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⛄🌺 死は永遠の別れではない ❄❄❄ 愛する人を天国に導く方法 🌺⛄

大川隆法総裁先生 書籍・正しい供養 まちがった供養

死別の時

死はとても悲しいものだ。
そして、切ないものだ。
生きる限り、
生物は生き続けたいものだ。
人間とて同じ。
生き続けんとして、
いつしか、病か老衰につかまり、
死の死者に連れ去られる。

死は、夫婦の仲を引き裂き、
親子を会えなくしてしまう。
愛別離苦の苦しみを、
頭では理解していても、
やはり、ハラハラ、ハラハラと、
涙は、とめどなく流れ落ちる
身内への愛は、
ほとんどが執着であると教わっても、
仏陀の言葉さえ、非常に響く。

この世の命が尽き、
愛する人と別れるのは、
苦しくも、切なく、哀しい。
わかっている。
そうだろう。
だが、人は死の下に平等なのだ。
来世での再会を、
心の支えとせよ。


🌺 まず、あの世を信じなければ供養はできない


「死後に関する質問」に答えられない現代の僧侶たち


日本では、2011年、東日本大震災が起き、東北地方を中心に二万人ぐらいの方が亡くなりましたが、さまざまなボランティアが東北に入り、復興を助けたり、心のケアーを手伝ったり、食糧や物資の支援をしたりしました。


また、「反原発」「脱原発」の運動をした人たちもいて、いろいろなかたちで救済活動は広がっています。そのなかで、活動としてマイナーなものだと思うのですが、美談として、よく新聞などで紹介されているのは、「東北地方などのお寺のお坊さんたちが、無料で喫茶店風にコーヒーを出したりしながら、被災者たちの話を聴いてあげ、震災で傷ついた人たちのケアをしている」というものです。


ただ、そのお坊さんたちは、生き残った人から、「亡くなった○○さんは、どうなっているのでしょうか。夢によく見るのです」「海辺で、いろいろな霊が見えます」などと相談されたりもするらしいのですが、そう言われると、医者の系統である精神科医の亜流のような話に持って行くケースが多いようです。


もっと、直接的な言葉を使って言うならば、私は、こういう僧侶たちに対して、「本当に魂の存在を信じているのか」問いたいです。僧侶であれば、「魂の救済」の話ができなければいけません。それが僧侶の本来の使命です。


しかし、僧侶の本来の使命であるにもかかわらず、「家が潰れて亡くなった人は、どうなったのでしょうか。いきなり津波が来て、海に流されてしまった人や、乗っていた漁船が転覆し、死んでしまった人はどうなっているのでしょうか」と訊かれても、この僧侶たちは答えられない状態ではないかと思うのです。


そういうところに「現代の仏教の救済力のなさ」が表れているような気がしてなりません。仏教のお寺には、「観光仏教」とよく言われるように、普段は、古い建物を案内したり、拝観料を取ったりして、生業を立てているところも多いと思いますが、いざ、「人の死」に直面したときには、僧侶は、それについて、きちんと説明できなくてはなりません。


亡くなった人が迷っている場合には、だいたい、身内の周辺か、自宅や職場のあたりにいるはずなので、遺族や葬儀の参列者等に仏法真理を語れば、それを霊自身が一緒に聴くこともありますし、あとから、遺族等の会話を通して耳にすることもあります。それによって、霊が救われることがあるのです。


真実を知らなかった人は、自分の死を理解できない・・・・

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(私文:100%真実の仏法真理)
死後の世界、霊の世界、魂の世界の知識ほとんど知られていません、この真実を世界中の人たちに知ってもらおうと、大川隆法総裁先生は数多くの本を出し、数多くの講演会をされ、現象としての証明として、リーデングなども行っています。この仏法真理を学べば、この世の世界とあの世の世界との辻褄があってしまうのです。この世ではなかなか分からないことがこの仏法真理を通すことによって、つじつまが通るし、理解できるのです。一つでも心に響く教えがあれば、それを頼りに、一歩でも二歩でも、大川隆法総裁先生の説く仏法真理を学んでみてください。必ず、如くできることが増えていくと信じています。


最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
是非とも、大川隆法総裁先生 書籍・正しい供養 間違った供養 を読んで下さい。


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