「自分の芝に水をあげられている」という感覚
「遅くなったから今夜はお惣菜屋さんでご飯を買おう、ちょっといいやつ。そうだ、週末のパンも買って帰ろう。2人分のコーヒーあったかな。」
久々に外出した金曜の帰り道、電車の中で小さな用事をあれこれ考えていたとき、ふと「あ、なんか私、今幸せだな」と思った。
そしてそんなことを思った自分に驚いた。
正直、仕事は上手くいっているのか分からない。自分の興味を深掘りしても、将来に繋がっているのか分からない。子どもが欲しいと考えるけど、いろいろ分からない。そしていつも不安に思う。
未来のことは分からない。本当に、心配しはじめたらキリがない。
でも、今この瞬間、幸せだなと思ったのである。ちょっと凄いことに思えた。
◇
少し前、友人とだけ繋がっていたSNSをやめた。それでも私の日常は変わってない。朝食のバナナを切らさないようにするのと、段ボールの回収日を忘れないようにするのと、何かのついでにクリーニングに出した洋服を取りに行くことなんかを相変わらず考えている。
次に読む本を探したいし、部屋の収納を考えたいし、静かにジャーナリングできる自分の時間を求めている。
相変わらず自分の生活に忙しい。
でも、今の私は自分の芝に水をあげられている。誰かの日常は知らない。自分の芝に集中できている。
多分だけど、だから、ふとした瞬間の小さな幸せにも気づけるようになったのかもしれない。
◇
「幸せになることは難しくない。人より幸せになろうと思うと難しい。」
いつか読んだ本に書いてたことを、今になってゆっくり咀嚼している。
美味しいおやつを食べたい🍪🍡🧁