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しれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウム ③第一部 経過報告と課題提起

1988年に開催されたしれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウムの内容を連載形式で掲載いたします。
当時のナショナルトラスト運動や環境問題への認識を共有できればという意図です。

なお、編集は当時の斜里町役場の部署「斜里町役場自治振興課」です。

内容は以下のとおりです。

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あいさつ 斜里町長 午来昌
祝辞
環境庁自然保護局長 山内豊德(報告書には全文掲載なし)
北海道知事 横路孝弘(報告書には全文掲載なし)
ナショナル・トラストを進める全国の会会長 藤谷豊

第一部経過報告と課題提起
千葉大学教授 木原啓吉
100平方メートル運動推進本部会長 午来昌
100平方メートル運動推進関東支部長 大塚豊
 100平方メートル運動推進関西支部世話人代表 笠岡英次

報告者による討論
天神崎の自然を大切にする会理事 後藤伸
ナショナルトラストをめぐる全国的な動き
会場からの質問応答

第二部基調講演
「国立公園に何が求められているか-保護と利用のあり方を考える-」
日本自然保護協会会長 沼田眞

第三部パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」
NHK解説委員 伊藤和明
自然トピアしれとこ管理財団事務局長 大瀬昇
中部山岳国立公園管理事務所保護課長 渡辺浩
野生動物情報センター代表 小川巌
日本自然保護協会参事 木内正敏
北海道「味と旅」編集長 山本陽子
会場からの質疑応答・総括討議

閉会にあたって 100平方メートル運動推進本部副会長 炭野信雄

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第一部 経過報告と課題提起

木原啓吉(千葉大学教授)
東京大学法学部を卒業後、朝日新聞編集委員として公害、自然保護、歴史的環境問題の報道、論評を担当され、昭和56年から千葉大学へ。
イギリスのナショナル•トラスト本部には数回にわたって訪問され、また昭和60年にはアメリカ、アラバマ大学客員教授を務められるなど、幅広い視野から環境問題に取り組んでおられる。



それではただいまからシンポジウムを開くわけですが、ちょうど6年前の同じころ、この会場で知床100平方メートル運動の5周年記念シンポジウムが開かれました。
その経過は、ここにある本の中に詳しく書かれておりますが、それから早いもので6年経ちました。
その間にこの知床の運動を初め全国各地でナショナルトラスト運動が活発に展開されてきております。
この経過についてはまた後ほど詳しく御報告いたしたいと思いますが、何といってもその中心になるのはこの知床の運動であります。

きょうはまず、ここにいらっしゃいます午来昌町長、それから知床100平方メートル運動の関東支部長を務めていらっしゃる大塚豊さん、さらに関西支部世話人代表笠岡英次さんの3人に、これまでの運動の経過及び将来の展望についてお話を伺うというところから始めていきたいと思います。

そしてさらにこの運動がどのように全国の運動に影響を与えたか、またその後国際交流がどのように展開されてきたかということなどについて紹介してみたいと思います。

その後で、この6年前の大会に初めて参加されて、それ以前から進められておった天神崎の運動が、ナショナルトラスト運動であるということを初めて知られた当時の玉井先生という方がいらっしゃったのですが、その天神崎の運動がこの知床の運動に刺激を受けて飛躍的に発展しました。

その経過につきまして、あるいはその現状、将来の展望につきまして、後ほど、もう既に会場に来ていらっしゃいますが、後藤伸さんからお話を伺いたいと思っております。

大体12時20分ごろまで2時間ほどいろいろな形でお話を伺うわけであります。
きょうお話しくださる午来町長は、皆さんのお手元に経歴が出ておりますのでそれをお読みくださればわかるわけですが、町の議員を務められ、さらに北海道自然保護協会の理事や知床自然保護協会の初代会長などを務められました。
そして町長になられたわけでありますが、ずっと一貫して自然保護で貫いてこられた方であります。
まず午来町長に約15分ぐらい、これまでの運動の展開の後を振り返って、また将来の対応などで非常にこの運動が難しいところといいますか、これからどのように発展していくか、どう展開していくかという時代の転換点に立っていると私は考えておりますので、このあたりを詳しくお話を伺いたいと思います。

ではどうぞお願いいたします。


午来昌(運動推進本部会長)
昭和42年より4期斜里町議会議員を務め、昭和62年から現職斜里町長。また、北海道自然保護協会の理事や知床自然保護協会(前身「青い海と緑を守る会」)の初代会長を務めるなど、自然保護運動の活動家でも知られる。

今紹介されました午来ですが、私の受け持ち時間は15分です。概要につきましては既にいろいろな形で、また今回のごあいさつの中でも述べられております。簡潔に要点だけを述べて御報告にかえさせていただきます。

スタートは、御承知のように昭和52年でございます。元町長の藤谷さんが岩尾別の開拓地の跡地をどうするか、こういう形でこの運動を進めて、爾来今日まで経過しております。これは発想としてはイギリスのナショナルトラスト運動にヒントを得ております。その間いろいろなことがございました。

