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眠れない夜のエッセイ

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眠れない夜に読むエッセイをまとめました。
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記事一覧

いつか天になる - あるいは猫との別れ

いつか天になる - あるいは猫との別れ

友人と「猫は死ぬと何になって何処へゆくのかな」という話をした。

子猫を庭に埋めた人は「子猫は風になって駆けまわり、庭の草花を揺らす」と言った。

その人はきっと庭の草が風で揺れるたびに、その子猫のことを思い出しては泣くのだろう。小さな命を失った人は長い時間、自分を責め続ける。
しかし同時にその人は、子猫は風になってそばを駆けまわっていることも知っている。風はその人を慰めるだろう。
短く終わった命

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学校図書館、ありがとう、また

学校図書館、ありがとう、また

小学生の頃まで場面緘黙症があって、家族以外の誰とも口がきけなかった。話そうとすると喉がキュッと締めつけられて、ともだちの視線が恐怖になる。名前を呼ばれても返事ができなくて、音読の順番が回ってきても立っているのがやっとで、だんだん視界が涙で霞んで、そんな私とそれでも周りの子たちは対等に接してくれた。でもやっぱり学校は怖かった。

学校図書館は好きだった。声を出してはいけないから。無言でいることが当た

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ある感情の組み合わせ

ある感情の組み合わせ

気のおけない人たちと好きな話で盛り上がって、これ以上ないくらい楽しくて、ああずっとこんな幸せが続けばいいなと思うとき、同時にどうしようもない寂しさと孤独感が足元にひんやり流れていることがある。

人に囲まれているときほど孤独なのはなぜだろう。幸せなときほど寂しいと思うのは。

笑えば笑うほどこの感情は本当に自分のものなのかと考えてしまうし、楽しければ楽しいほど本当に自分はこれが好きなのかと疑ってし

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100年前の詩・きのう・きょう

100年前の詩・きのう・きょう

萩原朔太郎の詩に「利根川のほとり」という一篇があります。14歳の8月20日はこんな気分でした。

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめて

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飼い猫ときっといつかまた

飼い猫ときっといつかまた

ずっとずっと昔に飼っていた猫が夢に出てきて、「スーさんに会ったよ」と教えてくれた。スーさんもずっとずっと昔に飼っていた熱帯魚。そうか、会えたか。

生き物はいずれその命を終えて、命を構成していた原子はこの星のどこかへ散り散りになってしまうのだけど、きっといつかまた会えると知っている気がする。

夢で会いにきてくれた飼い猫は、スーさんと話した会話をそのまま繰り返してくれて、あとは空が揺れているねとか

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夜を待つこころ

夜を待つこころ

夜がだんだん朝陽で薄められて空が白んでいくのを眺めるとき、消えてなくなりたい気持ちになる。朝焼けが綺麗なときほどそう思う。

何度かあった眠れない夜がそうさせるのだと思う。悲しい気持ちのままでは、あの早朝の空の美しい変化を受けとめきれないのだ。光で満ちていく世界は、それだけで貧しいこころを傷つける。

私が暮らす小さな町にも、もしかしたらそんな人がいるかもしれない。朝焼けの空を眺めながら、澄んだ空

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光線が癒すもの

光線が癒すもの

未来に行く夢を見たんだけど、技術が急激に進歩してたから「じゃあ戦争はなかったんだね?」と訊いたらみんな顔を曇らせてしまった。進歩したその技術でまさに戦争中とのことだった。

私は戦争さえなければ技術はもっとずっと進歩するはずと、なぜか信じていたんだけど、振り返ればどうだっただろう。過去現在の、大小さまざまな戦争。それに勝つために生まれた技術。

夢の中で私は、ただ「光線」と呼ばれるその未来では戦争

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主役ではない、夕暮れの東の空に思うこと

主役ではない、夕暮れの東の空に思うこと

晴れた日の夕暮れ、東の空は、あかく燃える夕陽を受けて薄紅色に染まっていく。それが群青色に触れあう様子を眺めるのが好きです。

夕暮れに東の空をよく見ますか。

夕陽が沈んでいく西の空は激しく輝いて、その一瞬それは全天の主役といった感じ。私はそのうしろで暮れていく東の空が大好きです。

静かな色たち、それがだんだんと色調を落としていく。その様子を眺めるとき、目の前に広がる色と風と宙がこの組み合わせで

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ここに人がいる

ここに人がいる

ここに人がいる、と叫んで知らせなければ踏みつけられてしまう人たちの、その小さな魂は、重い肉体を背負いながら今日もとぼとぼ歩いている。その傍らを私も歩く。私の魂もまた軽く小さく、風にあおられて誰かの足元に転がる。

これまでに私も、何人も踏みつけにしてきたんだろうなと思う。人の魂を踏みつけたときの、あの感触。

だれもが尊くちっぽけな魂で、いつか重い肉体を降ろして蝶となって羽ばたく日を待っている。

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