マガジンのカバー画像

トコトコのピックアップ

97
気になった、忘れたくないノートを集めています。
運営しているクリエイター

記事一覧

OrangeKids'CareLab.は“遊び”と“友だち”を子どもたちに返す場所〜新ケアラボ開所によせて〜

新・OrangeKids'CareLab.開所しました! 日本財団のご支援をいただき、長年の夢だったキッズたちの活動拠点、繋がり拠点が完成し、2020年7月1日より活動を開始しました! 「私たちの子どもは在宅医療っていうものが使えますか?」お母さんたちがそう言って訪ねて来てくれたのがきっかけで、手探りながら始めた小児在宅医療。 医療をお家に届けるだけでは足りない。家と病院以外の居場所が必要なんじゃないか、と、たった1人のキッズのために勢いで立ち上げたオレンジキッズケアラボ

7/1 from Fukushima

今日もまた曇っていて涼しい。ありがたい。 近頃、ドイツ語の勉強を始めて、一日ほんのちょっとしか進めていないが、まあ、別に何か目標があるわけでもないので、そんなものでもいいのかもしれない。それにしても、今は便利な時代である。無料のサイトやアプリ、動画で、勉強しようと思えばいくらでも勉強できる。調べようと思えば、いくらでも調べられる。ただ、「しようと思う人」というのは、やはり少数なのだろう。わたしにしても、このドイツ語に関しては、「しようと思う人」になったわけだけれど、しようと

頭でっかちと言われる現象について

スポーツを長くやると、特に私のようにしつこく考えるタイプは物事を複雑に考えすぎて袋小路に嵌まり込むことがある。外からは考え方に癖があったり、無駄に複雑に考えたり、こねくりまわしている印象を持つが、本人はそのことに気が付きにくい。むしろ自分だけは考えているという自負すらある。 陸上競技の良い点も悪い点も、いかに複雑に考えようとも、結果で判断できるということだ。どんな正しい論理も、現場で機能しなければ意味がない。だから自然と複雑に考えるタイプは淘汰され、本質を捉えた人が生き残り

先生とコーチ

私達の時代は、指導者の権限が強く、選手の恋愛や私生活にも指導をすることが多かった。私はそれが嫌で、コーチをつけないという道を選んでしまったが、もしコーチ業ということに専念してくれる人がいたらつけていたかもしれない。乱暴に言ってしまえば日本には、コーチが少なく、先生が多い。 競技力向上に影響していることはあまりにも多い。練習はおろか、食事、睡眠、友人関係、恋愛関係、高校や大学、家庭環境、住環境など。本当に選手を完璧に仕上げたければ、全部に介入したくなる。一方で、一体どこまで介

「見て」いるものと、「見えて」いるものの違い

2019年春。私は学生やフリーター、新米社会人など12名の若者男女(男性10名女性2名)を率いて、カナダ北極圏600kmの徒歩冒険に挑んだ。 「北極圏を目指す冒険ウォーク2019」と名付けられたこの旅は、私が20年かけて極地で学んできたことを、若者たちに体験してもらい、その経験を自分の世界に持ち帰ってもらおうという狙いで計画し、一年をかけて準備を進めた。 4月7日、カナダ北極圏バフィン島に位置する”パングニタング ”という、先住民イヌイットの村をスタートした。 一人ひと

正常な状態 2014年12月05日

身体の健康も、精神の健康も、大事なことはおかしくなり際に気づいて早めに対処することだろうと思うのだけれど、正常な状態を知っていないと異常な状態もまたわからない。案外と自分の正常な状態のサインを知っている人は少ない。 朝起きる。首を上げた瞬間の何か重たい感じ。それが何を意味しているかを観察する。人と会った時にどんな表情をしているかを観察する。いつもの自分とは違う反応をしている自分は何かが違っている。自分を観察して異変に気づく。 正常な状態はどんな状態かを知らないと異常がわか

与えすぎて奪わぬように

我が家には教育方針がないけれど、もし何か選ぶとしたら『与えすぎて奪わぬように』が方針だろうと思う。自分の人生の経験から、人生で最も重要で得難い力は後天的にもたらされるものではなく、全ての子供が内側に持って生まれてきていると思っている。だからそれを阻害しないことがまず大切だ。 教育のパラドックスは、子供好きや教育が好きな人はつい子供に関わりたくなってしまい、関わりすぎてしまうところだ。むしろ関わらない方が子供が成長する場面において、良かれと思って子供に関わりすぎると、子供の成

