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こんな夜には立てた中指を

こんばんは、こんにちは。
お久しぶりです八咫鴉です。
天候も随分と不安定な日々が続きながら嫌な湿度と暑さが心身に堪えますね。皆さんもお体優れぬ日々が多いと思いますので湯船に浸かったりホットドリンクを飲んだり内臓を温めて消化の良いものを食べたりして労ってあげて下さいね。

さて。さて。
ここの所眠れぬ夜が増えまして最近は睡眠薬を飲む事が必須となっています。よろしくない。解りつつも深夜2時を越えると心臓が苦しい。物凄く苦しい。その為致し方なく諦めた様に薬を飲む。
そんな日々を送っております。
環境というのは人体に大きく左右するもので湿度と暑さにやられ5月6月は体調が優れない日々が多く続き気を付けているのにと唇を噛む事。
なので…こんなに気をつけているのにと悔しい気持ちでいっぺんグレ散らかしたくてSiMのLife is Beautifulにもたれ掛かったりしています。
そうでなければやってられぬ。
疲れたんだよ、自分を愛せない、人生は素晴らしい、お前にとってはな。
こんなパンチラインでも借りないと不貞腐れてるうちに考え方も腐りそう。

治す所が多すぎる。あそこもここも次も次もあれもこれも。一体全体いつになったらこの体は帳尻合わせてくれるのやら。その為の徒労は何処までいつまで続ければ良いのやら。勘弁しておくれ。
そう愚痴りたくもなるものです。
際限がない。いい加減にしておくれ。いっそ地面で這いつくばって抵抗するのを辞めてしまって潔く諦められたらどんなに楽だろう?
何度も何度も何度も繰り返しそれは頭の中で思い描いてそして結果諦められずに惨めに蠢き藻掻いている。
諦めて良いよと赦しを貰えたらどんなに幸せだろうと想いを馳せながら届く筈もなく。叶わぬ願いに女々しく希望があるのではないかと執拗に執着してみる。所詮は無いものねだりなので生きるのを諦めても良いよと言って赦される事も無く、きっといざそこに辿り着いたら今度は無様に絶望を照らしてくれと願うんだろう。
なんて身勝手でなんてちっぽけで切実な事。

しかしこうして吐き出さないと破裂寸前まで膨らむと良くないのです。体に振り回され恐怖に振り回され疲弊しきった心身にはとてもじゃないが綺麗事等ひとつも出やしない。何か美しそうに語る事など出来やしない。だからいつも行き場のない怒りや悔しさ、悲しみをSiMの曲に代弁して貰うのだ。
綺麗事やもっともらしいなんやかやに包まれない剥き出しの感情や皮肉で彼等のストーリーにダイブして身を委ねる。モヤに包まれて水の中を底に向かって沈む様に「ああそうか水面から上等ありはしないのに」と理解する。
歌詞に重ねて睨む事しか自分も出来やしないくせにと思いながら、きっとこの解釈は間違っているのだろうとも感じながらそれでも縋るように聴くのだ。
前向きも綺麗事も己の高望みに疲れきった時には必要ない。むしろ毒である。
与えられないものをどうしろと言うのか。

この世には与えられない者も与えられなかった者も居るのだから。

手を伸ばすだけ虚しいだけだという事。

私は元々こういう考え方の人間でそれは昔から変わらない。希望が苦しくて全てを持つ者が眩しくて戸を閉めたのだ。完膚無きまでに閉ざし続けた日々が人々の青春とか花盛りとかいう頃なんだろう。
それでも歳を重ね大人になりある程度は学んだのだ。閉ざし続けなくとも避ける事が出来ると。

こんなに苦しみにのたうち回る人生を肯定しろと言うのは中々無理のある話だと思わないだろうか。
だから時々こうして苦しすぎるともう嫌だ頑張れない頑張りたくない助けて欲しい楽にして欲しいと情けなく綴るのだ。
苦しすぎる日々に限界を感じながら、折り合いをつけれずに良くなりはしない体を引き摺ってクソだ、と悪態をついては心のバランスを保っている。

なんだかんだいって人間臭いやり方で己で己の首を絞めている事を自覚するんだ。

そしてまた肩を落としては仕方なく現実の自分の体を引き摺りながら沈んだ体を少しはマシな位置に戻したりする。ガラクタ以下のこの体に何の期待もしていないが、このままなんてのもごめんだねと中指を立てる。

与えられなかったものを求めるのはもう辞めたい

今は只、己が他人様を傷つけたりする等の大罪を犯していない事にだけ奇跡とすら感じながら過ごしている。沢山の事件を調べてまたは聞いて観てきた。自分もああなっていた可能性が有り過ぎて、あぁ何だ自分は今まで見てきた陰惨な犯人達と大して変わらないではないか。ならばそうならなかった事には感謝せねばなるまい。
己に対して評する事があるのならば今はまだ犯罪を犯していない事だけだろう。

そしてまた歌詞を口ずさむのだろう。
自分を愛する事が出来ない、睨む事しか出来ない、人生は素晴らしいんだろうお前にとってはな

疲れて荒んだ日には立てた中指を。
そしてまた良いだけそうしたら少しでも良くあろうと良くしようと這いつくばって藻掻けば良い。
格好良くも何ともない、そんな日々に戻れば良い。
自分の人生、自分が選択肢を間違えてきた事で今があるが自分の人生なのだから自分だけは罵ったって自由だろう。そしてそれを皮肉たっぷりで吐き出したって構わないだろう。
人間綺麗だけではいられないのだから。

むしろ己の汚さを自覚しないまま、考える事すら解らずにシステムに支配されて臭いものには蓋をして、己の生活には関係が無い事を『無』とし、酷く残酷に無関心になれる人間の方がよっぽど怖い。

2023年のとある雑記
放置していたので手直しせず記録として公開する。

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