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百年の13年 その3

日本大学芸術学部文芸学科というところで小説を書いていた、というと誤解を受けるのだけど小説家になりたいわけではなかった。ほんとうは映画を撮りたかった。けど、性格的に向いていないことがわかりあきらめた。
卒業制作で書いた小説を『文藝』に送ってみた。1次審査を通った。これで卒業後の言い訳ができた。小説を書くから就職はしない。ありがちな話しだ。
次に何を書いたのかは文字通り一文字も思い出せない。そんなものだったんだと思う。でも、覚えているのは表現を通して社会をよりよくしたいと思っていたことだ。

それは本屋でも同じだった。本屋を通して社会をよりよくしたかった。
だから本屋をやると決めてからこんなコンセプトを書いた。(「百年」の由来はまたこんど。)ここにでてくる「誠実」さは中沢新一のカイエ・ソバージュから影響を受けている。

コミュニケーションする本屋でありたい。
何も話をしようというんじゃなくて、いやもちろん話をしたっていいのだけどそれは少し野暮な気がするから、本を買って売ってという関係を築きたい。そんなのあたりまえじゃないか?と言われるかもしれないが、その間に「誠実」さを介在させたい。
売ることの誠実さは、ある本を評価し値段を決定するということに対しての責任を持つことであり、買うことの誠実さは、傲慢かもしれないがその価格に対して納得し購入することだ。(古本屋にとってそのバランスこそが一番大事でおもしろいところ。)古本屋に限ったことじゃないけど、こういったことを感じる機会が減ったように思う。「誠実」さがあれば、日々の生活がわずかかもしれないけど豊かになると信じている。
少し面倒かもしれないけれど、電車に乗って自転車に乗って歩いて、街の空気を感じながら、百年に来てほしい。雑多な棚から目当ての本を探してもいいし、今日の晩飯何にしようかなと考えながら近所のスーパーで買い物するように物色してほしい。「歴史」からこぼれ落ちてしまった本や欲しかった本を発見してほしい。もし出会ったのなら嬉しいし、なかったのなら次来たときに満足させたいと思う。こんななんでもないことが大事なように思う。

13年経ったいまも同じように思っているし、信じているし、実感している。じゃなきゃ、本屋を続けていないし、心が折れている。


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