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元スポーツアナ週一コラム     vol.8              スピードと泥酔と涙       9月22日編

スピードと泥酔と涙

今月7日
中央競馬ダート界を支えた
1頭が
登録を抹消され
引退した。

彼の名は
インティ❗
デビュー戦で
9着に敗れた後
破竹の7連勝で
G1の勲章を手にした
スーパーホース。

残念ながら
連勝後は
勝利から見放されたが
競争生活を
精一杯駆け抜けた
馬である。

そんなインティが
G1ホースの
仲間入りを果たした
レース迄には、
隠れたドラマが有ったと
管理する
野中賢二調教師が
話していた。
 
この馬を生産したのは
北海道・浦河にある
昭和15年創業の
小さな牧場、
家族経営で
2代目の山下恭茂(きよしげ)さんが
主を務める。

その恭茂さんが
2018年9月
脳出血で倒れてしまった。
その前
インティ自身も
体質の弱さから
約1年
競馬が出来ない
状態に陥っていた。

そんなコンディションにも
関わらず
恭茂さんの
倒れる2ヶ月前
戦列にカムバックすると、
鞍上武豊Jを迎え
ほとんどが
逃げ切り圧勝❗
5連勝の快進撃を演じた間、
相手につけた差は
22馬身。

恭茂さんを励ますように
圧逃劇を続けたと
言うのである。

間違いなく
病気と闘っている山下さんは
気持ちが前向きになり、
病に勝つ為
必死に治療に臨む筈。

生産者を想うように
鮮やかな逃げ切りを
続けるインティ❗
遂には
2019年
フェブラリーSを勝利し
レース後の表彰式が
行われた。
当然生産牧場の
表彰も行われ、
晴れの壇上に立ったのは
由吏子夫人。
「この勝利が主人の回復の力、

 励みになる」と
インティの姿に
感動の言葉が!
正に親思いの様な激走、
関係者は
心を打たれたのである。

そんなインティ、
武豊J騎乗も有り
ダート界の
サイレンススズカと
評する人も多かった。

そして
その名前を聞けば
あの華麗な逃げ脚
とてつもない
スピードが蘇り、
また
ラストシーンを思い出すと
涙が溢れるファンも
大勢いる事でしょう!

サイレンススズカは
競走馬としては
遅い5月生まれ、
本来なら
母ワキアに
バイアモンと言う
お父さんを
配合する予定だった。

しかしながら
2回の不受胎により、
急遽お父さんは
サンデーサイレンスに
決まった‼️

まだ
日本で産駒が
デビューしていなかった為、
その段階では
1つの賭けだった。
振り返れば
この血統が爆発的な
スピードを
生み出す事になり、
命を左右する
配合になったのである。

そんなサイレンススズカ
デビューは
1997年・2月1日

京都競馬場で
7馬身差の
大差逃げ切り勝ち!
一気にその名が
広がった。
当然その後は
クラシックを狙う
路線を考え
次走は
中山の弥生賞、
ここで
思わぬアクシデントが発生
スタート直前
ゲートを潜ってしまい
外枠発走。
しかも大出遅れとなり
その段階で
普通ならジ・エンドを、
3・4角では
一旦先頭に並び掛ける
スピードを見せる❗

結果は8着も
スタート後の
大差から
見せ場を作った内容は、
負けて強しを窺わせた。

ただ
1つの躓きが
走りの歯車を狂わせ、
重賞では
勝てないシーンが
続く事になる。

騎手も上村J➡️河内Jと替わり、
デビュー9戦目
本調子に及ばない中の
香港遠征から
鞍上が武豊Jとなった。

元々遅生まれの為
その才能に
成長がついて来なかったのと、
稀なスピードの
コントロールに
手を焼いた事も有り
今で言う
3歳時は3勝止まり。

しかし年が明け
遂にサイレンススズカは
覚醒していく!

