きな動きをつくっている人をみつけたとき、その表面的な部分だけをみて、「わたしとは人種が違う人間だから」と勝手な言い訳をつくって、引っ込んでしまう人は多いと思うけど、その大きな動きの裏側(プロセス、どこから彼/彼女ははじめたのか)に触れると、近しいものを感じられるときもある。

やらない人、動かない人は、頭でっかちな人が多いのだ。自分でやりもしないで、他人がどれだけやってきたかを知ろうともせず、簡単にあきらめる。

ぼく一個人の考えでしかないけど、圧倒的なセンスをもった天才なんて、ほんとにごくわずかしかいないと思うし、基本的にどんな物事もプロフェッショナルに近づくためには、熱量、"それ"について深く考えた時間、表現量がものをいうと思っている。

圧倒的な量が、絶対的な質を生む。だからこそ、最初は、小さくはじめるでいい。それがころころと転がって、雪だるま式に大きくなり、一人ではじめたものが他人も巻き込みはじめ、社会との経済的つながりをつくっていくのではないだろうか。

自分のペースも大切にしながらも、"攻めの待ち"ができるように、目に見えないレベルでもいいから小さく歩みつづけていく。この繰り返しが、大きな変化を生んでくれる。

その仮説を持ちながら、自分自身を実験体に実証していければと思うし、まわりにそういう人がいたら、小さな変化に気付けるように目を凝らせる人でもありたい。

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月火もえる

もえるゴミの日(月・火)のどちらかに生まれました / 根暗のポテンシャルを模索中 / なまけたいから考えることはなまけない

あわよくば、一日一書

なるべく、毎日書いてみる、日記のような、雑記のような、エッセイてきなノート。
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