昔やったバイトの話

大学生の時にやったバイトの話です。

あんまり固定のバイトってやってなかったので、短期でいろんなバイトをやりましたね。あんまり人のやってなさそうなバイトを色々ヤッてる気がするし、どっかに書いとかないとそのうち忘れそうなので書いときます。

毒にも薬にもならない文章なのでへ〜そんなバイトがあるんだ〜くらいで暇なときに読んでください。

五反田のスナックのボーイ

五反田の雑居ビルにあるまさにスナックという感じのスナックでちょこっとはたいてました。

当時僕が学生寮に住んでいたのですが、寮にはいくつか寮生が代々やっているバイトというのがありました。これはその一つです。

2年生が新1年生をバイトとして連れてこなくてはならなず、だいたい適当なウソをつかれて連れてこられます。

僕は「俺がやってる居酒屋のバイトがあるから試しに一日働いてみようよ」と誘われ、特に用事もなかったのでホイホイついていったところ、「今日からこいつここで働きます」と紹介され、働くことになりました。

寮では2年生は神であるため、僕は元気よく「はい!よろしくお願いします!と返事しました。

週イチ曜日固定勤務で、穴を開けたい場合は他の寮生に行ってもらうというシステムでした。こういうとき寮生は縦横のつながりがしっかりあるので、雇う側としてはかなり便利だなと思いました。

ここはママが結構長いことやっているスナックで、もう定年退職して暇を持て余している風の某企業の元幹部の常連さんがいて、あとは現役サラリーマンがちらほら一人二人で飲みに来ていたり、2次会で使われたりしていて、スナックってこういうかんじなんだ〜とおもいました。

ボーイの仕事は、お客さんがきたらおしぼりとお通しをだして、氷を砕いて、お酒を作って、吸い殻が2本貯まるごとに灰皿を変え、常連さんとお喋りをするという簡単なものでした。

あとはお客さんが帰ったらコップを洗うくらいです。

お会計は基本ママがやっていたのですが、一度チラッと見えたことがあり、ちまちま酒のんでるだけなのにこんなにすんのか!自分にはとても来れないなとびっくりした覚えがあります。

そういう金額帯の店だけあって、常連さんはまあまあ羽振りがよく、常連さんが閉店までいる場合には、そのまま焼き肉へ連れて行ってもらったりしました。

1日の勤務時間は4時間くらいだったのですが、4時間立ってるのが僕には結構キツく、サークルが忙しくなったこともありだんだんいかなくなりました。たまたま僕の学年が3人はいったことで、週5営業日に対して6人いたので、僕がいかなくても成立していたのも拍車をかけました。

社会人になってから何回かお客で遊びに行きましたが、ママが全く変わってなくてウケましたね。多分まだ元気でやってると思います。

お店にはママとボーイ以外に、お姉さんが1〜2人立っており、このお姉さんたちはどうやら役者をやってる人が多いみたいでした。お姉さんたちはシフトに融通がきくのでいいとかなんとか。

特に怒られたりすることもなかったのですが、知らない大人に囲まれて、喋らないわけにもいかない空間なので、今より全然コミュ力なかった僕には大変でしたね。仕事は立ちっぱな以外は大変じゃないですが、すげえ緊張してた気がします。


チラシ配りの日雇いバイト

大学生向けにチラシを配るバイトです。

チラシと言うかフリーペーパーですね。

このバイトはかなり適正があり、一番配れてない人の10倍くらい配れていました。
丁度サッカーが盛り上がっていたタイミングだったのもあってか、偉い人に「お前はメッシだな」と言われ、その後みんなにメッシ呼ばれていました。チラシ配り界のバロンドールとかなんとか。

確か3日連続のバイトだったのですが、そこで体得したチラシを配るコツを紹介します。

チラシを貰ってくれるパターンは3つくらいしかありません。

1つは普通にほしいとおもってもらうことです。

配っているものに価値がある場合は、価値を言葉にしてデカイ声で叫んでると向こうから取りに来てくれます。

道行く人に声を掛けると、叫びを聞いてくれる時間が短いので、交差点や横断歩道で立ち止まっている人に対して叫ぶと有効です。

2つ目のパターンは、です。

この状況から逃げ出すにはもらうしかないと思わせることでもらってくれます。

この渡し方にはある程度強い心臓が必要です。

圧を最も感じてもらうには、ちょっと通路を塞ぎ気味に、前に現れて目を見るか、
直で「すみません」と話しかけてしまうのも有効です。

僕のケースでは新入生向けの配布物だったので「新入生?」と、さも在校生ですが?という姿勢で話しかけるのが最も良かったですね。

会話がオープンすればもらわないほうが難しいです。

圧パターンはちょっとうざそうにされる場合もあるんですが、こっちも仕事なのでゴメンねというかんじですね。価値あるものを配ってれば、基本的には喜んでもらえることのほうが多いです。


