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しれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウム ⑨第二部 基調講演

1988年に開催されたしれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウムの内容を連載形式で掲載いたします。
当時のナショナルトラスト運動や環境問題への認識を共有できればという意図です。

なお、編集は当時の斜里町役場の部署「斜里町役場自治振興課」です。

内容は以下のとおりです。

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あいさつ 斜里町長 午来昌
祝辞
環境庁自然保護局長 山内豊德(報告書には全文掲載なし)
北海道知事 横路孝弘(報告書には全文掲載なし)
ナショナル・トラストを進める全国の会会長 藤谷豊

第一部経過報告と課題提起
千葉大学教授 木原啓吉
100平方メートル運動推進本部会長 午来昌
100平方メートル運動推進関東支部長 大塚豊
 100平方メートル運動推進関西支部世話人代表 笠岡英次

報告者による討論
天神崎の自然を大切にする会理事 後藤伸
ナショナルトラストをめぐる全国的な動き
会場からの質問応答

第二部基調講演
「国立公園に何が求められているか-保護と利用のあり方を考える-」
日本自然保護協会会長 沼田眞

第三部パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」
NHK解説委員 伊藤和明
自然トピアしれとこ管理財団事務局長 大瀬昇
中部山岳国立公園管理事務所保護課長 渡辺浩
野生動物情報センター代表 小川巌
日本自然保護協会参事 木内正敏
北海道「味と旅」編集長 山本陽子
会場からの質疑応答・総括討議

閉会にあたって 100平方メートル運動推進本部副会長 炭野信雄

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第二部基調講演

「国立公園に何が求められているか―保護と利用のあり方を考える―」

沼田眞(日本自然保護協会々長)
植物生態学はもとより生態学全般の世界的な権威であり、ヒマラヤ地域のネパール、ブータンなどの学術調査の代表としてたびたび現地を訪れる。農林業、環境教育、自然保護など研究業績は幅広く、国内外の学会、専門委員会の役職を数多く務める。
昭和63年には、英王室エジンバラ公フィリップ殿下の発案で設けられた「エジンバラ公賞」を受賞

私は北海道には非常に縁がありまして、北海道大学の理学部とか帯広畜産大学の非常勤講師を何年もやったことがあります。

また知床には帯広畜産大学に関係していましたころ、知床半島学術調査団というのが派遣されましたが、そのメンバーとして昭和36年に来たことがあります。そのころ岩尾別にはまだ農家がずっと残っておりまして、そこの人たちから大正時代に入植したころの苦心談を聞いたことが非常に印象に残っております。大きな石をどけて畑を作ったとか、そういう話をされておりました。

そのほか国立公園の調査とか、それから環境庁の委託によりまして遠音別岳の原生自然環境保全についての調査とか、そういう機会に何度もお邪魔したことがあります。

私自身の研究としては、放牧地なんかの草地植生調査で昭和32年ごろから35年ごろまで、毎年のように青函連絡船に乗って、こちらへ来た記憶があります。そういうことで非常に懐かしい所でありますが、比較的最近参りましたのは、遠音別岳の調査の時であります。昨日はまた天気のいい中を峠の方まで行ってまいりました。

今日はこういう「保護と利用のあり方」という題を与えられたわけですが、利用に関しましては今日は直接は触れないつもりです。今、環境庁の自然保護局では公園利用に関する委員会が開かれておりますし、斜里町でも幌別地区基本構想というようなものを既に出されている。後のパネルディスカッションでもいろいろ議論されると思いますので、直接は触れないことにしたいと思います。

IUCN(国際自然保護連合)などが、「自然保護というのは、自然及び自然資源の賢明かつ合理的な利用のことだ」という、ある意味ではちょっと裏返しにしたような言い方で言っているくらいで、保護と利用というのは相補うところがあるわけです。しかし午前中の御質問の方、あるいはコメントをなさった方の中にも、観光地になるような利用はやめてくれとか、あるいは適正利用の名のもとに、知床をだめにするなというような御意見がありました。

