馬鹿め。こっちは深遠だぞ。

ニーチェの言葉に「深淵を覗くとき、深淵もまたあなたを覗き込んでいるのだ」みたいな言葉があると思いますが今日はその話です。

この話は何回か書いている気もしますが、好きな話なのでまた書きます。


ニーチェがどういうつもりで言ったかはわかりませんが、現代においてこの言葉は、「うわっ!恥ずかしっ!」と思ったときに心を平静に保つのに役立ちます。

どういうことでしょうか?


たとえば、駅前で恥ずかしい単語を大声で叫ばなくてはならないとします。

どんなシチュエーションだよ〜と思うかもしれませんが、あくまで例なのでこの際いいでしょう。罰ゲームかなんかです。


常人は「うわ〜そんなのむりだよ〜 恥ずかしいよ〜」と思うわけなのですが、ニーチェは違います。

「俺は深遠だぞ!」と思うわけです。うーん。まだ、わけわかりませんね。


逆に、あなたが駅前を歩いていて、でかい声で「(なにかしら恥ずかしい単語)」と叫ぶ人を見かけたらどうでしょうか?

「うわなんかヤベー奴おる」
「関わらんとこ」
と思いながらも、ちょっと気になるのでチラ見する、
というかんじではないでしょうか?

このときのあなたは、深淵を覗き込んでいる状態です。


しかしこのとき、あなたは深遠サイド、つまり大声で叫んでるヤベー奴が、あなたを覗き返してくる可能性をあまり考えておらず、また、眼を合わせる覚悟もできていません。

もし大声奴がクルリと翻り、こちらを見てきたとしたら必ず眼をそらすはずです。


そろそろおわかりでしょう。

この現象を、あなたが深淵側のときにも活用するのです。


今まで「うわ〜はずかしい…」と思っていたタイミングで、その後に「でもコレって、僕のほうが深遠だよね?」と心のなかで付け加えてください。


「派手髪にしたらメッチャ人に見られて恥ずかしい…でもコレって僕のほうが深遠だよね?」

「街頭でティッシュ配りするの恥ずかしい…でもコレって僕のほうが深遠だよね?」

「メッチャでかい音でおならしちゃって恥ずかしい…でもコレって僕のほうが深遠だよね?」

深淵であることに自信をもつことができると、見られる前にこっちが先に見る、ということができるようになります。


すると、なんかヤベ〜やつがおるしヤベ〜やつがこっちを見ている、という状況になり、飛躍的に深淵度が高まります。

めちゃでかい音でオナラしたあとに、こっちの事ガン見しながら「失礼」とかいってくる人、冷静に怖すぎる。


余談ですが

僕という生き物は生来、過度に小心だったので、少しずつこういう思考フィルターを重ねがけして、堂々と振る舞えるように心がけているわけです。

でもやりすぎると、過度にひと目を気にしない勘違いオッサンみたいになってしまってもやだなぁ。そのバランス感って難しいなぁ〜って。

過度に気にする必要こそ無いものの、周囲の人が不快になるような振る舞いにならないラインをうまく自分の中で引きたいです。

あまりにもひと目を気にしない人のことを「深淵の魔物」と呼んでいるのですが、魔物堕ちしないように気をつけたいものですね。
テンテン。

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