ハッキリしない言葉「インターネット・ミーム」を考える

はじめに

 はじめまして!自己紹介しようにも自分がカラッポすぎてかなり難しいのでこれを書いてる理由を書かせてください!
 突然ですが、最近、「インターネット・ミーム」なんて言葉をよく耳にしますよね。インターネットでバーっと広がったスラングとか動画、みたいなボンヤリとした定義で使われています。そこでなんとなく、自分の中でその言葉の使われ方に「おやおや?」と思うところがありまして、これを書いている次第です。明確なきっかけは、春とヒコーキのYouTubeチャンネルで上がった「ネットミーム総選挙」。これで完全に違和感というか、自分の中での"気持ち悪さ"みたいなものに気付きました。簡単に言うと一部「絶対それはネットミームじゃない!」ってなっちゃったんですね。

なんと言うか、「こんなんまでネットミームと言い出したら、全ての事象はネットミームでは?」って思うような内容だったんですよね(バキ童さんを叩く意思はありません)。これを筆頭に、ネットミームという言葉が、TwitterやYouTubeを中心にちょっと便利に使われすぎているな〜、と思っている毎日なんですね(毎日インターネットについて考え事をしていて、可哀想)。
 そのインターネット・ミームっていう言葉に対して、自分なりの解釈をしてみたら、何人かにこの違和感が伝わったり、共感してもらえたりするかもしれない!という望みからこれを書かせていただきます。あまり大真面目に取りすぎず、インターネットしかやってないのにインターネットの中にすら馴染めない、惨めで孤独なイチ人間の"ボヤキ"として読んでくれたら幸いです。

曖昧すぎる語義

 Wikipediaで検索を掛けたらば、インターネット・ミームとは、「インターネットを通じて人から人へと、通常は模倣として拡がっていく行動・コンセプト・メディアを指す」らしいです。この語源のまま読めば、はじめに批判してしまったバキ童チャンネルだとか、その他大勢のTwitterをやっている人たちが全く正しいわけなんですけど、ちょっとここでもう俺は異議を唱えたい!
 まず、「インターネットを通じて」ってところ、この時代に合ってなさすぎるんですよ!今、現代、令和、インターネットを通じずにメディアが伝播することなんかほぼ無いわけです。それなのにそんな言葉で定義付けしたつもりになっていたら、全ての物事が「インターネット・ミーム」と呼ばれることになっちゃいます!
 広さだけでなくさらに批判したいのは使われ方の一貫性の無さです。「ネットミーム」って言葉を嬉々として使っているのって、Nerdの人たち(要は陰キャ)になると思うんですが、そういう人たちって「Nerdの文脈」を持ったものだけをネットミームと呼びますよね!いわゆる「インターネットっぽさ」をかなり大事にするくせに、同じインターネットに違いないはずのTikTokでギャルがタラタラ踊ってるあの“拡散”は完全無視しやがるんですよ!オイ陰キャ!!!
 失礼。しかし、このあべこべさというか、「広いのに狭い」一貫性の無さが、違和感を生んでいる正体だと思うんですね。陰キャが「俺達のインターネット」と声高に叫べる時代はもう終わっていて、ここ最近や未来に起こる全ての若者文化はインターネットによる伝播が行われているというのが、私の主張であります。

インターネットは陰キャのもの?

 キモすぎる見出し。ただもうこれはさっき言った通り、「NO」です。圧倒的NO。
 ただ考えてみると、(日本の?)インターネット文化史は、ある意味で陰キャ文化史だったわけですよ。パソコンをカタカタやってる根暗なオタクが、テキストサイト、掲示板、動画サイト、SNS、と“陰キャの園”を築いていったのです。そんな中で生まれたのが「インターネット・ミーム」という言葉です。この言葉は昔の"陰キャしかいない時代の"インターネット文化を言い表すのにはかなり的確だったのだと思います。インターネットと現実での流行がかなり乖離していたからです。2ちゃんねるとかでは常用語の「香具師」とか「wktk」とか「キボンヌ」とか、会社で使いようがないですよね。その一種の"閉塞感"こそが、この言葉の根幹になっていたのだと考えます。「インターネットでのみ伝播してるもの」を表す単語が必要だったし、意味を成していた。
 しかし、今はコムドットがレギュラー番組を持つ時代。閉塞感なぞインターネットという単位では完全に失われ、「ネットミーム」なんて仰々しく言っても、それはただの「新語・流行語」となんら変わらないものになってしまったというわけです。
 一方で、特有の懐古主義の根強さからか、はたまた「あいつらと俺らは違う」意識からか、陰キャサイドの人間は「ネットミーム」という言葉のNerd的雰囲気のみをそのままに、風呂敷を広げていっています。ここに、時代錯誤的違和感が生まれてしまっているのです。
 時代錯誤は、インターネットの歴史を踏まえると、当然のことなのかもしれません。ただでさえ、「昔は良かった」と言いながらテニミュの空耳を面白がっているような人種にとって、激しい時代の変化は厳しいのです。しかも、我々陰キャは、秘密基地を踏み荒らされた側なのですから…。

解決は無い

 こういう経緯を持って、「ネットミーム」は完全に歪な言葉になったわけですが、「じゃあどうする」って言われたら、何にも言いようがないです。サムい使い方は違和感を生み出しますが、全く使われないのも悲しいですから…。
 特にこの文に「まとめ」は設けなくても許されるでしょうか。論文とかでなく、あくまで"ボヤキ"ですし…。
 ここまで読んでくださった中に、「ネットミーム」という言葉を"雑に"使うことは寧ろ過去のネット文化への冒涜的行為だと、俺と同じ考えの拗らせ方をしてくれた人がいたら、嬉しいです。インターネットを真剣にやろう。

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