非常に大事な御意見だと思うのですが、利用と言いましても、公園的な利用ということに当然限られると思いますが、その中に皆さん御心配の観光とか、そういうことがどの程度入ってくるかということが具体的な問題になると思います。

私自身としては、植物の方で言いますと、目標植生と植生管理ということを前から言っておるのですが、つまりどういう植生のタイプがいいかということを議論した上で決めて、その方向に沿った管理をしていく。
もっと広く言えば、目標生態系と生態系管理という言葉に直した方がいいと思いますけれども、その場合に、自然公園のあるべき姿としてどうだということで皆さんの合意が得られ、そういう方向に公園の望ましい形が作られていけば非常にいいと思います。少なくともここで問題になりましたような林業的な利用というのは、公園的な利用とは一般的に言ってなじまないと私は考えております。

利用の問題につきましてはそれくらいにしておきまして、直接的には申し上げませんが、しかし保護と利用というのはウラハラのところがありますから、そういう意味で我々の意のあるところをお酌み取りいただければ幸いと思います。

自然保護ということを国立公園に限らずもう少し広く考えてみたいと思うのですが、そういう面的な保護区というのは、国立公園、国定公園など自然公園の特別保護地区のようなものが1つありますし、古くからあるものでは文化財保護の中の天然記念物の中に、天然保護区域というのがあります。尾瀬ヶ原なんかそれに指定されているわけです。

それから林野庁関係では、これは法律ではありませんが、大正時代の山林局長通牒というのに基づいた保護林という制度、そのほか森林法に基づいた保安林とかいろいろあります。

環境庁の関係では、自然公園に関係したものとしては自然環境保全法というのが1973年に出まして、その法律に基づいて原生自然環境保全地域というのが現在5ヵ所、それから自然環境保全地域が10ヵ所指定されております。

今日はそういう面的な保護が図られている場所を念頭に置いてお話をしていきたいと思います。表題は国立公園となっておりますが、かならずしも国立公園だけではなく、そういうものも含めて考えたいと思います。それもここでお話しするわけですから、知床に関係した形でお話を進めてまいりたいと思います。

まず基本的なことから申しますと、自然保護の基本的な概念につきましては、「自然保護」という雑誌の8月号に、私どもが先般「自然保護を語る会」というものをやりました時の記録がまとめてありますので、ここでは繰り返しませんが、一番もとになるのは、コンサベーション(conservation)という言葉で、conservativeというのは保守的なということですが、保守というのは、ある守りたいものがあって、それをずっと守っていくのが保守で、要するに、いい状態ないしは望ましい状態、これは評価ということが入ってくるわけですが、そういう状態を持続するというのが自然保護の一番基本的な意味合いだと思います。そして「持続する」ということがこのごろばかに強調されまして、持続性(sustainability)ということが最近盛んに言われておりまして、持続的開発(sustainable development)、これは昨年日本で最終回を迎えましたブルントラントレポートという日本政府で出しました世界環境特別委員会、その結論がやはり持続的開発ということになっているわけですが、そういう持続性ということがコンサベーションのもう一つの大きな意味合いであると思います。

そしてこれに関しまして私が前に参加した会議で非常に感銘を受けましたのは、ハワイにイースト・ウエスト・センターというのがありますが、そこでサスティンド・イールド・フォレストリー(sustained yield forestry)-持続収量林業-、そういう名称のワークショップがありまして、そこに私呼ばれまして2週間ほどその討論に参加したことがあるのですが、まず最初にびっくりしましたのは、フォレストリーと言えば日本語で林業ですが、林業と言えば材木の生産が中心だと普通は考えるわけですけれども、そのワークショップでは、フォレストリーというのは、材木の生産だけを言うのではない。