その要因の1つとして
武豊Jが、
あるクセに
気付いたのである。

サイレンススズカは
抑えようと思っても効かない、
走っている時が
1番楽しそうだから
前半から
好きに行かせた方が
良いと考えた❗

つまり
少々のオーバーペースには
目を瞑り、
前に行く気持ちを
優先させようという競馬を
し始めたのである。

先ず
年明けのバレンタインSを
4馬身差で逃げ切ると、
初の重賞制覇となった
中山記念
続いて小倉大賞典と連覇。

そして圧巻は
その次の
中京競馬場・金鯱賞、
影をも踏ませぬ大逃亡で
2着馬に約11馬身差。
完全に
スターダムにのし上がった!

この勢いで挑んだ
G1・宝塚記念は
武豊Jエアグルーヴ騎乗の為
南井Jに乗り替わりも、
見事に逃げ切り
待望のG1ホースの
仲間入りをを果たした。

その後
3ヶ月の休養を挟み、
ファンも何処まで
強くなるのか?と期待した
注目の秋。

初戦は
天皇賞へのステップレース
毎日王冠、
この時
レース前に
脚をぶつける事態や
他馬より重い
59キロという斤量で
不利な条件。

加えて
好メンバー揃いで
不安も有る中、
レースでは
例によってハイペースで進み
結果は
後の凱旋門賞2着
エルコンドルパサーに
2馬身半差をつけた快勝。
負けるイメージが沸かない
走りを身に付けたように
思えたのであった。

そして迎えた
1998年
11月1日
秋・天皇賞!
期せずして
ゼッケンも1番、
1着ゴールしか想像できない
雰囲気に包まれた。

13万人を超える
ファンが詰め掛け、
大逃走勝利を願う
単勝1・2倍❗

大歓声の中
スターティングゲートが
開いた。
当然の様に
白い帽子
武豊・サイレンススズカが
先頭に立った。
多くのファンの
後押しを受け 
いつも以上に
気合いが入ったのか
千メートル通過
57・4秒、
他の馬には出せない
追いつけないスピードで
快調に3・4コーナー
大けやきの向こうへ!

しかしここで
歓声がどよめきに変わった、
4コーナー手前
サイレンススズカの
スピードが
ガクンと落ちる。

その瞬間
武豊Jは後ろを見ながら
大外に進路を切り替えた、
脚を引きずりながら
必死で
この誘導に
サイレンススズカが従う。

この後
最後の直線へ
視線を送ったファンより、
4コーナーで
痛みをこらえる
サイレンススズカを
見ていた人が多かったのも
記憶に残る。

そして
レース後
左前脚手根骨粉砕骨折により、
類い稀なる
スピードの持ち主が
信じられない速さで
天国に向かった。

正に
ほんの一瞬の出来事、
ファンと同じ様に
いやそれ以上に
悔しい思いを味わった
鞍上・武豊。

実はレース後
ひっそりと姿を消し、
後にも先にも無いくらい
お酒を飲んでいた。

いつも
紳士の姿勢を崩さない人が、
涙を流しながら
しこたま酒を浴びて
別れを惜しんでいたのである。

その後武豊Jは
泥酔に関して
多くを語ることは無いが・・
あのレースについて
「普通あんなスピードで
 前脚を骨折したら、
 転倒しない馬は殆どいない!
 僕を必死に
 守ってくれたと思います。
 出来れば
 後数百メートル
 走らせてやりたかったなー」

泥酔・涙の理由は
故障した事だけじゃなく、
人馬のコンビにしか
理解できない
絆から成るものだった❗
まるで友情に
満ち溢れたような😢
気持ち良く走らせてくれた
最高のパートナーに
あんな状況でも
恩返ししたかの様な・・

そして
多くの関係者が
ファンが
サイレンススズカの子供で
激走する武豊Jを、
現実に見たかった!と
何年経っても
思い巡らす
無念は募る‼️

名手の
一生に一回の泥酔には、
涙無くては語れない
ドラマが有ったのである。
 
だからこそ
ダート界のサイレンススズカ
インティには
この先
素晴らしい子供たちを
世に送り出して欲しい❗と

願わずにはいられない

1競馬ファンである。



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