アンチには3種類いる
結論から言うと、自覚なきアンチ、理性的アンチ、目的アンチの3種類である。
一人目は自覚なきアンチである。
自覚なきアンチの特徴として「これが本人に見られていると思っていない」というのがある。強く批判するつもりも、本人を傷つけるつもりもない。しかし、インターネットに書く以上は目に触れるということに自覚的でないのである。
このようなアンチには、優しく返信をするのがよい。
自覚なきアンチは「見られている感」と「傷つけてしまった申し訳無さ」にとらわれ、直ちに謝罪し、手のひらを返したように好意的な反応を引き出せるだろう。
比較的無害なアンチである。多くのアンチは自覚なきアンチに分類される。
二人目は、理性的アンチである。
理性的アンチとは対話が可能である。
理性的アンチは自分の意見を持ち、本人に見られる可能性があることも承知している。本人に見られたとしても、無条件で前言を翻したりはしないだろう。
理性的アンチとは、対話によって誤解を解くことが可能である。お互いが異なる意見を持っているということを認め合うことが可能である。
つまり理性的なアンチとは、単に意見の異なる理性的な人物なのだ。
ただし、立場としては間違いなく批判的である。したがって本人からは一見してアンチのように見受けられる、ということなのだ。
三人目は目的アンチである。
目的アンチは、アンチ活動をすること自体が目的の人物である。
その目的は主に、憂さ晴らしである。
他の日常生活で溜まった憂さを晴らしている場合もあれば、本人に対して抱いた嫌悪感に起因してアンチ的活動に身をやつしている場合もある。
根底にあるのは「お前なんだか気に入らねえな」に過ぎず、そこからどこが気に入らないか、具体性がトッピングされている事が多い。
目的アンチとは対話は不可能である。
彼らの目的は自身の感情の解消である。建設的な会話では感情を解消することはできない。むしろ逆なでするばかりである。
一見論破したようにみえても、崩したものはトッピングに過ぎない。根底である「お前気に入らねえな」はますます増幅しており、2の手3の手が飛んでくることは想像に難くない。
どれだけ懸命に会話を組み立てたところで、アンチは無限通りの方法で本人を批判し続けることが可能である。
そもそも数kbのテキストの応酬を数度繰り返したところで、人と人がわかりあえるというのは都合のいい幻想である。
相手が目的アンチであれば「話せば分かる」などと思ってはいけない。もしそうしたなら、犬養毅と同じ運命をたどるのみである。
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