産業としてそれは非常に重要な意味を持っているけれども、その中でどれくらいの野生動物(wild life)を抱えることができ、鳥なら何羽、あるいは種類で言うと獣が何種類、あるいは何個体そこで収容できるか、要するにワイルドライフの収容力、これも一つのイールド、つまり収穫物に入るのであって、木材の生産だけを言っているのではない。
あるいはこれは保安林なんかでよく言うことですが、水源涵養とか、いろんな林の機能として言われるものがありますが、そういうものもすべてイールドである、林からの収量であるということで、林業という普通の考え方と非常に違うということを最初に主催者が言われまして、ここで論議をするのは、狭い意味の林業ではなく、広い意味の林業である。

広い意味の林業というのは、自然保護を含んだ、つまり野生動物の収容力という概念を含んだ、あるいはリクリエーションのキャパシティを含んだイールドについてこれから議論するんだということが盛んに言われ、それでみんなの意思統一を図ってから討論に入ったわけですが、我が国でも今日たびたび御紹介がありましたように、林野庁でも「林業と自然保護に関する委員会」というものを現在やっておりますし、それから筑波にあります国立の林業試験場が、10月から「総合森林研究所」というふうに名前が変わります。これなんかも、まさに10何年か前、ハワイのワークショップで言われた林業よりは森林というものを考えて、その一部の産業的な生産が林業であるという位置づけと全く同じことで、今までの狭い意味の林業から森林ということに国でも名称を変更するわけです。


そういうことを考えますと、そういう考え方は世界的に進んでおって、日本はかなり遅れておったと思うのですが、やっとそういうところに近づいてきたと考えられます。

私は草原の研究を長いことやっておりましたが、東北地方なんかに多い芝草原、芝というのは日本の在来の草の中で最も牧草的な性質を持っている非常に珍しい草で、ゴルフ場なんかで蒔いている草は、1年に数回刈りませんと、グリーンになっていないわけです。
これは牧草の特性でして、牧草というのは非常に早く栄養成長から生殖成長に行く。生殖成長に入ると、花が咲いて実ができて、黄色くなってしまう。

それを生殖成長に行く手前でカットしていれば、常にグリーンが保てるわけですが、日本の草ではそういうものが非常に少ないんですね。これはやはり牧畜、畜産の歴史が非常に浅い。やはり豊葦原瑞穂の国ですから。そういう意味で家畜が絶えず食べるのに適応した草の進化が非常に遅れている。

芝はその代表的な草ですが、芝草原というのが東北地方を中心に広がっておりまして、大体ブナ台地域に多いのですけれども、その草地でちょっと強く放牧しますと、過放牧というのですか、さしもの強い草もダウンしてしまって、草地にはげる所ができてくる。それをちょっとプレッシャーを弱くしてやりますと、どんどん伸びて、それ以上ほうっておきますと、また花が咲いて黄色くなってしまうということが起こる。そのバランスが非常に難しいわけです。これを畜産用語でキャリン•キャパシティ、日本語では牧羊力と言います。つまりその草地でどれぐらい牛や羊が飼えるかという力を示すのを牧羊力と言うわけですが、それが至るところで広がって使われてきまして、環境容量というような意味に使われることもありますが、もともとはそういう意味なのです。
そういうことを考えますと、林の場合も草原の場合も、やはりそういう外から加わるプレッシャーとどれくらいのところでバランスするかということをうまく考えていかなければならない。これはやはり保護と利用ということにも関わってくるわけです。

現在、森林の問題で全国的に非常に大きく言われているのが、1つは知床、それから東北地方の青秋林道の白神の問題、それから南はヤソバルの森林を挙げてもいいんですが、白保の石垣島の珊瑚礁の問題、ちょうどこれはSが3つで、スリーSだと思うのですが、これが現在日本で最も大きな問題になっている場所だと思います。