3つ目は、なんかみんなもらってるからもらっとくか、です。

集団に対して「こういうモノ配ってるんですけど!」と会話をオープンし全員に受け取ってもらえれば、その後ろの人も流れでもらってくれます。

「もうもらいましたか?」「本日最終配布です」「残りわずか」とか適当ほざいてもいいと思います。


このバイトの良かったところは、心臓めっちゃ強くなるということです。

チラシ配りは、「東京は人がいっぱいいて、みんな僕になんかなんの興味もないし、ここでどんだけミスっても明日には忘れられている」ということを否応なく感じます。

僕は超陰キャだったのですが、陰キャって頭の中ではいろいろ考えを巡らせているけど、それをなかなか現実に出してこられない人種だと思うんですよね。

それをどんどん出す練習としてはすごく良かったですね。

僕はチラシ配りを通して、知らない人たちの前では結構なんでもできるなという気持ちを育てられました。もちろんナンパとかはできないんですけど、目的があれば知らない人に話しかけられるし、過度に恥ずかしがらなくなりましたね。

あと、人前で声を張ってなにかするのは特有の楽しさがあります。
駅前でやってる選挙演説とか募金活動とかデモとかも近い快感がありそうで、それが病みつきな人っているんだろうな〜って思いますね。

他の日雇いメンバーはなぜか社会不適合者みたいな人が多かったです。具体的には忘れましたが、一人ビジュアル系バンドマンがいたのを覚えてます。

いっぱい配れたので次の年も日雇いに呼ばれ、バイトリーダーみたいな感じでやらせてもらえました。
2年目はなぜか意欲旺盛な人が多くて、すごく楽しかったですね。

このときの職場の人とは今でもたま〜に連絡を取ったり飲みに行ったりしています。


日雇いの軽作業

軽作業(重労働)ってやつです。

海外Amazonから仕入れて日本のAmazonで売るというのをやろうとしたことがあるのですが、関税で止められて、少しずつしか輸入できないことになり、大損こいたのが発端です。クレカの支払いが間に合わないので、その補填をするために日雇いを探していきました。

日雇いの派遣業者に登録して、一度だけ派遣業者のオフィスに面談に行って、あとはメールとか電話で案内が届いて気に入った仕事に行くって感じですね。

倉庫作業かなんかで西船橋まで行ったのですが、これがメチャクチャ大変でした。

たしかマルエツだったと思うんですが、巨大な冷蔵倉庫で、食料品在庫の山から、各店舗への納品物を輸送かごに詰めていく作業です。
鬼きついですこれまじ。日雇いの「軽作業」は軽くないってホントなんだなという。

日雇いじゃない、リーダーみたいな人が数人いて、その人の下に日雇いが8人くらいつけられていて、リーダーの指示に従って振り分けをしていきます。

一番最初の元気なうちに、牛乳のかごを運ばされるのですが、これが1ダース入りなので結構重いんですよね。最初にガッツリ疲労感来ます。

まあタラタラやっても仕方ないので、「終わりました!次何ですか?」と積極的に頑張っていたのですが、徐々にリーダーに「君いいね〜w」みたいに言われるようになりました。

そして昼過ぎくらいには「君、こっちの指示係やってみる?」と言われ、運ばなくて良くなりました。

ほどなくして「うーん指示はあんまだね!」といわれ運搬に戻されるんですが、なんだかんだリーダーの間で今日はイケてるやつ来てるぞみたいになってて、「君、明日も絶対来てね!」と熱い視線をもらいました。