話を聞いてもらいたいという欲求

人間は程度の差こそあれ話を聞いて欲しい生き物で、だからこのようなプラットフォームで私も含めて人々が様々に話しているのだと思います。では、十分に話を聞いてもらえているとはどういうことでしょうか。また話を聞いてもらえないと人はどうなるのでしょうか。 まず話を聞いてもらうということは、何かを答えを出すということとは違うように思います。ですから、議論をしても話を聞いてもらったという感じがしないということはよくあります。話を聞くという行為は突き詰めれば全身でその人と向き合って受け止め

運動神経に関する考察

私は極めて身体能力が高かったが、球技などはあまり得意ではなかった。陸上競技においては日本で一番になる一方、体育の授業などではもっとボールや身体を巧みに扱う同級生をみて羨ましいと思っていた。スポーツにおいて自信とコンプレックスが同居している不思議な人生を生きてきた。 そのような人生だったから、運動神経とは何かについてずっと考えてきた。内訳を整理すると ①出力の大きさ ②身体で表現する能力 ③外部の物体に合わせる能力 ④身体感覚 ⑤学習する能力 ①②は先天性に近く、③は人生の前

スポーツとお金儲け

スポーツ界はなぜ収益化に意識が向かないのか、またエンターテイメントを充実させないかについて質問があったので私なりに考えを。日本のスポーツは教育から始まった側面が強く、現在も大きな団体は学校の団体であり、またスポーツ庁自体も文部科学省に属している。当然、教育関係者も多く教育の色合いも強い。 素晴らしい点は、部活による教員の負担、体罰、指導の質のばらつきなど問題点はあるものの、これほど安価でスポーツ教育が多くの人に提供されていること。そのような国は私が知るところない。日本におい

複雑なものの中から軽重を見分けられる能力

複雑なものや初めて見るものに対してと、すでに存在していて既知のものに対しての、戦い方は随分違っていて、それぞれの領域が得意な人も違う。後者はどちらかというとスポーツに近くどうやれば勝てるかが明確で、前者は何が勝利かどこが勝利の要諦かわからず、蓋を開けて初めて誰が勝者だったかわかる。 複雑なものを見たときにどこが重要かわかるという能力は、ある程度経験でわかるものの先天性のものも大きいように思う。初めてやるゲームで要するに何が重要かを察知する能力で、イメージで言うとコトの軽重が

母性愛と父性愛

愛される時、認められる時に二つの大きな方向がある。一つは母性。あなたがあなたであるだけで愛してもらえるという愛。獲得するものではないし努力では獲得できない。もう一つは父性。何かの基準を満たせば期待に答えればもらえる愛。自分がもともとどうであったかに関わらず努力で獲得できる。 母性は優しいが残酷だ。もし愛される側に立つなら何があろうとも自分がそのように生まれてきただけで、愛される条件を満たしている。一方愛される側に生まれていないなら、どんなに努力しても愛されない。母性の間には

身体という他者

昨晩、久しぶりに腹痛になった。わたしは、胃腸が弱いので、あまり食べ過ぎないようにしている。しかも、ほとんどジャンクなものを食べないようにもしている。そうやって食事にある程度気を遣っているので、あんまり腹痛にならないのだけれど、昨晩そうなってしまった。 こんなに注意しているというのに腹痛になるとは全く理不尽だが、怒ってみてもしょうがない。大体にして誰に怒ればいいのかということになる。腹に怒ってみても、そのストレスで、ますます腹が痛くなるだけの話である。 それにしても、体とい

生きるための理論構築をがんばる人たち

世の人は、みな生きるための理論を必死で構築しようとしているように見える。このnoteでも散見する。幸福感を得るためにはどうすればいいか、悔いなく生きるためにはどうすればいいか、そのためには、他者の課題を分離せよ、好きなことだけをせよ、心配事の9割は起こらないから心配するな、感謝の気持ちを持て、大宇宙の声を聴け、などなど、などなどなど。 こういうものをまともに書いたり、あるいは、書かれたものを読んだりしている人を見聞きすると、クラクラするものを覚える。いったいどこまで本気でや