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1900年ぶりに作られた国へ⑤

翌朝、宿を出て死海へと向かうバスに乗った。
ここのお目当ては、かの有名な「マサダ」である。

マサダというのは、ユダヤ人がいまから1900年前に国を喪ったそのとき、ローマ帝国の攻撃を受けてもなおしのぎ続けた場所だ。山の上、灼熱の太陽が降り注ぐその砂漠のごとき場所でユダヤ人は独自に生活技術を発展させていたそうだ。雨水を生活用水に使えるように、山の地形もうまく工夫し、特定の場所に水がたまるようにしていたらしい。風呂やプールも当時はあったとされており、その技術には感嘆せざるを得ない。
何より、ローマ帝国への敗北は「戦わずして負ける」という状況に近い。食料庫は満杯、捕虜になるくらいなら死ぬ方がマシだ、と人類初の集団自決を行った場所なのだとか。いろいろと歴史がありすぎて困る。
ちなみに、今でもイスラエルの軍人たちは入隊する際に、「このマサダは二度と陥落せず」と誓いを立てるという。自らが国を喪った場所で、国を喪わないと誓うわけだ。国を喪い、そして差別や虐殺に苦しみ続けたユダヤ人にとって、その言葉はあまりにも重い。
バスに揺られて数時間。ようやく死海の近くにあるマサダについた。降りて思ったのは「暑い」ということと「でかい」ということだけである。

自力で昇る選択肢もあるようだが、暑すぎて行動する意志を奪われてしまったので私はロープウェーで昇ることにした。
ものの数分でマサダの頂上に到着。そこに広がっていたのがこれだ。

ここで生活しようなどと誰が思うのだろうか。環境に文句を言ってああでもないこうでもないと議論するのが馬鹿馬鹿しい。周りの環境がどうであれ、人はそうそう死にはしないのだと感じさせられる。人は強い。
屋根が丸っこくなっているのは、雨が降ったときにその雨水が流れてきて、使えるようにするためらしい。1900年前の人の知恵には恐れ入る。
はて我々は、進化しているのであろうか――そんな疑問を突きつけられた。
基本的に暑いので水をちまちま飲みながら歩いていく。日陰で涼をとっているはずだし、歩いているだけなのに、しきりにのどが渇くのである。湿気のある日本にはあまり無い感覚だ。

マサダから見える雄大な景色

とにかくここは一度訪れるが吉だ。日本のひとであればなおさら。国を喪った経験の無い我々だからこそ、感じることの出来ることがある。このマサダを後にすれば、あとは宿に行って、死海に入るだけ。

バスで宿の近くにある駅に着いたとき、私は一つのことに気づいた。「飲み水がなくなりそうだ」と。
慌てて商店を探すも、近くにはない。宿のおじさんに聞いても「1時間くらいは歩くことになるだろう」と返答が。更に私の手元には、テルアビブのおじさんが激推ししてきた謎の豆くらいしか食べ物はない。
まずいな―そう私の心がぽつりとこぼすと、宿のおじさんが言った。
「俺の水をやろう」

このときばかりは、頭の薄いイスラエルのおじさんが、創世記にある神のように見えた。おじさんはおもむろに外に出ると、工具などが入ったコンテナの中から飲みかけの水を取り出し、私にくれた。
この際「新品じゃないのかよ」などと文句をいうのは愚かだ。水がないなかで水をくれる、その救いの手をさしのべてくれたことに感謝をせねばならない。自らの感情や立場ばかりを考えていてはならない。こういうときは質ではなく心が大切だ。

ただ、おじさんがくれた水は変なにおいがした。
でも、飲まずには私は熱中症か何かで死んでしまうので飲まざるをえない。「ええい、ままよ」――そう勇気を出して飲んでみると、味は至って普通だ。おかしいのはにおいだけなので、たぶん大丈夫だろうと私は判断して飲み続けていた。

この日、水を飲み、謎の豆を食べて一夜を明かした。そろそろ温かいモノが食べたいなあと思い始め、翌日こそはレストランで何かを食べようと決意した。(つづく)

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