それでこの知床半島の森林については、いろんな議論が前にもありましたけれども、低い所は針広混交林で、針葉樹と広葉樹の混交したところです。亡くなった舘脇という先生が1958年に書いた論文で、そのことを非常に詳しく論じているのですが、それによって、結局これは冷温帯-ブナ林のような所ですが、それと亜寒帯-シベリアあたりの北方林、それとの移行帯であると舘脇さんは非常に強調しておられます。中学や高校の教科書では、日本は気候帯から言うと、亜寒帯から亜熱帯までと書いてあるんですが、どうも亜寒帯というのは言い過ぎのような気がします。

シュミットヒーゼンという前に日本に来たことのあるドイツの植物地理学者は、寒温帯(cold temperate zone)と言っておりますが、それが非常にいい言葉だと思います。そうしますと北海道の渡島あたりはブナ帯ですが、寒温帯の針広混交林、それから冷温帯の落葉広葉樹、それから関東以南の暖温帯及び亜熱帯の照葉樹林というふうに見るのがいいと思うのですが、もちろんこの知床半島でも、少し上がってきますと針葉樹になりますし、さらに上がってきて、知床峠なんか700メートルを超すような所では、日本で言うところの高山帯、これも世界的に言うと、亜高山帯なんですが、ハイマツとかダケカンバのあるゾーンということになっている。低い方を基準にして言いますと、針広混交林帯になるわけです。

これは舘脇さんのお弟子さんの伊藤浩司さんが1980年に書いた論文でも同じようなことを非常に強調して書いておられますが、そういう意味で、北海道独特のタイプの気候帯を構成する森林である。

そして動物相から見ましても、今日もたびたびお話がありましたダイナビジョンなんかにもオジロワシとかシマフクロウとかあるいはヒグマとかエゾシカとか、海の方ではトドとかアザラシの類とか、いろいろ出ておりましたが、そういうものを含めて全体の生態系としては寒温帯の生態系としての非常に独特な形態を持っているという意味で非常に大事だと思うのです。

シマフクロウなんかのことは随分言われましたので、皆さんもよく御存じでしょうけれども、そういう特定の動物だけじゃなく、それは絶滅に瀕している動物とか、数の少ない動物というのは非常に貴重なことは間違いないのですが、しかしそれを余り強調し過ぎますと、特定の動物だけを守るというちょっとゆがんだ形の自然保護になると思うのです。そういうものを全部含めた、生態系としていい形のものを維持していくことが必要だと思います。

そういう意味で見ました時に、知床の国立公園の指定の範囲はこれでいいのかどうか。特別保護地区から特別地域のゾーニングが、それでいいのかどうかというようなことがまた問題になると思います。

原生自然環境保全地域の中に入っております遠音別岳にしましても、保護地域はほとんどハイマツ帯でありまして、野生動物の方から言いますと、鳥獣保護区の特別保護地区というのが非常に保護上は大切なわけですが、それにつきましても、山麓部とか、あるいは海岸部のシマフクロウとかオジロワシの生息地が入らないという問題もあります。この知床国立公園の場合は、特別保護地区が約50%という非常に大きな面積を占めている点では大変よろしいのですが、しかし詳細に検討してみますと、そういう動物との関係その他から見まして、この辺をもう少し含めなければいけないというような所がたくさん出てまいります。そういう点さらにまた見直しをしていただけると大変いいと思います。

知床博物館の中川君の書かれた「知床の保護を考える」という大変いい論文がありますが、その中にもそういう問題がいろいろ指摘されております。

日本の国立公園のシステムでは、自然公園法の中に第1種、第2種、第3種特別地域、さらに普通地域というような地帯区分、ゾーニングの仕方が規定されているわけですが、これは基本的には林業、施業との調整区域であると思われるわけであります。ですから大変な騒ぎになりました伐採問題につきましても、伐る方に言わせれば、そういう規定からいって法律的には違反ではない、だから伐るというのですが、しかしあれだけ反対があれば、やはり中止して検討することが必要だと思うのです。しかし結果的には伐採を強行するという形になってしまった。