しかしそのことがきっかけとなりまして、日本におけるナショナルトラスト運動も、さきの5周年記念シンポジウムのこの場所でいろいろ御協議を願い、その後一挙に運動の輪が全国に広がり、まさに今そのスタートが切られ、走っている状況でございます。しかしこの運動を陰で支えてくれたのは、何といっても報道機関の御協力があったからであることは否めない事実でございます。マスコミ関係の皆さんに改めて深甚な謝意を表したいと思います。

この運動の特徴としては、先ほどもお話しがありましたように、「知床で夢を買いませんか」といった語りかけが非常に強くあったことだろう。

2つ目には金額が8,000円と、末広がりにつながるかどうかは別としても、8という数字を使ったことも大きな要因になっているのじゃないか。そして夢であっても知床の地主になれるんだ、こういう思いが意外と輪が広がっていった原因になってくるのではないか。そういうロマンを求めて、多くの人たちが参加をしていただくような要素もあったのではないかという気がいたします。

3つ目には、先ほど藤谷さんや山内さんのお話にもございましたように、自治体が皆さんのお金を預かって、責任を持って運動を進めるという特徴があったのだろうと解釈しているわけでございます。

今日的な参加状況は、9月15日現在で30,484人になってございます。またこの運動を広げるに当たって、東京を中心とする関東支部の大塚支部長、関西の笠岡世話人代表を中心とするそれぞれの地域の大きな盛り上がりも忘れてはならないことでございますし、そのほかいろいろな職場や地域の中で陰ながら支えていただいた多くの皆さんに、改めて感謝を申し上げたいと思います。こういった方々があればこそ、30,000人を超える参加をいただき、そして3億5千万近い金額が今日集まってきたというように我々は理解をしているところであります。

特に関西支部等では、いろいろな運動の中でテレホンカード、絵葉書、その他もろもろの形を作り出しながら、何とか知床の夢を一日も早く実現させなければならないと、一生懸命やっていただいている姿にはただ感謝申し上げている次第でございます。

しかし、そういう中にあって、地元の参加状況はどうなんだと、よくこれは議会の皆さんにも言われますし、聞かれます。実数としては1,500人に満たない参加人数であります。しかしうちの町から結婚だとか誕生その他もろもろの関係でプレゼントしていただいている数を含めると、2,000を超えている数になっております。しかし表に出てくる数字はまだ1,500にちょっと足りない。我々は人口16,000の町ですが、少なくとも1割以上は10年かけてやろうやと、頑張ってきたわけですが、皆さんに表示できる数字はまだ1,500人に達していない状況でありますから、斜里町民としてもこれらの課題に向けて今後鋭意努力をしていかなければならんと改めて感じているところでございます。

土地保全の関係につきましては、先ほどお話に出ておりましたように、目標の約80%を達成し、あと90ヘクタールが残ってございます。これは藤谷さんのお話にもございましたように、列島改造論華やかな時に、まさに原野商法的な形で買わされた方々が、特に神奈川県、東京を含めてまだ残っているわけですが、斜里町内関係につきましてはあと2戸ほどでございまして、何とか地元のこういった運動に御理解をしていただくように、鋭意努力をしている最中でございます。これらの解決も、我々は今後、一生懸命努力を重ねていかなければならない。できることなら、この運動に参加をしていただきながら、100%皆さんの力で解決をしていく努力を、今後とも続けていかなければならないと思うところであります。

それから積み立て状況は、9月15日現在で340,963,000円がこの11年間で集まりました。その中で、植樹、事務費その他いろいろなものを差し引きますと、現在72,000,000ほど積み立て資金として銀行等に預けてございます。これを基本にしながら、残された土地、そしてまたこれからの運動構築にいろいろな形で対応していかなければならない状況になってございます。

次に植林に関してですが、植林の方法はどうなっているんだという御質問をよく受けます。植林は運動スタートの翌年(昭和53年)よりを始めましたが、62年度末現在、この10年間に植林した本数は新植で約200,000本、さらに25,800本を補植してございます。樹種の関係等につきましては、シラカバ、アカエゾマツ、トドマツ、ナナカマド等の樹種を植えてございますが、針広混合林を人工的に作ろうではないかということも含めて、それぞれ専門家の御意見なども聞きながら、こういった樹種選定をしてきたところであります。

しかしこの10年を振り返ってみますと、自然に任せた2次林が期待できない程の草地の侵食状況、それからお話が出ましたように非常に気候風土の厳しいところでございまして、必ずしも順調とは言えない状況であります。

そこに果たしてシラカバ、アカエゾマツ、トドマツといったものがいいのだろうか。風のないところはかなりな勢いで植生も順調でありますが、風、気候風土の厳しいところにつきましては、伸びがどうも思わしくない。

