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『wonderland』Aimer×梶浦由記が誘う夜の森~迷い探す全ての者たちへのメッセージ

“迷いの森にあるほんとう 探しに行く月のひかり 羊歯を踏んで足を濡らして ひたりほとり夏の小道”     

冒頭の不穏なリズムと、螺旋のようにうねる弦楽器のメロディ、意味深な言葉と共に、孤独な夜の冒険がしめやかに始まる。歌詞にある、恐竜よりもっと前の時代から繁栄していた“羊歯“をふむと言う行為は、障害になる鬱蒼とした古の象徴を踏んで、前に進みたいという意思の表れにも思える。そして“ひたりほとり”は明るかった世界にいた聞き手の心ですら、瞬時に暗闇へと返させる魔術のような香りを放つワードだ。           Aimerの6枚目のフルアルバム『Walpurgis』に収められた、梶浦由記書き下ろしの楽曲『wonderland』は、非日常的な時空の歪みを感じる、濃い濃度を纏わせた作品だ。この祝祭をテーマにした『Walpurgis』の7曲目に位置する曲は、捉えどころのない異形の、言わばアルバムの中核そのもののような存在感を放っている。


他者の存在で気付く孤独                               

 曲の一番では、“ほんとう”を探しに来た私が恋に堕ちる様子、相手を見失って感じる孤独が強く描かれている。                       

“よく笑って泣いて見つめあって おそるおそる恋に堕ちた ふたり歩き出した違う方へ 呼び合う声だけもどかしく”                

心細い闇の中で、唯一の希望は、互いを呼び合う声が聞こえる事。私=迷い探す者の、愛する人に出会えないもどかしさが切々と伝わる部分だ。“おそるおそる恋に堕ちた”の語尾の、少し違和感のある跳ねるような音は、恋に堕ちたときに跳ね上がる、心臓の鼓動のようにも聞こえて来る。

“寂しがって夜になって まだ明るい夢のほとり 食べかけで残した心だって ここから始まるうたになる”                       

分かれがたい他者を知った事で、自分の孤独に気付いた私。“食べかけで残した心”はその恋に踏み出す勇気がなく、諦めた過去があるのかもしれない。

“世界は君のものさ どこへ行こうか 貴方は笑う   踏み外してみようか 後ろめたさが私を誘う find me in the wonderland”           

巡り会った“貴方”は、私が探す“ほんとう”の近くにいてその在処を知っている。誘われることにも背徳感を感じている私だが、繰り返し出てくる”find me in the wonderland“のフレーズは貴方に私を見つけてもらおうと、受け身になっているのではない。心が求める恋あるいは理想の場所にいる私を、私自身も手探りで見つける、と言う意味なのではないだろうか。


多面的な広がりを持つ後半                     

“どうしたって 生まれ変わるほどの 強い意志が必要だわ 慎重ないのちだった 私だけじゃ道は見つからない”                  

二番に進むと、私の心に変化が訪れる。自分の置かれた状況を、自己分析する冷静さが、歌詞に見え隠れし始める。この“私だけじゃ道は見つからない”の部分は自己完結では成立しない、恋愛の事を指している様にも、それ以外の願望の様にも、どちらにも取れる。

“何も思い通りにならないことが始まったから 踏み外してみようか 目隠し鬼の手の鳴る方へ in your Wonderland”                                    

代償と恋(望み)を天秤にかけたら、恋の方が重いと気付いた私は、危険だと分かっていても“目隠し鬼”のいる方向へと向かう。緊迫感と衝動性を強く感じる部分だ。

“あなたが迷う場所に あかりを灯すために 花束一つ抱いて りりしく笑いましょう”                               

推測するに、この曲は終盤で一転、歌われる対象が移っている。歌われる対象だった“貴方”が歌い手になり、迷い探す者(私)を迎え入れる歌に変わっている。私の探す旅は終わりを迎え、探していた“貴方”が迷う“あなた(私)”にあかりを灯す。りりしく笑っているのは、私が探していた“貴方”だ。故に迷っていたのは、“私“、“あなた”、または曲を聴いてきた“リスナー“自身でもある。

そして“あかり”“花束“といった今までにないワードが出てきた事が、この恋の成就を思わせるが、曲は変わらず不穏な緊張のまま、クライマックスを迎える。

“もう一人じゃないのよ とても怖いね 幸せなんて 寂しさはひるがえり旗の元へと二人は集う 世界は君のものさ 手が届いてあなたがいて 踏み外してみようか 愛するひとが私を誘う”                  

失いがたい何かを得たとき、人はそれをなくす事を恐れる。“貴方”が歌う“あなた”“君“”愛するひと“は同じ意味を持つ。一人でなくなった彼らの他者との境界は益々曖昧になる。

“綺麗な吐息になって あなたの歌をうたって”                   

完全に聞き手が自分を投影してしまう、囁くような最後のフレーズは、絶妙な魔力全開で、聞き手をまた初めから迷いの森の旅へと送り出す。歌詞の冒頭の“迷いの森にあるほんとう”と最後の“綺麗な吐息になって”“あなたの歌をうたって”は同じメロディが使われているから、自然に最後と最初は繫がる。そして聞き手はこの魔力に満ちた無限の輪から、とにかく簡単には抜け出せないのだ。

人生は選択の連続  

例え、この『wonderland』が、どんなに非日常を纏っていたとして、その本質は、孤独と欲求、罪と悪の深い人間の業を歌ったリアルだ。いつの時代にも、どんな人間にも、通じる普遍性が下に敷かれているから、味わい深い。

だから、そんな風に聞くと、いや聞けば聞くほど『wonderland』は自己と他者の境界が分からなくなる。そして、この曲を可視化すれば、色彩と風景が目まぐるしく回る、精巧で複雑な万華鏡に似ている。

『wonderland』の世界をその万華鏡の舞台に移せば、“貴方“と“私“と言う素材は、回転して様々な形をつくるビーズに相当する。彼らが時を、回転を止めない万華鏡=人生の中で、美しいと感じる風景を作り出すためには、迷いながら呼び合いながらも、自らが選んでいかなければならない。人生の岐路で選択を続けていかなければ、恋にも理想にも置いて行かれるだけで、気づいてはもらえないからだ。やがて曲を聞いているリスナー自身も、彼らと同じ万華鏡の中に、いつしか迷い込まされている事に気付く。

つまり、“in your wonderland”の歌詞以降、リスナーは見る(聞く)側から、見られる(聞かれる)側にもなり、“貴方”と運命を共にする”私”に移ったのである。


それぞれの『wonderland』          

『wonderland』には多種類の楽器が使用されており、曲のクライマックスに近付くにつれ、それらが幾つもの層になり曲に奥行きを与えている。うねるような弦楽器の響きは森の風に揺れる柳の枝のきしむ音であり、不穏なリズムは私の心に起きた嵐の前兆のようでもある。そして、ドラマチックなAimerのヴォーカルが、魂の躍動と曲の情景描写をより印象深くさせている。彼女の元来持っている、誘うような風景が見えてくるような声が、聞き手を、ここではない何処かへ運ぶが、実際運ばれたのは心の内面、私達それぞれが持つ『wonderland』に他ならないのである。Aimer×梶浦由記のこの楽曲は聞き手を、その入り口に立たせる為の導火線に過ぎない。

自身の手を汚し開拓していく、その道の先にだけ、その人の『wonderland』が見えてくるのだ。