百年と一日

吉祥寺のOLD/NEW SELECT BOOKSHOP百年です。百年から歩いて一分のと…

百年と一日

吉祥寺のOLD/NEW SELECT BOOKSHOP百年です。百年から歩いて一分のところに一日という名前の古本とギャラリーのお店もあります。http://www.100hyakunen.com/

最近の記事

コミュニケーションする?

人見知りだ。何を話していいのかわからない。知らない人とは会話が続かないので、大して興味のないことを突破口としようと思うのだけど、もともと興味がないのだからやはり続くわけがない。そんな調子で向こうも黙ってしまう。 レセプションパーティーというものが苦手だ。せっかく誘っていただいたのだし、こういう場所に顔を出すのも仕事かな、とか思って行くのだけど、たいがいわずかな知り合いと10分ほど話して一人ぼっちだ。あの所在なさったら。同じような人に話しかけるほど度胸はないし、やはり沈黙が待ち

    • 百年の13年 その5

      いろんな本屋を訪ねてわかったことは、女性客がほぼいないことだった。多くはおじさんで、同世代の男性すら少なかった。 その理由は簡単だった。単純に入りづらかった。昔ながらの、古本屋っていえばこんな感じだよねというブスッとした店主がいて、一見さんお断りみたいな空気があった。(もちろんすてきな店もありましたよ。) だからかどうかわからないが、若い人はブックオフに行った。いくら立ち読みしても雑に扱っても怒られないし、匿名性が保てて楽だった。徐々に多くの人にとって古本屋といえばブッ

      • 百年の13年 その4

        店名はすんなり決まった。 百年。 よく言われるがガルシア=マルケスの『百年の孤独』からではない。(若き日の又吉さんからも会計のときに聞かれた。)内田栄一の『きらいじゃ・ないよ 百年まちのビートニクス』から拝借させていただいた。 百年まちというのは死者のまちだった。本は幽霊みたいなものだと考えていた。死んでも生きている。見える人にしか見えない。幽霊に囲まれている本屋。 これは後付けになるのだけど、一世紀は0年から99年で終わり、100年経つと次の世紀がはじまる。そして0に戻る。

        • 百年の13年 その3

          日本大学芸術学部文芸学科というところで小説を書いていた、というと誤解を受けるのだけど小説家になりたいわけではなかった。ほんとうは映画を撮りたかった。けど、性格的に向いていないことがわかりあきらめた。 卒業制作で書いた小説を『文藝』に送ってみた。1次審査を通った。これで卒業後の言い訳ができた。小説を書くから就職はしない。ありがちな話しだ。 次に何を書いたのかは文字通り一文字も思い出せない。そんなものだったんだと思う。でも、覚えているのは表現を通して社会をよりよくしたいと思ってい

        コミュニケーションする?

          百年の13年 その2

          「場所」をつくる、じゃあそこで何をすればいいのか? なんでもよかった。飲食でもよかった。けど、本屋しかぼくは知らなかった。 本屋をやるにはどうすればいいんだろう。そこからだった。このときは自分が古本屋をやるなんて考えてなかった。本屋といえば新刊書店しか知らなかった。ということで調べた。 利益率20%。これはどの業界と比べてもかなり低かった。この利益率で商売するには回転率を上げるしかない。となると駅近、家賃高い、初期投資が高すぎる、などマイナスな要因しか思い浮かばなかった。

          百年の13年 その2

          百年の13年

          百年が13周年を迎えた。 というわけでちょっとだけこの13年を振り返りたい。 百年は2006年8月4日に開店した。 それまでなんとなく新刊書店で働いていた。 2005年、大好きだったsupercarというバンドが解散した。僕は26歳だった。 そのとき悟った。これでモラトリアムが終ったと。 30歳も見えはじめていた。 焦った。どうしようか。 特段誰かより秀でた才能はないし技術・技能もない。 なんとなく働いていたとはいえ本屋は好きだった。 比較的好きにやらせていただいていた

          百年の13年