私は林野庁の委員会の時にも時々言うんですが、これは非常に取り返しのつかないことをした。そういう事実は消しようもない。私はそれがまずいということは何度でも繰り返して言いますよと言うのですが、そういうことで一方は法的な規定からして、何%の施業はいいはずだということで伐ろうとするし、反対をする側は、その内容から見て、これは絶対残すべきだと言うわけですけれども、結果的にはああいうことになった。そしてその理由としていつも出てきて私どもふに落ちないのは、「若返り論」というのが出てくるわけです。

実はこれは林学の方ではずっと戦前から言われている議論でして、例えば中村賢太郎という有名な林学の先生が昭和19年に書かれた「造林学随想」という本の中に、こういうことが書いてあります。「過熟天然林は飽和状態にあるをもって、材積成長量を生産化するためには、まず伐採を行わねばならぬ。すなわち品種木を利用しなければ宝の持ちぐされとなる。」こういうふうに書いてあります。

これは皆さん聞いていておかしいと思われるでしょうが、過熟というのも非常におかしな言葉で、過熟ということが本当にあるのかどうか。私は余り信用しないのですが、林学用語にはそういうのがありまして、品種木を利用するんだ、それによって生産化するんだと言っているのですが、実際は品種木を伐ったのではないことは皆さん御承知だと思います。早齢木が伐られているわけです。

騒ぎの後でしたが、朝日新聞の投書欄に、「学生、20歳」と書いてありましたが、わざわざ自分は旅費をかけてどちらが本当なのか見に行ってきた。伐った跡を見たら、若返り論で言うような老齢木を伐ったのではなくて、早齢木を伐っていた。こういうことが投書に載りまして、難しいりくつはともかくとしても、見ればわかることなんです。

ところが中村賢太郎さん、同じ本の中に「択伐の美名に隠れて伐採量の増加を図ることがしばしばある。」と書いている。これは林学の人なので、実情をよく御存じで、ちょっと危ないという懸念を示されているのですね。大体、林を伐るとか伐らないという議論の時に、人工林と自然林をごっちゃにした議論が非常に多いんですね。施業の考え方はもちろん人工林から来ているわけですが、それをまたこのごろは天然林施業なんて言いまして、そちらにも広げようとしているので、話が非常にあいまいになってしまう。この点は注意すべきだと思います。


それで生態学の方から申しますと、「遷移」と「極相」一これは難しい言葉ですが、高校・中学の本に出ていますから、皆さん御存じだと思いますが、例えば運動場のような所は絶えず踏み固めてありますので、草も生えないようになっておりますが、そこを踏まないように囲いをして、しばらくほうっておきますと、草が生えてきます。

それをさらにほうっておけば、灌木が生えてき、大きな木が生えてきて、100年以上はかかりますが、森林に復元していくわけです。もちろんこれは日本の中でも北と南では条件が違いますから、百平米運動のような所は条件が厳しいですから、なかなか大変ですが、しかし基本的にはそういう具合にして群落の移り変わって発達していくわけで、最も気候条件をよく反映した状態、その発達したのを極相、クライマックスというのですが、そのクライマックスまでいった林の老木、数百年たったような木は、今度はだんだん死んでいくわけです。

生き物は動物であれ植物であれ皆死ぬわけですが、種によって樹齢は違います。屋久杉なんかは2、3千年生きるようですし、ブナなんかは数百年が限度でしょう。樹木の種類によっても違いますが、ともかくだんだん年をとっていけば死ぬことは事実なんで、もし過熟という字を使うとすれば、一中村先生の本には「過熱天然林」というような言葉が使われておりますが、老齢過熟という言葉を使うとすれば、過熟木というべきであって、過熱林というのはおかしいですね。
林の中には極相林のように発達した林であっても、老齢の木もあれば若齢の木もあり、実生もあるというふうになっているのが普通でして、老齢の木が倒れた跡には大きな穴(ギャップ)があきましてそこにまた実生が生えてくるということが繰り返されるわけで、これを循環遷移と言っております。

