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2023/7/30(日)

Bad B*tch 美学 Remix聴くたびにAwichの日記開く、のところであ、日記書かなきゃな、になる。あれ、あの界隈でみないAIとすごい格好してるゆりやんにおおぉってなるけどゆりやんのNetflixでも主役張るし、でいや、普通にすんげ〜〜ってなるな。

近頃はわりと休みの日は忙しく過ごしていて、だいたいは人と飲んでいる。このあいだは久しぶりに2人で遊ぶ人と待ち合わせて、流れる人混みの中からお互いに認識して手を振り合った時の反応が心地よすぎてなんだかその時はすごく人と触れ合っているという感じがした。
最近もっぱら考え事するときの自分のテーマは「足るを知る」なのだけど、これはさすがに足りすぎ〜とかは思った。でも友達がいて、友達と遊んでいて楽しいっていうのを素直に思えるのは健全で嬉しい。
「足るを知る」ということを意識して生きていると、色々と政策も最悪〜〜とか猛暑無理すぎ人間滅びるわ〜とか思うこともあるのに、それでもなんだかんだ足りてるなあとは思う。

でもだからといって未来に希望とかもない。今死んでいないだけ、というのはある。コミックめづ、で読めるコーポ・ア・コーポの第37話もなんだか反面でそのような話だったような気がする。それが悪いとも言っていないところがあの作品のいいところ。

ここ数日でマッチングアプリを始めた。
マッチングアプリは別に初めてではないし、マッチングアプリで人に会ったこともある。でも、だからというかマッチングアプリやってる人なんかまともなんだろうか…どっか全然予測できないところでブチ切れたりしないだろうか…とか妄想してしまって勝手に嫌になったりする。
とか、音楽が好き、とか映画が好き、とかのタグと対象の合わなさもある。最近見た映画は仁義なき戦いだし、Netflixでいま見れるのはシェフのテーブルとか、好きなのはリックアンドモーティとかだし。
別に結局そういうのって関係性が出てきたら気にしないとかっていうのはわかっている、が頭とは別にマイナー加減をひしひし感じて苦しくなってくる。
こないだも整体で夏ですね、遊んでますか?と聞かれてちょうど劇場版黒帯会議に行ったあとだったのでその話をしたら黒帯?すみません存じ上げなくて、、、とか言われたので別にそれはいいのだけど(見ますね!とか言われたけど黒帯知らん人に急にそれを見られても自分の品性疑われそうだし見ないでくださいとか言ってしまったが)
普段は気にしていないけど、人と繋がろうとしている時に、まさにマッチングアプリなどのたくさん人がいる中で何が最適かというか、酷い言い方をすると選別する/されるような時にそういうのってな〜とか思ったりする。
そしていっつも手段に惑わされ続けて何がしたかったのかが分からなくなる。(なんかこういう捉え方している時点でダメな気もしてきたな…)

まじでゴールが見えないまま書き始めてしまった。
日記を書き始めたのも就活に際してだったし、いまもこうやってなんで人が簡単にできることができないのだろう、と思ったりするが、人生のイベント毎にこうやって思い悩むつもりだろうか。前途多難っぽくなってきたな。
でもひとりで毎日を過ごしている限りはとてもご機嫌に過ごしているのですよね。それだけでいいんだけどな。

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