はじまりは

2017年の師走、ひとつのご依頼の連絡があった。
差し出し人は、豊島区役所 道路整備課。
内容は、池袋駅 東西をつなぐ’’ウイロード’’という歩行者隧道の改修の計画があり、
現状の「暗い・汚い・怖い」から一新、「きれい・快適・女性に安心」へと
デジタルサイネージを持ちいて再生しようという考えがあること。そこへ、作品を提供していただきたいというものだった。

うむ、と内容に目を通し、お打ち合わせの承諾のお返事をさせていただいた。
実際にこのウイロードという場所を通ってみないと、まだわからないなあと ぼんやり思いつつ。

最初にここを訪れたときのことを、豊島区長さんとの記者会見の際に、
ウイロードへ宛てたお手紙として読んだ。

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拝啓 ウイロードさん へ

そなたと初めて会ったとき、そのお姿に映る歳の重ね方が
つよく 美しく とてもかっこよく わななく喜びを覚え、掻き立てられました。

ただ むき出しで そこに居るだけて
たくさんの表情がつづく 77m。
どこを見ても、 飽きることなく まばゆかった

トンネルにしては、すこし 低めの身長は、母胎のなかにいるのはこんな感じかもと
茶室にも似た 安らぎを与えてくれました

飾り立てるわけでも ‘ われは重要なものだ’ と 言うわけでもなく
注目的になろうとするわけでもなく

じっと、毎日 毎日 たくさんの人を迎え、送り出し
西口と東口をつないでくださっていたのですね。

喜怒哀楽、陰陽混合、
さし迫る緊張、どうしようもない選択、
その瞬間、瞬間、
「生きる」という 刹那的 根源的な、衝動
ここに 様々な人の営みが息づいていたことを感じさせてくれました。

ここにいた人 ここで起こったこと
ここで想い巡らされたこと

いのちという姿はなくなってしまっても
たましいという 無形のエネルギーが
温もりとして そなたのなかに 確かに在るようで

いい /わるい ではない
おおきなエネルギーとして感じずにはいられません。

そんなふうに感じるのは、わたしの勝手なことかもしれませんが
このご縁、
しっかりつながせてもらいたいと思います。


ぽつり ぽつりと滴り落ちる雫の
一滴 一滴の反復から
鍾乳洞がかたちつくられてきたように

ひとつ ひとつの ささやかな声を聞き
一手 一手に込めて 色に映し
豊島区の歴史を、
そのままに 誇らしい ノンフィクションの物語として
制作したいと思っています。

ここを通行する人たちに
「いってらっしゃい」 「おかえりなさい」と
そなたに 言ってもらいたいです。

___________流れる水は濁らない
時を経て、巡り 巡り ここへ続いたように
また これから先の何十年を
そなたに 元気にご機嫌に 明朗にいてもらえますように。

2018.6.8
植田 志保

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「再生」とは、なんであるか。
このかけがえのない場所 、戦前前後の厳しい時空を宿した東西の接点。

デジタルサイネージは、もう百貨店も然り 街のあらゆるところで見ることができる。
サイネージで蓋をして、このかけがえのない場所を、きれいごとで再生できない・してほしくないと思った。
その案であれば、わたしは協力できない。
 わたしが携わるのならば、直接、手を当てて 描画をしたいと。

自分が携わることなくても、このかけがえのない場所の行き先が、現状を肯定しつつ
生きて、生きた場所として、ずっと 続いて欲しいという旨を言い残して
はじめての打ち合わせでは、席をあとにしたのだった。

後日、ご連絡をいただき、区の皆で考え直し
ご提案ごとご協力いただきたいと。
この時の、区長さん 道路整備課の松田さんと片山さんと河野さんの表情と眼差しを
今もくっきりと覚えていて
このかたたちと一緒に、全身全霊でこのプロジェクトに挑戦する
と、心に決めたのだった。

いつか、区長さんがお話ししてくださった

= 春には 新緑の芽が出て
  夏には 木陰になって
   秋には 紅葉して
    冬には 枯葉になって さむいさむいと言いながらでも
      この街をたのしめる
そういう街というのは 今ないでしょうね したいですね
    そういう街に

この言葉がよぎりながら、色々なひとにお会いして、1年を過ごした
ほんとうにシンプルだけど、どうしても感じてしまうこと。
そして、鎮魂。

どんなふうに美しさを 表現 できるか。

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