そういうことを最初に言ったのは専門の人ではなく、ソローというアメリカの文学者、「ウォルデン」(森の生活)という本を書いたソローが1860年に初めサクセッションという言葉を使い、それからコンサーベーションという言葉を初めて使ったと言われております。

そういうことから考えまして、この知床の林につきましても、営林局あたりの人によって若返り論というのが言われていますけれども、これはそのままでは受け取れないように思います。

この若返り論というのは、今のような問題を初めとして、戦後、問題になりました拡大造林につきましても言われていた。これは自然林を伐って、その後につくった人工林を40年ぐらいで回転させていくという考えですから、一緒にされては困るのですが、余りにもこれは林業的な立場の考え方だと思います。

それで、この若返り論をもっと進めていきますと、ある地域を皆伐してしまうわけですが、私は白神山の近くの森吉山という所に学生を連れて実習に行ったことがありますが、ここも今はすっかり伐られてしまいましたが、クマゲラが発見されたブナ林がありまして、そこで私どもは営林署の人に、ぜひそこを広域に残してくれということを言いましたけれども、しばらくして行ってみましたら、それこそ老齢過熟木というようなのが何本か残っているだけで、営林署の人に聞くと、これは要するに飼料木、餌を探すような木だけを残したと言うのですが、これでは困るんですね。やっぱりある範囲を広く残してもらわなければ困る。

そういう点で、ユネスコの方で生物圏保護区(biosphere reserve)という考え方を1972年、人間環境会議があった時に出しているわけですが、その考え方が社会的に広がっておりまして、ここでは基本的な考え方としてコアエリアという一番核心に特別保護地区を、その周りにバッファーゾーン(緩衝帯)日本の特別地域はバッファーのように見えますが、これは林業との調整をはかるためのもので、バッファーではないと思います。

バッファーというのは、コアと同じような状態のものであって、ただしコアは絶対手をつけないのですが、バッファーは自然教育に利用するとか、あるいはモニタリングのステーションをそこに置くとか、そういう意味での利用をする場所です。その外側にカルチュラル・ゾーンがあって、これは人工を加える所、施業対象になる所です。そういう考え方が盛んにいわれておりまして、日本では4カ所、屋久島大峰大台白山志賀高原が指定されておりますが、こればもう少し増やす必要があると思います。

昨年インドに参りました時に、南インドにニルギーという非常に伝統的に自然保護をよくやっている所があります。このニルギー山系のナショナルパークを見せてもらいました。ここはナショナルパークの外側にワイルドライフ・サンクチュアリーがありまして、象やヒョウがいる所ですが、更にその外側にバイオスフィアリザーブという、つまり3種類の少しずつ性格の違った保護地域を全部つなげているわけです。

広大な面積を占めておりまして、そしてこれは法制上は違うんですが、そのつなげた理由を聞きましたら、例えば象なんかが季節によって移動する。そういう移動ができるように性格は少しずつ違うのですが、そういう3種類の地域を指定して、それをつなげているということでした。そのかわり、ナショナル・パークの入り口でも、歩いて入ってはいけない、必ずジープを雇って、ガイドを雇って入りなさいということが書いてありました。ヒョウや象がいるわけですから、非常に注意をしております。

そのすぐ外側のゲストハウスに泊めてもらいましたが、夜になると、国立公園外なんですが、周りに鹿がたくさん来て、目をピカピカ光らせているわけです。聞きましたら、ヒョウなんかに襲われるので、人間のそばが安心だというので、夜は人間の所に来て、昼間になると、叱られるのでナショナル・パークに帰るというほほえましい状況がありました。

