モットー

就職活動のエントリーシートの"モットー"の欄に『人に期待しないこと』と書いた。今考えると響きがかなり冷たくて心象が良くなさそうなので、最終面接で深堀りしてもらえて良かった。『一見冷たく感じられるかもしれませんが、』から怒涛の巻き返しを試みた記憶がある。

ESに書くべきかどうかは別にして、人を信用はしても期待はしないようにしたい、というスタンスで生活している。これは私が大好きだったラジオ『高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと』で朝井リョウさんがお話していたことに多大な影響を受けている。
自分の行動の動機が、他者が主語になっている状態(例: "○○が喜んでくれると思うからプレゼントを買う")は、その行動が失敗した際にそれを他者のせいにしてしまいがちであまり健全ではない("○○のためにプレゼントを買ったのに…"と怒りの矛先が他者に向く)。だから何事においても自分を主語にして行動をしたい("私が○○にあげたいと思ったから、プレゼントを買った"という考え方)。
ニュアンスでしか覚えていないけれど、朝井さんのお話はおおよそこんな内容だったように思う。
元々の私の考え方とよく合っていたこともあって、これが私のモットーになった。
仕事においても"この作業は○○さんがやってくれるだろう"、と思っていたら全っっ然やってくれていなくて絶望する場面があると思うけれど、この考え方をしていれば、
①○○さんに期待せず自分で済ませる
②○○さんに作業をしてもらえるか実際に確認して、期待から信用の状態に変える
のどちらかの動きをすることになって、他者のせいであるかのような絶望を感じることを避けられるし、物事が円滑に進む(少なくとも私はそう感じている)。②を選択した時に、言質を取ったはずの○○さんが作業をしておらず絶望をすることは稀にあるけれど、それはその人への信用が損なわれ、場合によっては今後の付き合い方を考えるだけのことで、そこに精神的な不健全さはないと思う。もちろん人からの信用は裏切らないように生きているつもり。

人に期待しない、という言葉は主語を自分にする、という考えを言い換えたものであることを伝えるのにこれだけの説明を要した。そりゃ面接で振られて焦るわけだ。

ただ最近、この信条に反しているのでは?と頭を悩ませることがあった。

私はお笑いが好きで、ライブに行っては大笑いして元気になって、ライブに行くことを楽しみにやるべきことをこなして、ご褒美としてまたライブに行く、というのを日々繰り返している。
先週、賞レースの予選を観に行った後、投票によって順位が出るタイプのライブに行く、という日があった。それぞれの内容が面白くてたくさん笑ったのだけれど、それに加えて結果として私が好きな芸人さんが予選を通過して、バトルライブで1位をとった。もう嬉しい気持ちでいっぱいになった。

ただ上述の論法で『今日を良い日にしたい』と考える時に、良い日度合いがその日の芸人さんのパフォーマンスに依存するのはいかがなものかと思った。別に普段のライブでは自分が面白いと思う人たちを観に行って、やっぱり面白いなあ(思ってたより面白い!も山ほどある)と思って帰るだけなので、満足度がパフォーマンスに依存しているとは感じない。けれど賞レースの予選やバトルライブでは"好みだったか"とは別の、定量的な結果がばしっと提示される。これによって一喜一憂しているのって、自分が主語になっている状態とは言えないのではないか。

しばらく考えた末、普段の生活では味わえない"自分の力が及ばない、予測できないドキドキ"をお金を払って享受しているのだと思えてきた。
ギャンブルに例えるのはどうなのって感じだけれど、ギャンブルなんてまさに自分の力が及ばないフィールドの結果に一喜一憂するのが醍醐味なのではないか(予想をして最善を尽くすとはいえ)。
エンタメとモットーは別物。とにかく難しいことは考えずに楽しめたらいい。

この文章は何日間かに分けて書いたのだけれど、正直今日の時点ではこんなことどうでもよくなっていて困った。"とにかく難しいことは考えずに楽しめたらいい"という投げやりな終わり方はそのせい。

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