これは何が原因しているんだろうかということ等々も十分考慮しながら、新たな植栽の方法を営林署さんから指導も受けているわけです。例えば開拓の跡地を大きなレーキ等で、かき起こすとその後に周辺にある種が飛んできて、自然に芽が出てくるとか、また植え方等にしてもやはり相当きれいに対応しなければ根の活着が悪い等、いろいろな御指導や御指摘も受けておりますので、もっと自然に近い形で対応していくような方向性も今後協議をしながら、あの地にふさわしい森をどう作り出していくか、こういう課題も生まれてございますので、これらにつきましても御理解とお知恵をお借りしたいと思うところでございます。

いろいろな形で今後この「知床100平方メートル運動」の輪を広げ、対応していかなければならないわけでありますが、この運動の成果として、第1に土地の保全が運動目標の80%に達したこと、そして5周年記念事業を契機にナショナルトラスト運動が全国的に広がりを見せたこと、3つ目には市民運動分野でそれぞれ関係する行政機関の皆様が、法体系の整備も含めていろいろ御努力をくださり、改善されてきたこと、そしてトラスト運動に対する国民の認識が広がってきたこと、そういうことが挙げられると思います。

しかしその反面、この運動の過程の中で、知床伐採問題があったことも事実であります。行政が進める運動の影響として避けられない大きな問題として、国有林伐採問題があったわけであります。

当時斜里町は、これらの問題に大変苦慮して対応してきたところでありますが、営林署と自然保護団体が対立する中で、野生生物の調査は実施することなどの調停を提示するなど仲裁に入りましたが、調停不調に終わり、営林支局が独自の野生生物調査を実施し、最終的に営林署側が伐採に踏み切ったわけでございます。

この時、全国の人たちがこの運動に寄せている夢は、単に運動地の買上げ、森林復元だけにとどまらず、知床国立公園そのものをそっくり引きくるめて、原始性豊かな自然として保全をしていきたい、町がどうの国がどうのという線引きは関係ないという声、要するに土地も森も水も動物も、すべて包括して守っていきたいという夢の広がりになったこともはっきりと理解されたわけであります。

そうした全国の人たちが抱く夢が、今林野庁におきまして国有林施業計画の見直し等検討委員会等を作り、鋭意検討しているところでございますが、これらの成り行きにつきまして非常に関心を持っているところでございますし、これらの願いをぜひかなえていただくよう、行政としても期待をしているところでございます。

「知床は自然界の仕組みを見せてくれる日本唯一の原始郷であり……」、これは斜里町が昭和49年9月に制定した「知床憲章」の序文であります。知床は原始的な自然林と、そこに生息するヒグマ、シマフクロウ、エゾシカ、オジロワシ、動植物連鎖の頂点にいる大型肉食動物が同時にそろって生存し、断崖にはウミウ、オオセグロカモメ等400種の海鳥などが一大コロニーを作り、限りない大自然そのままの光景が毎日繰り返されているのであります。さらに、見事な景観を織りなす滝や河川、湖沼等、原始自然生態系を維持するかけがえのないこの知床の価値を認識し、永遠に保存していくのが斜里町の責務であります。

こうしたことを考える時、全国から寄せられた夢の実現のために、斜里町は国立公園の保全と適正な利用という大きな課題を掲げ、新たな事業を展開していく必要があると考えるところでございます。

まだまだ説明不足でございますが、時間の関係もございます。後ほど御意見があれば出していただきながら、今回の報告にさせていただきます。どうもありがとうございました。


木原
今、10年間の歩みをスケッチしていただいたわけでありますが、私、昨日現地に行きまして、100平方メートル運動ハウスを見ましたが、1つの部屋に30,000人もの名簿がずらっと並んでいるのは非常に壮観だと思いました。

その中で、地元の北海道も多いのですが、関東地方と関西地方が非常にメンバーが多い。やっぱり大都市の自然に欠乏している人々が、どうしても日本の原生林である知床を守りたい、知床を守ることによってさらに日本の自然保護の運動を広げていきたいという願いが、あの数に込められているのではないかと思いました。

そういうことで、関東支部、関西支部をメンバーの方たちが作られて、町当局とも非常に密接な連絡をとりながら、この10年間運動を進めてこられたというのも、私は非常にユニークな運動だと思います。
知床の100平方メートル運動の独創性はいろいろ挙げられますが、やはりその中には関東支部、関西支部という大きな組織を作って運動を支えているというのが1つの成功の秘密ではないかとさえ私は思っております。

きょうその中心になっておられる大塚さんと笠岡さんがお見えになっていらっしゃるのですが、まず最初に大塚さんに、関東支部の動きを初め、この運動に対するお考えを伺いたいと思うわけであります。

ここにも書いてありますとおり、大塚さんは、三井農林の斜里町の事業所長を戦後間もなくお務めになって、その後昭和54年から三井農林の社長を務められたわけですが、そういう仕事をしながら、一方で関東支部長の仕事もずっとやってきておられます。

昨年、例の国有林伐採問題で非常に揺れ動いた時に、東京の日本青年館で集会がありました。その時大塚さんのお話を伺って、参加した者は、私を含めみんな非常に感動したものであります。

大塚さんは、昔からの斜里町、知床の運動、原生林のことについても詳しいので、きようはそういうことを含めてお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。


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