そこを管理しているウォードン、つまりレインジャーですが、チーフ・ウォードンの人に聞きますと、胸を張って我々は自然保護でやっているんだと言っておりましたが、日本では、持ち主が国有林であったり私有林であったりするので、環境庁が指定したり、維持するのに非常に難しい点があるんですが、インドの場合もやはり林業と自然保護との対立が非常にあったそうです。それでガンジー首相が亡くなる直前に、林業庁と環境庁を一緒にして、林業環境庁にしちゃったそうです。ともかく白神の場合は、絶対に強行すべきでなかったと思うのですが、やってしまったことなので、今後絶対にやらないようにしてもらいたいと思います。

その場合に、さっき言いました若返り論のほかに、盛んに言われましたことは、法律に反していない、つまり第1種とか第3種で、どのくらいの施業が認められているから、それに違反していないし、原始林ではないし、伐ったこともある。
しかし、我々は原始林だけを残せと言っているのではない。原生林というのは、往々にして誤解を招きますから、生態学でいう極相林の方がいいと思いますが、極相林、あるいは極相林に近い林は、やはりその地域の気候を反映した最も代表的な林ですから、そういうものは残すべきだと思います。

それから、大して伐っていない、1ヘクタールでせいぜい数本だということも言っていましたが、これはある意味ではもっともだと言う人もいるんですが、そういうケチな考えを起こさないで、残すんだったら、そこには絶対手をつけないで残すようにしてほしい。
施業する所は施業する、施業に反対しているわけでは全然ない。

ただ、特別地域の第何種というようなゾーニングをもう一遍考え直す必要があると思うのですが、要するに、施業との調整を図るゾーニングではなく、公園的な利用の面から見たゾーニングであるべきだ。
その利用の中に林業も入ると林業関係者の人は言うと思うのですが、これはやはり持ち主が国有林であるところから来ていると思うのです。

しかし、国有林とは言いましても、これはやはり国民の財産だと思うのです。林野庁は林野庁の林だと思っているかもしれませんが、これは国民の財産であり、国民の林であって、そこは、最近の言葉で言うと遺伝子の宝庫である。特に珍しい林は遺伝資源から見ても非常に重要な所です。

これも林野庁の方では遺伝資源保全林という名称をつけまして、たしか知床にもそういう所を決めているはずです。正式には決めていないかと思いますが、候補は全国的にあります。私はその方の委員もやらされているのですが、遺伝資源というのは、特定のものを言うだけじゃなく、日本にあります代表的な林は皆遺伝資源としての価値がある。熱帯林なんかについてはよく言われますけれども、熱帯林には限らないと思います。
そういう意味でゾーニングの見直しを言う人がよくいますが、それは林業的な面から見ての見直しではなく、本来の意味づけから見直して、さらには知床の自然というものの、日本全体、あるいは世界全体の中での位置づけを正確にとらえることが非常に大事だと思います。

さっき申しましたような生物圏保護区というようなものも、諸外国では、「文化および自然遺産条約」という、これも1972年、人間環境会議の時にユネスコが提案した条約でありますが、多くの国では、これに対する国内法を作りまして、それをバイオスフィアリザーブの上にかぶせています。

そうしますと、法的な裏付けのもとに保護できるわけです。そういうことをやりますと、今まで日本でやられているいろいろな方法にさらに加えて保護が可能になると思います。

国民の財産というようなものは、世界遺産条約に非常に合う場所であると思いますので、日本政府はぜひ早いところこれを批准してほしい。世界の過半数、百カ国近くが批准しているわけです。

竹下首相もトロント•サミットで、そういう世界的な環境保全の問題に力を尽くしたいというようなことを言っているわけですから、そうだとすれば、世界遺産条約のようなものを批准しないのは非常におかしい。

しかもそういうことによって、ただ批准するとか、加盟するというだけじゃなくて、それをうまく使って、保護地域が一層よく守られるようにしていくことは非常に大事なことだと思います。そしてその場合の基本的な考え方としては、さっきも言いましたが、生態系としての見方を常に頭に入れていただきたいと思うのです。

