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すぐに返事が来ないと不安な人


「すぐに返事が来ないと不安な人」


これ、メールの返事が来るまで悶々として待っている人のこと。まだ送って5分しか経っていないのに、返事来たかな、来たかなと受信トレイをチェックする。

LINEだと「既読」の合図で、相手が読んだかどうかが確認できる。まるで高速道路を150キロで飛ばしながら3秒おきにバックミラーを覗くみたいに、既読になったか、既読になったかと、確認する。


この例え、分かりやすい?笑


そしてついに既読になったらば、今度は高速道路を180キロで飛ばしながら1秒おきにバックミラーを覗くみたいに、返事はまだか、まだかと待ちわびる。


1秒おきって・・・笑

前、見なよ危ないって 笑


まだ来ない、既読になっているけどまだ来ない。暫く待ってなかなか来ないと、持てる想像力を総動員して検索をはじめる。

もしかして怒ってるのかな、◯◯の部分をこういう風に書いた方が良かったかな・・・などとあれこれ考えを巡らせては、あらゆる可能性を出しつくそうと試みる。


しかし納得できる、安心できる答えになかなか辿り着けない。


恋愛中ならまだしも、だ。
私も若いころ、念入りに時間をかけて送信したあと、他のことが何も手に付かずに、相手からの返事を待った。

2畳半のアパートで、部屋を移動するのも必ず携帯し、お風呂に入る時は音量を最大にしてドアにひっつくように置き、シャワーの音をなるべく低くしながら、全神経を右耳に集中させた。
・・・恋愛中は、そんなものだ。

そんな恋愛中でもそうでなくても、たぶん言い方が悪かったんだと決着し、追い打ちをかけてフォローメッセージを送る。

でも、来ない、返事は来ない。メッセージを2重に送って、不安も倍増。ああ、フォローメッセージなんぞ送らなければよかった!どうしよう言い直したい、と更にメッセージを送ろうとする!

待て・・・待って。それでも返事は、来ないから。
なぜなら、返事が来ないのは、相手が怒っているからではないからだ。ただ単に「今、返事ができない状況」だからなのだ。

読んだ。でもそれについては確認しないと返事ができない、あとにしよう。
読んだ。でも両手に荷物を抱えて移動を始めたから操作ができない、あとにしよう。
読んだ。でも今、打ち合わせの真っ最中だから返事が書けない、あとにしよう。
読んだ。そこへちょうど電話がかかってきた。切ったあと、忘れてしまった。
読んだ。眠い、ちょっと昼寝する、返事はあとでゆっくり書こう。
読んだ、洗濯が終わった干してこよう、そのあと忘れる。
読んだ、電池が切れた、帰宅して電源入れたのはもう深夜、返事は明日しよう。
読んだ。でも今は友達と会っているからスマホいじってたら失礼だ、あとにしよう。


どうだ、私の想像力 笑


なぜこっち側の想像をしないのだ?実際、殆どの場合がこんなところだ。時間とエネルギーを使って必死に消耗したところで、答えは殆どこっち側に落ちている、なのにクタクタになるなんて損ではないか!

怒ってるのかな、気分悪くしたかな、やっぱり嫌なんだろうなとかってマイナスのことばかりに想像がいきがちなら、ちょっと立ち止まって考える。


それ、 な  ん  で  ?



同じ一つの出来事である「返事がこない」に対しても、捉え方は無数にあるということだ。つまりいくらでも、自分の都合のいいように捉えることは可能。

多くの場合は「こっち側」なのだから、こちらの都合のいいように思考するような癖づけをした方が、お得なのだ。他のことでも人生全てにおいて、お得しかないのだ。


マイナスに捉える → 消耗 → なんでもなかった → 疲労感

プラスに捉える → なんでもなかった → やっぱりなんでもない


問題:
それぞれの計算を続けていって、10年後に病気になるのはどっちの思考パターンの方でしょうか?

答え:
A



Aってどっち? 笑



「いえ、私はマイナスに捉えて不安になるけど、多くの場合はなんてことない、それも分かってます、分かってますけど不安になるんです、それはしょうがないんです、それで結局はなんでもないので、最終的には安心します、だからそれでいいんです」


ならそれでいーわね!
そういうマゾ体質ならいいでしょう「消耗」+「疲労感」=「快感」ならばいいでしょう!はい!

しかしね、その待ち時間、つまり「やっぱりなんともない返事が来て安心しました」になるまでのキリキリ時間をだね、ひ、

ひつようか?!ほとに、ひつよでか?って、ことなす。なんていうか、その体質をもしアナタが宝物のようにお持ちなのなら、ちょっと考えてはみないだろうか?

たぶん、それ、私から、すると、ひじょうに、じかんの、むだ。



そのキリキリ時間、ずっと思考は「返事が来ないこと」に集中しているワケ。そして負の妄想は膨らみ続け、最終的には「車に轢かれて死んだんじゃないだろうか」って、


( ̄∇ ̄;)・・・・・・


いやね、その時間を利用して、その想像力を活かしてだね、クッキー焼いてみるとか、断捨離するとか、語学の勉強するとか、その妄想力で小説書くとか、何か生産的なことに向けての時間に使ってみないか、というのが、


見ず知らずの私からの、提案♡


その「最終的には安心します、だからそれでいいんです」っていう古すぎる価値観を、手放す。そう、手放すのだ。お私いまいいこと言ったぞ、アゲイン、


手放すのだ♡


そんなカビ生えてそうな古臭っさい思考を続けていても、それは脳は新しい価値観に変更しなくていいから楽かもしれんけど、心はラクじゃないの、悲鳴あげてる。

「私はこれでいいの」ってそんなつむじ2個の頑固親父みたいなこと言ってないで、少しのことだ、変えてみたらいい。

マイナス思考に捉える脳のクセは、まあ頑固だ。けど「私はそういう傾向がある」ってちょぴっと意識をするだけで、またその流れが来た時に意外と、自分を客観視できる。

そしたら次には慣れ親しんだものを変える脳の違和感を受け入れて「あ、いま運転中なのかな」とか「気が乗らなくて考えてるのかな、けどそれでいいよね」ってちょいポジティブな捉え方をピックアップしてみる。




訓練だ。これはもう、訓練だ。繰り返し繰り返し、繰り返すしか無い。

右に行こう、行こうとしているものを、左に曲げるのだから。なんのチカラも加えなければ、ラクな方へ行くだろう。

しかし「おっと、またオレねがちぶに捉えようとしてるぜ〜」と気づいたなら!それは人生の転機。変わる時だ。そして今なら、変えられる。

そんなマゾ体質は、毛玉だらけのトレーナーと一緒に捨てればいい。

人は。

長年、慣れ親しんだ思考パターンでいることの方が、ラクなのだ。特別に新しいことを考えなくていいから、自動だから。

けど。

そこにちょっと疑問を持って、時代遅れな思考は手放すと決めてみて、起きた出来事に対しての捉え方を今までとちょっと逆パターンに変えてみたりしてみたら、

たぶん、いや確実に、生命力がみなぎる。元に、戻る。

それを繰り返した時、

アナタはもう「すぐに返事が来ないと不安な人」なんていう題名のnoteなんぞ、最後まで読まない体質になっているであろう。



こっち側で、待っているぞ♡




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