常連と思しき若い日雇いにも「初日でこんな気に入られる人始めてみたよ」と言われました。

僕は「はい!明日も来ます!」と元気よくにこやかに返事しましたが、普通にめちゃくちゃ大変だったので二度と行きませんでした。

実は入館のときに2枚の出席票を書かされたのですが、それぞれ異なる派遣会社の管理表で、うわ〜2重に上前跳ねられてんじゃん!と気づいてしまったのもキツかったです。

あと余談ですが、日雇い派遣会社はなぜかものすごく馴れ馴れしいメールを送ってきたり、タメ口で電話をかけてきます。「今日こういう仕事あるんだけど、いけない?15時からでもいいからさ!!」みたいな感じです。あまりにもしょっちゅう電話がかかってくるので「もう日雇いの仕事探してないので、登録解除お願いします」と言ってもうかかってこなくなりましたが、当日欠員を埋めるのがほんとに大変なんだろうな〜と思いました。

この経験を通して、ぼくにとって日雇いの派遣業は絶対やりたくない職種の一つになったのですが、どうしてか大学の同期が2人も派遣業に就職してしまい、仕事が大変すぎて一人は半分アル中、もう一人は行方不明になりました。

派遣業は20代後半でも40代に見えるくらい老けるらしく、過度なストレスが体に良くないことがよく分かるらしいです。


美術の展示会の受付

上野公園の付近だったと思うのですが、小さな個室でやっていた展示会の受付の仕事を1日2日やった覚えがあります。

だれかの紹介でヒマだったのでいったんだったと思います。

展示の内容はほとんど覚えてないのですが、中国の昔の細工物とかだった気がしますね。
たしかガラスに挟まれた金細工とか、そういう類のものがあったのを覚えています。

ごく小さい、広めの会議室くらいの個室で、たいして人も来ず、結構長い間隣にもう一人おじさんが一緒に受付をやっていて、これ俺いるのか?この人だけでよくねとおもった覚えがあります。

おじさんは関係者っぽい感じで、その会場自体のあけしめもやってましたね。

おじさんとはほとんど喋りませんでしたが、2日目が終わったあと上の駅まで歩く途中だけ少し喋りましたね。

2日目のラストに、展示を見に来た初老の男性がいたのですが、例のガラスで挟まれた金細工をしきりに褒めて、「こういうものがあるんだね、すごいね」といって僕に話しかけてきました。
僕は全くわからないので、適当にあわせていたら、男性が帰ったあとにおじさんが「ああいうの相手にしなくていいよ。ああいうふうに感動している人ほど普段はこういうの見ないし、良くわかってないからね」と謎に超辛辣で、なんでこんな当たり強いんだwと印象深く覚えてます。


老人ホーム介護の仕事

これは厳密には老人ホームではなく、老人シェアハウスでした。

老人ホームをやるには認可がいるのかどうなのか細かいことは忘れましたが、脱法老人ホームとしてシェアハウスをやるという補助金ビジネスみたいなのがあるらしいです。

病院と組んで、管理人つきシェアハウスをやりそこに患者をぶちこみ、そしてそこに往診にいくことで往診料がウマい!みたいなかんじらしいです。

そんでバイトというのは、そのシェアハウスの管理人というか、介護の仕事です。

脱法老人ホームだけあって、もちろん入居している人は要介護者です。おむつもいるし、まともに喋れず、うがうが唸っています。
主な仕事はうんちを漏らしたらトイレへ連れて行き、おむつを変えるという仕事です。それ以外は何をしていてもいいと言われました。

夜勤だったのですが、楽は楽でした。

僕はおむつ変えるとかに特に抵抗ないので、入居者さんがまあまあ肥えてて重たいのと、夜遅くて眠たい以外は普通でした。

ネットもあるのでPCを持ち込んでネットサーフィンをしてました。夜勤なのでご飯タイムもないし、おむつを1回かえただけでした。めっちゃ楽です。

ただ、朝が来て、日勤のオジサンが交代にやってきたのですが、そのタイミングでオジサンの身の上話を1時間くらい聞かされて、朝眠て〜のに早く帰してくれよ〜家結構遠いのにさ〜とおもってダルかったので2回目は行きませんでした。

先に「これからよろしくね!」ってかんじで1万円くれていたので、バイト代はまあこれでいっかという気持ちもあり、1日分の給料くれとも、もう連絡しなかったですね。

医者と組んでこういうの考える人ってやっぱいるところにはいるんだな〜公金チュウチュウしてる人っておもってる以上にいっぱいいるんだろうなって思いました。


おわりに

てことでした。
多分他にもバイトをしているはずなのですが思い出せないのでここで終わりにします。思い出したらまた書きます。


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