疲労2023夏

ここ2日くらい身体が重い。
寝起きからずっとなので寝方の問題?

動けないほどでは無いけど一定のダルさが肩とかに集中している。
辛い。

お盆は秋田に帰省してました。
去年秋に祖母が亡くなったので、お寺の法要もしました。未だにルールが良く分かってないの、不安しかない。来るべき時にバタバタしそう。

行きの新幹線で窓側を取ったら、なんか通路側縦三列をグループで取っていた人達が隣になり、囲い混まれるような感じになってしまった。

これが思ったより辛い。
彼らが話をしようとすると必然振り向いたり覗き込んだりするわけで、そうするとその視界内に自分が写りこむのが避けられない。
空気にすらなり辛いのはちょっと堪える。

また、祖父母の実家では甥とも会った。
会話するのは感染症のこともあって3年ぶりくらい、かつまだ5歳くらいで、自分のことなど覚えていよう筈もなかった。
だけどまぁ、子ども特有の人見知りの無さなのか生来の気質なのかはわからないが、全く人見知りをしないので簡単に打ち解けられた。

打ち解け過ぎて、炎天下のなか公園まで連れていかれたのは誤算だったけど。

あらためて見れば、なんともいかにもな夏の過ごし方な気もする。帰省していとこに会って墓にいって祖父母の家で飯を食うという。

だからどうということもないのだが、本当に漠然と、これは大事なことのような気がしている。

あまり今の自分は地元に依っておらず、もしかすると永住の場所を移すことすら無い話ではない。

それでも、自分の生まれた場所には、なにか一定の信頼感のようなものを覚えている。
それは慣れと侮りと、静かさから来るものだと知っている。

東京にでた自分には、秋田の静かさがよく分かる。それは単に人がいないというだけではなく、そこに住む人の気質や生活の仕方の話だ。

良いとか悪いとかではなく、自分はそう育った以上、それ以外の人の動きや考えをみたときに面食らう。

東京にでて5年たっても変わらないのなら、この先変わることもないと思う。

そして自分はそうであることについても悪いとは思っていない。
多分東京で暮らす大多数の地方民だってそうだと思う。根底から東京に染まる、というのは起こり得ないと。

そういう人達が混在して、東京の感覚が出来上がっている。そういう意味では、東京という場所はやはり特異な街だと改めて思う。

話がとっちらかってきた。

要約すると、帰省は大事だけど疲れるね…という話です。
正月にも帰ります。多分。


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