2年ほど前、自然保護協会主催で秋田でやりました「ブナシンポジウム」の時に、みんなで相談してポスターを作ったんですが、それに「イワナとブナ」という表題をつけたのです。非常に上手な表題だと思うのですが、白神山のブナ林なんかにつきましても、伐採に対して非常に早い時期に反対したのは、漁業組合の人なんですね。

これは主に内水面漁業の方なんですが、イワナとかそういう河川にすむ魚が、森林伐採に伴って川が濁ってきて、非常に少なくなった。伐採をやめてくれという申し入れをしたということが言われているわけですが、これはまさしく生態系的な考え方です。

陸上の林と川の水の中の魚との関係、これはもうりくつを言わなくてもよくわかるわけです。それから現在問題になっております珊瑚礁の問題にしても、白保の前から言われておりました沖縄本島の珊瑚礁につきましても、特に北の方のヤンバルと言われている所の林がどんどん伐採されているわけです。丸裸になって、そのあとがパイナップルの畑になるというようなことで、赤土が流れ出しまして、珊瑚礁の上に3、40センチも積もっているわけです。それで至る所で死んでいる。これなんかは珊瑚を守ろうというだけでは守れないわけでして、そういう陸上の森林の保護とあわせていかないと、珊瑚礁が守れない。


今一番問題になっている白保の珊瑚礁は、アオサンゴという世界的にも稀な、しかも1つの塊が大きくなるのに何千年もかかるような、そういうものを含んだ珊瑚礁で、ここではまだそんなに土砂の堆積は多くないのですけれども、一足先にできました新奄美空港の場合は、この間NHKのテレビでもやっていましたが、そういう土砂が堆積しているということがありました。

そういうことから考えますと、陸上だけでもやっぱり生態系として考えることが必要でして、森林といいいましても、木だけではなく、そこに生えている低木や草、あるいは泥の中にいる動物、木にとまっている鳥、そういうものも全部含めた陸上の生態系と合わせて、川があれば川も含め、近くに海があれば海側も含めて、全体の生態系としてどういう形で維持したらいいかということが非常に大事な視点だと思います。

ですから知床の場合も、終戦直後でしたか、伐採がありました時に、やはり漁協の人が反対したということを聞いたことがありますが、ともかくそういう生態系的な関連性というものが非常に基本の考え方になると思うのですね。

サケの回遊なんかを研究していたハスラーというウイスコンシン大学の先生がまとめた本で、「COUPLING OF LAND AND WATERSYSTEMSJという本があります。陸上と水の方のシステムのカップリング、それを一緒に考えるということを非常に強調した本ですが、そういう考え方をぜひ採っていただきたいと思います。

最後に一言申しますと、バイオエシックス(bioethics)、生命倫理とか生物倫理ということがよく言われております。翻訳本も出ておりますので、読まれた方もあると思いますが、日本ではその問題は脳死とか臓器の移植のことなどにばかり言われておりますが、もともとはそうではないんですね。

そういう問題を議論したのは生態学的な場面でして、私が一番最初に聞いたのは、20年ぐらい前に、イギリスの生態学会に出ました時に、「エコロジカル•エシックス」という言葉を聞いたことがあります。

最近言われているのではコンサーベーション・エシックス、すなわち保全倫理、あるいはアメリカなんかでよく言われておりますのはランド•エシックス、土地の倫理、要するに土地というのは単なる無機物ではなくて、そこに生き物がいっぱいすんでいるわけですし、森林も生えている。そういうものに対処する場合、人間以外の生き物に対して我々はどう対処するか。それは人間の間の倫理とは違いますが、人間と自然との間のそういう倫理的な関係も頭に置くべきだということが最近よく言われております。

ここで時間になりましたので、その中までは入れませんが、この後のパネル•ディスカッションではまたそういう問題を深めていただければ大変ありがたいと思います。これで終わりにさせていただきます。(拍手)


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